第48話 憧憬
家の二階には寝室以外に二つ部屋がある。一つは俺の自室で、もう一つは何にも使っていない部屋だ。
セティが寝る妨げになってはいけないので、リィズを自室に通したあと、飲み物の準備をするために階下に降りてきた。
『そんなふうに見えてたのね……私はファレル君にたまに素材採取のお仕事を頼んだり、時々酒場で同席したりしてるだけよ』
風呂場からの声が居間にも聞こえてくる――耳を澄ませているつもりはないのだが。おそらくメネアさんは、俺がまだ寝ていると思っているのだろう。
『申し訳ありません、セティ殿があまりに気立ての良い子なので、三人でいる姿は理想の親子のようで……』
『私はセティ君のこと、歳は離れているけどお友達になれたらって思っているけれど。アールちゃんもね』
『ちゃ、ちゃん……そんなふうに呼ばれたのは久しぶりです』
『あら、お風呂上がりなのにまた顔を隠しちゃうの? きれいな金色の
『あとは就寝するのみですから。私は寝る直前までこの格好の方が落ち着くのです』
『替えのフードとマスクも持ってるのね……もしかして本業は隠密行動をする仕事とか?』
『いえ、むしろ逆で……詳しく話せず申し訳ありません。今は冒険者のアールですので』
そろそろ二人が脱衣所から出てくる――俺はテーブルの上に二人分の飲み物を置き、『良ければどうぞ』と書き置きをしておいた。
◆◇◆
「ああっ……そんな、こんな夜分にお手数をおかけしてしまって」
「気にしないでくれ、俺も少し喉が渇いてたからな」
瓶に入れて冷やしておいたハーブ茶を注ぐ。ただの水でも良かったのだが、このお茶なら睡眠の妨げにならないし、飲んでいるだけで疲労に利く。
リィズは家の中で被るための帽子があるようで、獣耳の形に合わせて作られていた。
「……その耳の形って、猫……だよな」
「はい、細かいことを言うと山猫ですわね。猫族にも色々と種別がありまして……」
「山猫なのか。あの敏捷性は種族柄ってことなのかな」
「個人差がありますが、私の父はどちらかといえば魔法の扱いに特化していますわね。母は舞踊家で、私と同じように格闘の嗜みがあります。一族に伝わる護身術ですわ……ん。冷たくて美味しいです」
ハーブ茶を飲んで喉を潤すと、リィズは微笑んでみせる――彼女の振る舞いを見ていると、やはり思うところがある。
「なぜ冒険者になったんだ? 獣人の里から一人で出てきてエルバトスに来るには、相応の覚悟が必要だったろう」
「……私の従姉は、五年ほど前に冒険者になると言って村を出ました。彼女が行くと言っていたのがこのエルバトスです」
「そうだったのか……その従姉に会うためにここに来たんだな」
「それも目的の一つですが、私は従姉が羨ましかったんです。私は村の教会で、僧侶としてのお勤めをして一生を終えるはずでした。でも、村の外には広い世界があると知ってしまったら、どうしても憧れてしまいました」
「……それは、自分を咎めるようなことじゃない。俺も自分の元いた場所を離れて、ここに来たんだ」
「ファレルさんも……そうだったのですね。そう言ってもらえると、少し楽になります。村の人たちのことは大好きですし、私がすぐに戻ってくると思っている父や母にも、申し訳ないという気持ちはあって……それでも、ファレルさんたちに迷宮の中で助けられたとき、思ってしまいましたの。まだ冒険を続けていられるって」
雷で強化された
「あの時はセティと一緒に走ったんだ。間に合って良かったよ」
「お二人はとても素敵でした。ファレルさんが剣を刺して地面を爆発させる技なんて、おとぎ話の英雄みたいでしたわ」
「パーティを組んでる時はいいが、リィズも距離を置いて攻撃できる手段は確保するべきかもな」
「はい、教会に行った時に教わるつもりです。僧侶魔法には攻撃の魔法もありますので。黒い蛸と戦ったことで、私はちょっとしか参加できていませんけれど、なんだか強くなれた気がしますの」
身構えてみせるリィズ――その勇敢さは見ていて頼もしい。
しかし酒を飲んだ後だからか、こうして見ると顔がまだ赤くなっている――さらには、なぜか急に落ち着かなそうにし始めた。
「そ、それで、あの……ええと……」
「そういえばリィズ、その尻尾だけど……外から見ると全くわからなかったが、どうやって隠してたんだ?」
「……尻尾は、身体に巻いたりしています。尻尾が長かったり、毛量が多い種族の方も、うまく服の中に隠していますわね。穴を開けて出してしまう人もいますが」
「そういうことか……いやすまない、変なことを聞いたな」
「……ファレルさんは、犬と猫ならどちらが好きですの?」
急に質問が飛んできたが、なかなかの難問だ――メネアさんも難しいと言っていた。
「俺はまあ……動物全般が好きかな」
「ふふっ……ファレルさんらしい答えですわ。ではちょっとだけ、山猫の魅力というものをお伝えしましょうか……」
「え……」
リィズが席を立つ――そして、休憩用の長椅子に腰掛けた。
冒険の間はまったくその存在に気づかなかった尻尾だが、リィズの背丈の半分ほども長さがあり、見るからにフサフサとしている。
「……ファレルさん、これはやましいことではなく、尻尾まくらというものなのです。恩人に対して感謝を伝えるときの、山猫族のやり方の一つですわ」
「し、尻尾まくら……?」
「はい。先ほど、ファレルさんのベッドで寝てしまっていたのですけれど……そのお詫びをしなくてはと思っていたら、ファレルさん本人がやってきたのですわ」
「いや、それは別に構わないが……」
「いいえ、私が構うのです。ですから……」
リィズの尻尾が動いている。誘っているようだ――なんていう勘違いは、若い頃の俺ですらしない。
――しないのだが。ハーブ茶を飲んでもまだ酔いが抜けていない。飛び茸を酒と一緒に摂るとここまで効果が長引くのか。
「もちろん、このことは誰にも内緒に……」
リィズが唇に人差し指を当てて言う――その瞬間だった。
カタン、とどこかから音が聞こえた。その音にリィズは敏感に反応し、ビクッと身体を引いてのけぞっている。
「……あっ……すっかり失念していましたが、メネアさんとアールさんがお風呂からそろそろ出てきていますわね」
「リィズは入ったのか?」
「こちらに来る前に、自分たちの宿で一度入っていますが。せっかくですので、お借りしてもよろしいですか?」
「ああ。話が聞けて良かったよ」
何事もなかったように、リィズは風呂の支度をして階下に降り、俺は寝室にやってきた。
「……すぅ……」
セティはよく眠っている。ということは、さっきの音は気のせいだったのか。
(……猫の毛が……ほんとに寝てたんだな)
俺のベッドに座ってみると、サラサラとした長い毛が落ちている。リィズが寝ていた寝床でそのまま寝るのもどうかと思えるが、今夜はどうしようもない――というか客人用のベッドが無いので、この部屋を四人で使ってもらうしかなさそうだ。
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