1-4

 手筈を整え、四人はエレベーターに乗り込んだ。全員の手にはバットが握られている。秋彦は少し足を気にしているが、歩行に問題はなさそうだ。


「行くぞ」

 

 柳が「閉まる」のボタンを押すと、エレベーターは下降していく。一方で春斗の心拍数は上昇した。バットを持つ手に力が入る。間もなくエレベーターは一階に到着した。

 四人はピエロの襲撃にそなえてバットを構えていたが、エレベーターの前には誰もいなかった。


「頼んだ」「無理はするな」「気をつけてね」


 三人から言葉を受け、春斗は一人でフロアに出る。通路を折れるとエレベーターからの明かりが失せ、途端に周囲は暗くなる。頼りは非常口の誘導灯だけだ。夏美の話によれば、今歩いている通路を進み、さらに右に折れると、出口が現れるらしい。


 ――脱出までもうすぐだ


 希望を唱え、恐怖心を抑え込む。

 春斗は分岐の前までやってくると、壁に背を預け、慎重に出口の方を確認する。


 ――え? 嘘だろ?


 夏美の言う通り出口はあった。しかしその前には大鎌を持ったピエロが立っていた。それも一体ではない。十体以上はいる。

 春斗が半ば呆然としていると、一体のピエロと目が合った。まずい、そう思った瞬間、他のピエロが一斉に春斗の方へ顔を向け、笑った。


 ――キヒヒヒ、キヒヒヒ、キヒヒヒ、キヒヒヒ


 春斗はエレベーターに戻りかけ、考えを改める。この数のピエロを連れて戻れば、下手したら全滅だ。


「みんなエレベーターで上に上がれ!」


 春斗はそれだけを叫ぶとエレベーターの方には戻らず、通路を左に折れた。ピエロの笑い声と足音が追いかけてくる。

 止まれば死だ。

 ここを真っすぐ進むと、別の出口に突き当たる。夏美はそう言っていた。エレベーター近くの出口は駄目。では反対側の出口はどうだ。

 春斗は全速力で駆け、そしてすぐに絶望した。

 もう一つの出口の前にも何十体ものピエロが守りを固めていた。横の通路からもピエロがうじゃうじゃと現れる。キヒヒヒヒヒ、キヒヒヒヒヒ、キヒヒヒヒヒ……。フロアはピエロの笑い声で満たされた。


 ――なんだよこれ……。脱出させる気ないだろ……


 ピエロ達は鎌を振りかぶり、春斗に襲い掛かった。間もなく、鮮血と共に春斗の首がフロアの上に転がった。


 



 春斗は首元を抑えて覚醒した。上体を起こし、周囲を確認する。最初に目覚めた紳士服売り場だ。

 

 ――死んだということか?

 

 不意に足音が聞こえてきた。それは段々と近づいてくる。春斗は商品棚の陰に隠れ、息を殺す。足音の方に目をやると、夏美、柳、秋彦の姿が見えた。春斗を探しに来たのだろう。

 春斗は棚の影から出て、三人の前に姿をさらした。


「詳しい話は整骨院でしよう」


 柳の言葉を受けて春斗は頷く。それから四人は周囲を注意しながら七階の整骨院までやってきた。


「一階は駄目です」


 春斗はそう言って、かぶりを振った。

 柳が訝るように目を細める。


「一体何があった? エレベーターで上に上がれっていう声が聞こえたが……」

「ピエロに遭遇しました。それも一体だけじゃなく、何十体も」


 秋彦は目を丸くした。


「何十体?」

「うん。出口の前に何十体もいて、反対側の出口の方に逃げたんだけど、そっちにも大量のピエロがいた。一階はピエロだらけで脱出は不可能だ」


 夏美が口元に手を当てた。


「それじゃあ、どうやって……」

「他の出口を探すしかない」


 秋彦が苦悶の表情を浮かべて腕を組んだ。


「他の出口と言ったって、出入り口はそこの二つだけだろ? バックヤードにも行けないし……」

「そうは言っても一階からの脱出が難しい以上、他の出口を探すしかないよ。例えば窓からとか」


 春斗の言葉を受け、柳が唸った。


「窓か……。もしかすると窓も開かないかもしれない」


 春斗は首を傾げる。


「どういうことですか?」

「この整骨院の施術室に窓があるんだけど、そこも開かないようになってる」

「構造的に元から開かないとかではなく?」

「いやそうじゃない。普通のクレセント錠がついていて、それがびくともしない。整骨院だけかなと思ったんだが、このフロアにある他の窓も開かなかった。窓からの脱出はできないようになってるのかもしれない」


 柳はそう言うと、施術室へ入っていく。三人もそのあとに続いた。入って左手に二つのベッドが置かれており、ドアの正面には窓ガラスがあった。曇りガラスであるため、外の景色は見えない。

 柳は窓の前まで来ると、クレセント錠に触れ、首を振った。


「やっぱり、鍵は開かない」


 春斗も鍵に触れるが、柳の言う通りびくともしない。


「割ってみますか?」


 春斗の提案に柳は頷いた。


「物音を立てるのは怖いが、やってみる価値はあるかもしれない」


 夏美がベッドの上から毛布を取る。


「毛布の上から叩けば、多少、音を吸収してくれるかもしれません」


 柳は夏美から毛布を受け取ると、窓ガラスに押し当てる。それから右手に持った金属バットで窓を叩いた。思い切り振りかぶったわけではないが、それなりに力を込めている。しかし音はほとんどしない。

 柳は首をひねった。


「感触がおかしい。ちょっと春斗、叩いてくれるか?」


 春斗は柳が持つ毛布の上からバットで窓を叩く。柳の言わんとしていることがわかった。衝撃時に妙な弾性がある。


「なんか変じゃないか?」

「ええ、そうですね」


 春斗は毛布をめくり、バットで軽く窓を叩いた。しかし音はしなかった。窓に当たる寸前で、見えない膜によってはじき返されたのだ。より強くバットで叩く。やはりバットは窓に接触しない。


「窓ガラスが割れないようになっている……?」


 ここが現実世界ではないとまざまざと見せつけられたような気がした。殺されて生き返ったときよりも非現実性を感じる。


「全ての窓ガラスがこの仕様なら、窓からの脱出はできないということになるな」


 柳の言う通りだ。そしておそらくその可能性は高いだろう。整骨院の窓ガラスだけ特別な仕様になっているとは考えにくい。


「ちょっと待ってくれ」


 秋彦が困惑の声を上げた。


「それならどうやって出る? 従業員出入り口や非常口にはおそらく行けない。窓ガラスも割れない。出入り口は大量のピエロが待ち構えている。こんなの八方ふさがりじゃねえか」


 夏美の表情に影が落ちる。


「もとから脱出させる気がないのかも……」

「え……?」

「わたしもそんな風には思いたくないけどさ……。でも脱出させる気があるなら、はじめのヒントも、もっとちゃんとしたのをくれるんじゃないかな。命を捨てる気で頑張らないと脱出できないって……。これってピエロから頑張って逃げろってことでしょ? こんなのヒントでもなんでもないし」


 春斗は夏美の言葉を聞いて、引っ掛かりを覚えた。ヒント、命を捨てる気で……。そこでひらめく。


 ――もしこのヒントに重要な意味が隠されているとしたら?


 春斗は顔をあげた。


「脱出できるかもしれない場所がもう一つあります」

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