第25話

「これはこれは、出迎えもせずとんだ無礼を……」


 老人は頭を下げた。

 この出立ちからして、おそらくこの爺さんが竹取翁で間違いないだろう。

 翁は用心棒に向き直った。


「あー、ここからはワシが案内するから、お前はここで大丈夫だ。ささ、こちらへ」


 俺はできるだけ顔を隠しながら翁の跡へとついて行った。

 いくら夜で見えにくいからとはいえ、万一にでも顔を凝視され、かぐや姫の面前にたどり着く前に本人であることが疑われてはまずい。

 万一の備えとして可能なら桃太郎も連れて行きたかったが、さすがに牛引きの従者を屋敷の中まで侍らせるのは不自然すぎる。

 俺は桃太郎にポチを頼むと目で合図を送り、一人で翁の後について行った。


「今宵はお越しくださいましてありがとうございます。右大臣の阿倍御主人殿から寵愛をいただけるなど、私としても天にも昇る心地です。かぐや姫も待ち焦がれておりますぞ」


 翁は嬉しそうに俺に語る。


 物語上、かぐや姫は月の人間だ。

 地上の人間と結婚などできる存在ではないのだ。

 少なくとも、かぐや姫の本心をこの翁が理解しているとは到底思えない。


 子供の頃は意識すらしていなかったが、この翁、かぐや姫の幸せを考えているようで、実質、自らの幸せをそこへ癒着させているだけだ。

 もしかすると、自分でもその隠れた悪意に気づいてすらいないのかもしれない。

 この翁は恐らく悪人ではない。

 ただ所詮はそういった凡俗の一人というだけだ。


「さあ、つきましたぞ」


 そんなことを考えているうちに、気づけば母家までたどり着いていた。

 俺たちが仮住まいとしている屋敷の二倍ほどはありそうな、巨大な建物だ。

 これはたしかに、京で一番の邸宅であると噂されているのもうなずける。


 俺は翁の後について、屋敷の奥へと上がる。

 さすがにこの屋敷にはババアが用意した電気も通っているはずもなく、蝋燭のわずかな薄明かりで屋内はぼんやりと照らされている。

 電気の灯りがないとこれほどまでに闇夜は暗いのかと、改めて実感した。


 奥の方に一段高くなった場所があり、俺はそこへと案内される。

 簾が取りつけられており、この暗さでは中を垣間見ることはできない。


「では、ワシはこれで」


 後は若い二人で楽しめということなのだろうか。

 翁はよくわからない気の効かせ方で後ろの方へと下がっていった。


 この奥に、かぐや姫がいる。

 俺は今さらになって緊張してきた。

 いや、緊張する必要も本来ないはずだが……。

 とっとと「火鼠の皮衣」の偽物を差し出して、それを見破られた後でここを出れば全ての作戦は完了なのだ。


 目の前の簾の向こうの様子は相変わらず窺い知ることはできない。

 ここは訪問者の俺から声をかけるべきか。

 たしか会話はこの状態のままして良かったはずだよな。


 俺が意を決して口を開こうとしたまさにその瞬間、突然簾が上がり、かぐや姫の姿が露わになった。

 俺は思わず息を呑んだ。


 たしかに俺自身、美少女キャラとして自分の顔面偏差値の高さには自信はあったが、それが一瞬にして打ち砕かれた感覚を覚えた。

 女としての、圧倒的な敗北感。

 というか、もはや争う気すら起きないほどの超えられない壁。

 逆にこの一瞬の間に羨望すら抱いてしまった。

 これはあのババアが入れ替わりたいと切望していた理由もうなずける。


 何がどうというか、まず圧倒的に放たれているオーラが違う。

 容姿端麗なのはもちろんのこと、美人というだけでは形容する言葉がまだ足りないくらい、何か人間の心を問答無用で惹きつけるような、凄まじい吸引力がある。

 女である俺ですらそれを感じているのだ。

 この世界の男どもが恋に落ちないはずはないだろう。


 そして十二単に隠れてはいるが、おそらくスタイルも抜群だろう。

 肌も恐ろしくきめ細かで、スキンケアのお手本にしたいくらいだ。

 袖からのぞく華奢で可愛らしい手も、繊細な細工が施された陶磁器を思わせるほど白く美しい。

 もはや、うっすらと光を放っているかのようにも見える。

 いや、本当にうっすら光っている……?

 そして、その手に持つのは——


 あれ。扇子じゃない。

 手のひらサイズの四角い板だ。

 そんなもの、貴族の持ち物にあったっけ。


 いや、その四角い板……どこかで見覚えがあるような。

 俺はまさかと思ってその板を凝視する。

 板ではなく、金属製の物体だ。

 背面の上部に、見覚えのある黒いタピオカみたいな小さい円がいくつか並んでいる。

 かぐや姫の身体が光っているのかと思いきや、その物体の前面から放たれる光を反射しているだけだった。


 ちょっと待てよ。

 それ、どう見てもスマホだよね。

 スマートフォンだよね。


 俺はその一瞬、頭が混乱した。

 画面が光っているということは、やはり電気で動いているはずだよな。

 充電はどうしているんだ。

 まさか、あのババアのようにチートアイテムか何かで文明の利器を生み出しているのか?


 いや、それ以前に、そもそもこの女、なんでスマホなんか持っているのだ。

 その時点で俺は冷静さを取り戻し、確信した。

 この女も新手の転生者か。


 そうであるならば、むしろ話は早い。

 まずかぐや姫にそれを確認しよう。

 俺が口を開こうとしたまさにその瞬間、かぐや姫は俺の顔を見て驚きの表情を浮かべて言った。


「あれ、あんた、アベちゃんじゃないじゃん。つーか、誰??」


 かぐや姫は驚きの表情を浮かべたまま、俺を凝視する。

 むしろそれは俺のセリフだったが、向こうの立場からすればまず第一に気になるところではあるだろう。

 よく考えれば、かぐや姫は以前に一度、阿倍御主人の顔を見ているのだ。

 順を追って説明する必要がある。

 いや、先に転生者であることを共有して会話した方が早いか。

 俺はかぐや姫に向き直った。


「これには色々と事情があるのだが、訳は後で話す。時に確認したいのだが、うぬは転生者か」


 かぐや姫はポカンとした表情で俺を見つめる。


「は??何言ってんの、うぬって何??」


 予想外の反応に俺は思わず面食らった。


「え、いや……うぬは『貴様』という意味だが、そんなことはどうでも——」

「え??なんで貴様呼ばわりされなきゃいけないの。つーか、あんた誰??」


 どうもこういうタイプの人間とは話が噛み合わない。

 相手の言っていることもわかるのだが、何か、会話が噛み合わない。

 俺は一度、会話の流れを整理した。


「余は転生者だ。訳あって阿倍御主人と入れ替わった」

「何それ、そんな事できんの??」

「色々と方法と事情があるのだ。で、そろそろ余の質問に答えてくれぬか」

「質問??」

「いや、だから、うぬ……そなたは転生者か?」


 かぐや姫は何かに気づいたようにハッとした。


「え……そうだけど、なんでアンタ、私がそーだって知ってんの」

「知ってるも何も、そなたの言動を見れば一目瞭然だ」


 訝しげな目をするかぐや姫に、俺は答えた。


「まずその口調だ。昔の日本の貴族の口調とは似ても似つかぬ。まるでオツムの足りない女子高生のようだ」

「え、何でわかったの!?私が女子高生だったこと。え、何、怖いんだけど」

「いや……その口調で大体想像つくだろ」

「てか、オツム足りないって何??」

「何でもない。忘れてくれ」

「何。なんか今、馬鹿にされた気がすんだけど」


 かぐや姫は声のトーンを落としてふくれ面になった。

 その顔もまた可愛い。

 彼女を主人公に小説を書くなら、さしずめ『クラスの一軍女子ですが、スマホと一緒にかぐや姫に転生したので持ち前の美貌とコミュ力で帝ゲットします』といったところか。

 うん。絶対売れないな。

 誓って100%売れない。


 俺は面倒臭くなってきたので話を戻した。


「それから、そなたが持っているそれだ」


 俺はかぐや姫が手に持っているスマートフォンを指差した。


「え?だってこれ必需品じゃん。無いと死ぬって」

「いやだから、そういう事じゃなくて……昔の日本にそんなもの存在しないだろう。そなたがこの異世界の現地人でない、何よりの証だ」


 かぐや姫は何かに気づいたように驚きの表情を浮かべた。


「あ、確かに!頭いいね!」


 俺はこれ以上会話するのがもう面倒になってきた。


「それで、そなたは転生者ということで間違いないな?」

「え、さっきからそうだってゆってんじゃん」


 かぐや姫は俺と目を合わせずにスマホをいじりながら、何やら調べ物をしているようだった。

 電気もそうだけど、通信用の電波飛んでるの?

 基地局とか、通信会社とかどうなってんの?


 わからない事だらけだが、彼女がなんらかの手段で通信を確保しているのは事実のようだ。


「あ!やっぱ悪口じゃん!ひどい、サイテー」


 かぐや姫はスマホの画面を俺に向けてきた。

 どうやらネット(ネット……?サーバーとかウェブサービスとかあるの?この世界)で「おつむが足りない」の意味を検索していたようだ。

 かぐや姫は再びふくれ面になった。

 だがそんな顔でさえも、突き抜けた顔面偏差値のせいで女の俺でさえ胸がキュンキュンするほど可愛らしい。

 これは男が惚れない理由はない。


「いや、先ほどのは謝る。他意はない」

「またそーやって難しい言葉使わないでよ」

「悪かった。別に余はそなたに言外の悪意を持っている訳ではない」

「てーかさぁ」

「……なんだ」

「さっきから気になってんだけど、その喋り方って素?」


 俺は思わぬ角度からの質問に一瞬、固まった。


「一人称が『余』って、何??大魔王様か何かなん??フツーにウケんだけど」


 かぐや姫はケラケラと笑い出した。

 いや、確かに魔王だったけど。

 何か、言ってて急に恥ずかしくなってきた。


「……余は転生107回目だ。前世の異世界で魔王だったので、この口調がしっくりくるのだ」

「え!マジで魔王だったの!?超ウケんだけど。てか転生107回って何よ」


 かぐや姫は手を叩いて泣きながら笑い出した。

 なんだか無性に腹立たしさと怒りが込み上げてきた……

 斯様に生意気な小娘には、漆黒の闇より出でし黒い翼の——やめておこう。

 これは一軍女子にバカにされる陰キャの構図そのものではないか。

 突然、かぐや姫が何かを思い出したように俺に向き直った。


「あれ、それじゃあ今は何キャラに転生してんの?」


 俺は答える代わりに貴族の装束を脱いだ。


「え??ちょっと、何やってんの!……て、あれ??」


 俺は装束と烏帽子を脱ぎ、美少女の姿を露わにした。


「女の子……」


 かぐや姫は口を覆い、小さな声で囁いた。


「これは世を忍ぶ仮の姿だ」


 そう言って俺は鶴に戻った。

 かぐや姫は目を輝かせて俺を見る。


「え!なになにすごいんだけど!カワイイ〜!あ、もしかして『鶴の恩返し』??」

「いかにも」


 俺はすぐに美少女の姿に変身し、再び貴族の装束を纏い烏帽子を被り直す。


「すごーい!ツルちゃん、すごーい!」


 俺はとりあえずツルちゃんと命名される運命なのだろうか。


「あれ、でもなんでここにいるの?『鶴の恩返し』って、確か山の中のおじいちゃんの家の話だよね??」

「それも話せば長くなるのだが、今は訳あって桃太郎たちと共にいる」

「え??どういうこと??なんでツルちゃんが桃太郎の話に??訳わかんない」


 まあ当然の反応だろう。冷静に考えれば、俺にも訳が分からない。

 かぐや姫はふと気づいたように話題を変えた。


「そーいやさぁ、聞き忘れてたんだけど」

「何だ」

「アベちゃん、どこいったの?」

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