3-4

 ※※※※


 秋彦の右手には包帯が巻かれている。一巡目で指の爪を剥がされた後、案内人に処置してもらったのだ。

 痛む右手を抑えながら秋彦は、絶望していた。五巡目の今、秋彦の前を進む者はいない。


 ――俺が先頭になってしまった……


 前方には未開放のマスだけが伸びている。自分が道を切り開かなければならない。


 ――なんでこんなことに……


 三巡目まで秋彦の前には五人のプレイヤーがいた。しかし一人が振出しに戻ると、残りの四人はチキンレースを始めた。

 十二マス目に止まっていた四人は十三マス目から十六マス目までそれぞれ一マスずつを開放していった。全てが危険マスだったため、次に順番が回ってきた秋彦は十七マス目へ進んだ。幸いなことにそこは安全マスで指令は『宣言回数が1回増える』だった。歓喜した秋彦だったが、それは束の間の幸運に過ぎなかった。というのも他のプレイヤーが次の宣言でこぞって秋彦のマスに群がったのだ。

 これにより秋彦は集団の先頭に立たされることとなった。現在、十七マス目には秋彦を含めた八人のプレイヤーが止まっている。


 ――次の十八マス目は『振出しに戻る』。だからここは十九マス目に進んで、他の人の出方を見るべきか。そろそろ前へ出ようと思う者が出てきてもいいはずだ。誰かを俺より前へ行かせて……


 秋彦はそんなことを思う。しかし宣言できないでいた。


 ――もし十九マス目も安全マスで、またそこに他のプレイヤーが群がってきたら? 


 チキンレースは、後の選択の幅を狭め、プレイヤーたちの首を絞めることになる。そこまで考えて秋彦は悟った。


 ――振出しに戻ったのはきっと春斗だ……


 秋彦の順番は二番目だ。だから一番目の者が最初の宣言で六マス進み、さらに次の宣言でも六マス進んだことを知っている。

 それを見た時、秋彦は内心でこのプレイヤーを馬鹿にしていた。

 このゲームは他のプレイヤーを先に行かせて、安全マスを開放させることが鍵。一番目の者はその本質を理解せず、通過ボーナスに目が眩み、少しでも先に進もうとしている阿呆。秋彦はそう思っていた。しかし違った。おそらく一番目の者は、チキンレースを回避し、多くのプレイヤーをクリアさせようとしていたのだ。そしてそんなことをするのは山吹春斗の他に秋彦は知らない。

 春斗は自己犠牲をいとわず、集団の最大幸福を優先する男だ。勉強ができて、スポーツも得意。特にサッカーの腕前は、中学時代に東京都選抜に選ばれるほどだ。それでも自分を特別とは思わず、自己と他者を同列に並べている。春斗にとって、自分と他人の命の重要性は、ほぼほぼイコール。だからこその自己犠牲。

 我が身可愛さのあまり、二の足を踏んでいる自分とは大違いだ。

 秋彦は自己嫌悪にさいなまれ、そして決意を固める。


 ――春斗が身を削っているのに、劣っている俺が後に続かないなんてそんなバカげた話はない


 あなたの番です。数字を宣言してください。

 宣言回数「7」

 残りのマス「23」


 秋彦は恐怖心を封じ込め、前を見据える。


「六だ」


 六マス先が明滅する。

 秋彦はゆっくりとマスを進んでいく。十八、十九、二十、二十一、二十二……。そして二十三マス目に立つ。警告音はない。

 秋彦は電光掲示板へ目をやった。


『この順番にも飽きちゃった。他のプレイヤーと自分の順番を入れ替えてみる? 入れ替えなくても可』


「端末をごらんください」


 案内人の言葉を受け、秋彦はスマートフォンに目を落とす。すると画面にプレイヤーの名前と彼らの順番が記されていた。


 一番目 山吹春斗 残り宣言回数「5」 止まっているマス「12」

 二番目 あなた  残り宣言回数「6」 止まっているマス「23」

 三番目 木下マリ 残り宣言回数「7」 止まっているマス「17」

 四番目 桔梗夏美 残り宣言回数「7」 止まっているマス「17」

 五番目 柳竜二  残り宣言回数「7」 止まっているマス「17」

 六番目 蒼井梓  残り宣言回数「7」 止まっているマス「17」

 七番目 冬木羊一 残り宣言回数「7」 止まっているマス「17」

 八番目 大杉豪  残り宣言回数「7」 止まっているマス「17」

 九番目 木下サリ 残り宣言回数「7」 止まっているマス「17」

 あなたは二番目です。入れ替わりたい相手の名前をタップしてください。


 順番を入れ替えることにメリットはあるのだろうか。

 現在は秋彦の宣言が終わったばかりであるため、順番が一番遠いのは秋彦自身。仮に九番目のサリと順番を入れ替えたところで、順番が回ってくるのを早めるだけだ。もっとも自分の順番を遅らせることができたとしても秋彦はそれを選択するつもりはない。


 ――より前へ


 秋彦は画面の下にある『スキップする』をタップした。すると画面が切り替わる。


『他のプレイヤーが宣言しています。しばらくお待ちください。あなたの順番は2番です』


 それから十分も経たないうちに秋彦に順番が回ってきた。他のプレイヤーは悩むまでもなく、秋彦が開放した安全マスに止まったのだ。

 秋彦は前を見る。宣言する番号は決まっていた。春斗の意志を継ぐだけだ。


「六」


 六つ先のマスが明滅する。二十四、二十五、二十六、二十七、二十八……。二十九マス目を前にして恐怖心が足を止めさせる。


 ――大丈夫だ……


 気持ちを奮い立たせ、一歩を踏み出す。すると頭上の照明が赤に変わり、警告音が鳴り響いた。そして前方の電光掲示板に指令の内容が映し出される。


『殺人ピエロのいる廃病院に迷いこんでしまった。一分間、彼らから逃げ続けよう』


 次の瞬間、秋彦は見知らぬ部屋に立っていた。近くにはベッドが並んでいる。そのうちの一つはカーテンによって目隠しがされていた。

 カーテンの奥で何かが動いている。そのシルエットを見て、秋彦の心拍数が跳ね上がった。


 ――殺人ピエロ……


 影が鎌を振り上げると、間もなくカーテンが切り裂かれ、笑うピエロが現れた。ショッピングモールでの出来事がフラッシュバックする。

 秋彦は考えるよりも先に駈け出し、部屋を飛び出した。


 ――嫌だ、嫌だ、嫌だ……


 絶望の一か月が頭の中に蘇る。

 首に走る激痛。

 何度殺されても、終わらない地獄。

 秋彦は後ろから迫ってくるピエロの足音を聞きながら、前だけを見据えた。前方には曲がり角がある。


 ――あの角を折れたところに病室があれば、撒ける


 ピエロの視界から消えた後で、すぐに身を隠すと、ピエロを振り切ることできる。これは地獄の一か月で学んだことだ。

 廊下の角を折れると、病室が見えた。秋彦はすぐさま病室に体を滑り込ませる。秋彦の目論見は当たり、ピエロの足音は秋彦から離れていった。

 安堵のため息をもらすが、すぐに頭を切り替え、状況を確認する。病室には六つのベッドが並んでいた。


 ――ベッドの下に隠れよう


 そう考え、膝をついてベッドの下を覗き込む。そこで秋彦は悲鳴を上げ、思わず尻餅をついた。六つあるベッドの下すべてにピエロが鎌を持って横たわっていた。彼らは首を回し、秋彦を見た。そして一斉に笑い声をあげる。


 ――キヒヒヒヒ、キヒヒヒヒ、キヒヒヒヒ……


 秋彦は立ち上がり、部屋を出ようとする。しかし病室の入り口が開き、そこからもピエロが現れた。

 ピエロ達は秋彦を囲み、笑いながら鎌を振り上げた。

 秋彦はうずくまり、叫び声をあげた。

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