・重弩使いの少年 - 視力0.01 -
俺の来世、グレイボーン・オルヴィンの幼少はとても順風満帆とは言い難いものだった。
彼は生まれ付きの重度の近眼で、相手の顔を判別するだけでも、距離15センチの接近が必要なほどだった。
さらにその目は、なぜか眼鏡による矯正を受け付けず、医者たちは『呪いか何かではないか?』と言い、さじを投げた。
この弱い目のせいで父親と母親は口ゲンカが絶えず、幼いグレイボーンはそのたびに、自分自身の目を呪った。
完全に冷え切った夫婦関係が不倫に発展し、母親が男と駆け落ちしたことを知ると、この少年はますます根暗な性格に染まっていった。
しかし俺
視力に恵まれないグレイボーンが、常人並外れた五感を持っていることを。
・
母の居ない生活に慣れ、グレイボーンが8歳になったある日、彼は教区の司祭に進学を薦められた。
「都の学校……? ならんっ、お前は冒険者になる! そう父と約束したではないか!」
「そうだけど……こんな目で、無理だよ……」
母が出て行ったのが確か7歳の頃だった。
それからというものこの父親は、我が子に己の夢を押し付けるようになった。
父の名はロウドック・オルヴィン。
彼はその昔に名を馳せた冒険者で、彼らが暮らす屋敷と荘園は、活躍の功績として国に与えられた物だ。
しかし利き腕を失った後は人々に忘れられ、次第に変わり果てていった。
「クソ坊主どもに惑わされるなっ! お前には、この父を越える才能があるっ!」
「あるわけないよ……。そんなの、父さんの思い込みだよ……」
「違う! その筋力、俊敏性、そして子供離れした勘と状況判断能力! こんな才能を持った息子を、つまらん役人になどさせてたまるものかっ!!」
父、ロウドックの言うことは事実だ。
生まれ付きのハンデにより一寸先も見えないグレイボーンだったが、視力以外は戦士としてパーフェクトだった。
「聞いて、父さん! たとえ父さんの言うとおりだったとしても、こんな目じゃ戦えないんだよっ!!」
助け船を出してやりたかったが、俺という転生前の自我は、まだこのグレイボーン少年と融合し切っていなかった。
これは推測になるのだが、まだ8歳の少年の脳には、当時23歳だった俺の自我は容量オーバーか何かに当たるのだろう。
「お前まで……お前まで俺を見捨てるのか……。俺を捨てて、お前は母さんのところに行くつもりなんだろう……!?」
「ちが……ちがうよ……。俺はただ、もっと色々なこと、知りたくて……」
半分は嘘だ。
彼はこの狂いかけの父の前から逃げ出したかった。
「行かないでくれ……愛しているんだ、グレイボーン……」
「と、父さん……」
「お前は天才だ……。お前は天才なんだよ、グレイボーン……。父さんを信じてくれ……」
ここで父を拒絶して都に出ることも出来た。
グレイボーンは都の学校の寮に入って、そこで友達を作って、新しい人生を始めたかった。
「わかった、進学は止めるよ……」
「おお……グレイボーン……。ありがとう……愛しているよ、愛しているよ……っ!」
俺ならこの毒親を捨てて出て行った。
だがグレイボーンはそうしなかった。
彼は父親を捨てられないやさしい子だった。
「父さんを信じて、訓練をがんばるよ……。俺は母さんみたいに、父さんを捨てたりなんかしないよ……っ! 母さんは俺たちを捨てたんだっ!」
これのどこかが『無双展開が続くだけの凡庸な人生』だ。
『上り調子の毎日がずぅぅーーっと続く』どころか、破滅への転落人生じゃないか。
あのカマ神め、訴えてやる……!
今度会うことがあったら社会人における『ほうれんそう』のなんたるかを、小一時間説教してやる!
ド近眼でろくすっぽ前が見えませんよと、ちゃんと説明しろやっ、あのクソセイウチがっ!
少年は父親に隠れて勉学を進めながらも、父親が課す厳しい訓練を乗り越えていった。
重弩を使え。
そう俺の分身に伝えたかったが、コイツも父親と同じくもう病んでいて、いくら俺が訴えても聞く耳を持たなかった。
・
それから長い時が流れ、グレイボーンが15歳を迎えると、彼の身に転機が訪れた。
父親が死の病を患い、それをきっかけに姿を消した母親が帰って来たのだ。
母は異父兄弟に当たる8歳の少女リチェルを連れていた。
母が父の看病で手一杯になると、青年グレイボーンがその子の面倒を見ることになっていた。
「お兄ちゃん、変な顔っ!」
「うるさい、静かにしろ……」
「何やってるのー?」
「……勉強」
「なんで? なんで、お勉強するのー?」
「うるさい、黙れ」
「なんで? なんでー?」
グレイボーンはあまりいい兄貴じゃなかった。
妹のリチェルのことを無意識に妬んでいた。
リチェルが天真爛漫で純粋な姿を見せるほどに、彼は深く苛ついた。
ああ、もったいない……。
ピンクの髪の美少女ロリに付きまとわれるなんて、こんなのお金を払っても出来ない貴重な体験なのに……。
そこを代われグレイボーン!
今すぐリチェルを肩車させろっ、散歩に行かせろっ、甘やかせろっ!
生前の俺はあまりいい兄貴じゃなかった!
そんな俺だからこそ、2度目の人生ではやさしい兄貴でいたいんだ!
「いいか、お前のお母さんは俺たちを捨てたんだ。だから俺は、お前のお兄ちゃんじゃない」
ああ……最悪の言葉だ……。
兄貴として、それはないだろう……。
「……わかった。じゃあっ、これからリチェルのお兄ちゃんになってっ!」
「なるかバカッ!」
精神の融合の暁には、リチェルをだだ甘やかそう……。
その時の俺はそう心に誓った。
・
リチェルがやって来て4~5ヶ月が経った頃だろうか。
父の病状は日に日に悪化し、母もそれだけ憔悴していった。
そうなるとそれだけ、リチェルの面倒をグレイボーンが見ることになる。
食事は当然として、湯浴みから髪結い、着替え、就寝まで。
全て兄が妹の面倒を見た。
ところがそんなある日、リチェルが消えた。
また屋敷を抜け出して近隣の荘園へと遊びに行ったのだろうと、兄は妹を捜しに屋敷を出た。
「リチェル、リチェル! あのバカッ、なんで俺の言いつけを守らない!」
しかしいくら探しても見つからない。
兄は予定を崩されて怒っていたが、次第にそんな身勝手な感情は失われていった。
人を使って荘園中を探させても、リチェルは見つからなかった。
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