2-2

 ――キヒヒヒ

 

 目が合うとピエロは笑った。

 春斗はそれを見て、駈け出す。分岐をでたらめに曲がり、ピエロを撒こうとする。曲がる時に背後に目をやるが、ピエロとの距離はそれほど変わっていない。差を詰められていないことがせめてもの救いだが、このまま撒けるとは思えない。

 春斗の体力は有限だ。しかしピエロはどうだろう。もしピエロの体力が無限だとしたら、捕まるのは時間の問題だ。

 

 ――どうにかしないとまずいな

 

 間もなく春斗の息があがりはじめる。

 

 ――このままじゃ捕まる……

 

 そう思った矢先、前方に部屋を見つけた。プレートには『13』と記されていた。春斗は扉のノブに手をかける。しかし鍵がかかっていた。

 ピエロは春斗がいる通路に姿を現す。

 春斗は扉を叩いた。


「誰かいないのか! 開けてくれ!」


 ピエロが笑いながらこちらに向かってくる。

 逃げ出そうと足を踏み出しかけたその時、鍵の開く音がした。春斗はすぐさま扉を開け、部屋の中に体を滑りこませる。目の前には小柄な女性が立っていた。礼を言う前に、春斗は急いで鍵をかけた。それからのぞき穴から外の様子をうかがう。


 ――もしピエロが入ってきたら……


 最悪な光景が脳裏をよぎる。

 ピエロは部屋の前で立ち止まった。それから顔に笑みを張り付けたまま、部屋の方を向いた。のぞき穴越しに目が合う。背筋が凍った。

 ピエロは鎌を振り上げることなく、立ち去った。

 春斗は安堵のため息を漏らし、女性に礼を言う。


「ありがとう。助かったよ」


 女性の身長は百五十センチほどで、幼い顔立ちをしている。おそらく中学生くらいだろう。彼女は制服を着ておらず、私服だ。青のキュロットスカートに黒のブラウスを合わせている。


「もしかしてピエロに追われてたの?」

「うん」

「ピエロは……?」

「一度部屋の前で立ち止まったけど、離れていったよ」


 女性は胸に手を当て、弱弱しく微笑んだ。


「良かった……」


 春斗は女性と共に部屋の奥へ行く。すると洋室の椅子に男が座っていた。彼は眼鏡をかけていて、詰襟の学生服を着ている。線は細く、体つきは華奢だ。足を組んだまま立ち上がろうともしないその姿にどこか不遜な印象を受けた。


「蒼井さん、困りますよ。ちゃんと確認してから扉は開けないと。ピエロを一緒に呼び込んでしまったらどうするんですか」


 蒼井と呼ばれた女性は申し訳なさそうに表情を暗くする。


「ごめん……、でも見捨てるわけには……」

「ピエロまで入ってきて全滅なんてことになったら最悪ですよ。心苦しくても彼は見捨てるべきだった」


 男はそう言って、春斗を見てきた。


「悪く思わないでくれ」

「いや確かにぼくも考えが足りませんでした。危険を持ち込んでしまって申し訳ない」


 男は腕を組み、春斗に向かって値踏みするような目を送ってきた。


「君、ナイトメアゲームは今回がはじめて?」

「いえ、二回目です」

「もしかして前回はショッピングモールで?」

「そうです」

「ぼくらと同じか」

「お二人もですか?」


 蒼井が頷いた。


「うん。二回目。わたしとこっちの冬木君は、前回のショッピングモールでも会ってて」

「なるほど」

「それより自己紹介がまだだったね。わたしの名前は蒼井梓あおいあずさ。大学二年生です」

「えっ」


 中学生だと思っていたが、まさか年上だったとは。たしか夏美に連絡をしてきた女子大学生が蒼井梓という名前だった。彼女がそうなのだろう。

 蒼井はイタズラっぽく笑う。


「もしかして、年下だと思った?」

「いや、そんな……」

「いいの、いいの。みんな間違えるから。他の参加者も最初に会った時、中学生だと思ってたみたいだしね。リアルでもよく間違えられるし」


 春斗は誤魔化すように笑って、自己紹介をする。


「山吹春斗といいます。高校一年です」

「冬木羊一よういち。高校二年」


 眼鏡の男は短く言った。

 蒼井が胸の前で手を合わせる。


「それじゃあこれからどうする?」

「まだ待機でいいでしょう。ピエロも部屋には入ってこれないみたいですしね」


 冬木はそう言って、軽い調子で言葉を続ける。


「ボスは一人では倒せない。となれば他の参加者も誰かを探しているはずで、待っていたら山吹君のようにここへ誰かが来るかもしれません。その中には二十番の部屋を見つけた人もいるかもしれない」


 春斗は手をあげる。


「ひとついいですか」


 冬木は射るような目をした。


「何?」

「ここで他の参加者を待つというのは賛成です。ただ、それだけだと参加者がここにたどり着けない場合があると思うんです。この場所を見つけられなかったり、他の参加者同士だけでボスに挑んだり……。だから参加者がここに来られるようにサインを送りませんか?」


 蒼井は首を傾げた。


「サイン? そんなのどうやって送るの?」


 春斗はベッド横にあるナイトテーブルの引き出しをあけた。そこには『7』の部屋と同様にメモ帳とペンが入っていた。


「エレベーターや階段にメモを置いておくんです。メモにはこの部屋までのルートを書いておきます。そうすればエレベーターに乗った参加者や階段を上ってきた参加者が、この部屋にたどり着くことができます」


 冬木が顔をしかめた。


「ぼくは賛成できないな。その方法だとエレベーターや階段までメモを置きに行かなければならない。そこでピエロと遭遇してしまったら? そんなリスクをわざわざ冒す必要があるとは思えない。今後、ぼくらがリスクを冒すのは、ボスがいる部屋、対決内容、ボスの正体、これらを知るときだけでいい。すでにぼくらは三人いる。対決内容によってはこの三人で勝てるかもしれない。もしそうなら、そもそも他の参加者と合流する必要がない。だから部屋を出て、他の参加者をこちらから探しに行くのは、この三人ではボスとの対決に勝てないと判明してからでいい」

 「勝てないとわかったとき、すでに他の参加者が死んでしまっていたら?」


 蒼井の問いに冬木は肩をすくめた。


「もちろんその可能性もあるでしょうね。でもその時は仕方ありません。そもそも対決内容がわからない以上、他の参加者がいたところで、本当にボスに勝てるようになるかも不明ですし。ナイトメアゲームとやらは、肝心な情報を伏せたアンフェアなゲームなんですよ。ですから動かず、リスクを負わずに情報を得られる可能性があるなら、まずそれを選ぶべきです。今はまだ時間もありますしね。だからこの状況では“待ち”が正しいとぼくは考えます」

「ここにいる三人が助かる確率をあげるなら、冬木さんの方法が正しいと思います」


 春斗は冬木の意見の一部を肯定しつつ、やんわりと否定の言葉を続ける。


「でも参加者は他にもいます。全員で助かるなら、みんなを集めて協力するべきだと思います。今も一人でホテルの中をさまよっている人もいるかもしれないですし」

「全員で助かる」


 冬木は失笑し、口元をおさえた。


「ああ、悪い。馬鹿にしてるわけじゃない。でもそんなのは理想論だよ。そりゃあ、みんなで仲良くクリアできればそれに越したことはない。でもナイトメアゲームはそんな風にできてない。犠牲――誰かを見捨てなければならない場面は必ずくる。例えば、ボスがいる二十番の部屋を見つけたとして誰が最初に入る? ぼくはごめんだ。対決内容もボスも何もかもがわからないからね。様子を見たい。情報がほしい。でも全員がそんな風にしているわけにもいかない。誰かが犠牲になる必要がある。全員で助かろうとすれば、必ずどこかで軋轢が生まれる。他人と手を結ぼうとすれば、ジレンマが生じる。だからこのゲームの参加者は、自分の命が助かることだけを考えるべきなんだよ。全員で助かろう、誰かを助けようなんておこがましい。それでも他の参加者全員と一緒にクリアをしたい、メモを置きに行きたいというなら、一人で行ってくれ。ぼくは行かない」

「わかりました」

 

 春斗ははじめから一人で行くつもりだった。問題はない。

 冬木が不愉快そうに鼻を鳴らすのをしり目に、春斗はベッドに座る。それからメモ用紙をナイトテーブルの上に広げ、エレベーターからこの部屋までのルートを記す。

 一枚の地図を書き終えたころ、ナイトテーブルに影が差した。顔をあげると蒼井が近くに立っていた。


「地図は何枚作るの?」

「まずはこの一枚だけです」

「それをエレベーターに?」

「そうです」


 階段に置くための地図も用意したいが、階段の場所がわからないため、今は作ることができない。


「二人で行った方がピエロに追われたとき、どちらかが助かる確率があがると思うの。だからわたしも一緒に行くよ」

「いや、それは……」


 自分の案で蒼井を危険にさらすのは抵抗があった。

 蒼井はちらりと冬木を見て、声をひそめた。


「冬木君と二人でこの部屋にいるのも息が詰まるしさ」

「ああ……。わかりました。それじゃあ一緒に行きましょう」


 春斗と蒼井がドアに向かうと、冬木が椅子から立ち上がった。


「蒼井さんも行くんですか?」

「うん。そのつもり」


 冬木は不愉快そうにメガネの弦を触った。


「ご自由に」


 春斗はのぞき穴から外の様子を確認する。ピエロの姿はない。ゆっくりとドアを開き、左右を確認する。廊下にもピエロはいない。


「大丈夫そうです」


 春斗は蒼井に告げ、外に出る。

 蒼井が後に続き、ドアを閉めた。


「それじゃあ行きましょう」

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