第45話 街角
装備品を収納具に詰め込み、帰り支度が済んだあとは、個室浴場の外で涼みつつセティを待つ。それほど広くない脱衣所に俺がいると狭く感じてしまうだろう。
「あら……こんなところで。こんばんは、ファレル君」
通りがかったメネアさんに声をかけられる。言われてみれば、もう夕暮れから夜に移る時間だ。
「こんばんは。迷宮から帰ってきたもので、ちょっと風呂を借りてました」
「お疲れ様。セティ君は今着替えてるところ?」
「そうですね。メネアさんは外出の帰りですか?」
「ええ、ちょっと医院に薬の納品をね。ご飯を食べるタイミングを逃しちゃって、近くでお店を探そうと思ってたところなの」
「お待たせしました、ファレル様……あっ、薬師の方ですね。その節はお世話になりましたっ……!」
メネアさんの店にセティを連れて行ったときはまだ話せない状態だったが、今はすっかり元気になった――その姿を見て、メネアさんも喜んでくれている。
「やっぱりファレル君って、不可能を可能にしちゃうところがあるわよね……いえ、セティ君が元気になるのが不可能っていうわけじゃなくてね?」
「い、いえっ……僕も、こんなふうに元気になれるなんて、自分でも思ってなかったので……全部ファレル様のお力によるものです」
「ふふっ……その人は素直じゃないから、違うって言いたそうだけどね。お姉さんには分かるのよ、ファレル君がどれだけセティ君に甲斐甲斐しくしてたか」
「勘弁してください……それは、元気になってもらいたいと思うのは当然というか」
メネアさんは口を隠して笑っている。本当に楽しそうだ――仕事で疲れている様子だったが、この人は日が落ちてからの方が元気なのか。
「さてと、私はどこかのお店で食事をして帰るわね」
そう言いつつもメネアさんは何か言いたげにしている――察しの悪い俺でも気づかざるを得ない。
「えーと……メネアさん、セティの了承を得られたらですが、うちで食べていきますか?」
「ええっ、いいの? そんな、何だか催促したみたいで申し訳ないわね」
待ってましたとばかりの言い方に思わず嘆息する。そんな反応すら、彼女に喜ばれているのは分かっているが。
「はい、僕は大丈夫です。メネアさん、今日はお庭で串焼きをするんですよ」
「あらあら……温かくなってきたし、外で串焼きを食べながらお酒なんて飲めちゃうと、勝ったっていう気分になるわよね」
「分からないでもないですが……メネアさん、酒はエールでいいんでしたっけ」
「何でもいけるわよ、ファレル君のところって冷蔵できる貯蔵庫があるのよね。冷やすと美味しいお酒といったら、やっぱりエール?」
「発泡ワインもいいですよ。知り合いの店に入ったら教えてもらうように言ってあるんで、今家には二瓶あります」
「はぁ~……ファレル君って本当にお酒にも詳しいし、すごく気が利くから、そのうちお婿さんに行っちゃいそうで心配になるのよね。セティ君もそう思わない?」
「えっ……そ、その……お婿さん……」
メネアさんの冗談なので流してもらっていいのだが、セティは顔を赤くして黙ってしまう。
「メネアさん、セティをからかうのはご法度ですよ」
「はーい。お酒の話を聞いたら嬉しくなっちゃって……ごめんなさいね、こんなお姉さんで」
「い、いえっ……僕のほうこそすみません、すぐに何を言っていいかわからなくて……」
セティの素朴な反応に、メネアさんも反省してくれている。これならそちらの話題を引っ張ることもなさそうだ。
「じゃあ、早速行きましょうか……どうしたの? ファレル君」
「あ……いや、気のせいだと思います」
どこからか視線を感じた気がしたが、すぐに気配は消えてしまった。こういう勘は当たることもあるが、百発百中というわけでもない。
「ファレル君の勘ってものすごく当たるのよね。野性の感覚って言うのかしら」
「そ、そうなんですね……でも、ファレル様は……」
「そんなに心配しなくても大丈夫だぞ、セティ」
「っ……は、はい。そうですよね、ファレル様がいらっしゃったらそれだけで安心です」
野性と言われるほど無骨だろうかと思うが、否定はできない。メネアさんが対処しづらい話題を投げ込んでこないように祈りつつ、何気ない話をしながら家に向かった。
◆◇◆
ファレルたちが利用した個室浴場からさほど離れていない場所に、『金色の薫風亭』や冒険者の宿がある――リィズとアールの使っている宿もその一つである。
「……あ、あの……アール、さん……?」
ファレルが感じた視線の主は、アールその人だった。同行していたリィズは、アールの放つ気迫に気圧されている。
「あ、あれはきっと、友人の方に会ったということではないですか?」
「……セティ殿を含めて三人で歩く姿は、リィズ殿にはどのように見える? 忌憚のない意見を聞きたい」
答えを間違えたら死ぬ――というのは言い過ぎでも、それくらいの状況にある。
そう直感したリィズは、無難な答えを選びかけて、アールに冷たい目で見つめられて思い直さざるを得なかった。
「……まるで親子のようで……ひぃっ……だ、駄目ですわ、刃傷沙汰は……っ」
「ん……い、いや、別にそんなことをするつもりは……ただ、私はファレル殿たちにお礼をしようと思っていただけなのだ。そうだ、だからこれは尾行ではない」
「尾行って言ってしまっていますけれど……良いんですの? ファレルさんはこちらに気づきかけていましたよね」
「何という鋭敏な……もう少し気配を絶つのが遅れていたら、私たちのことに気づかれていただろう。やはりあの方は只者ではない」
「……ずっと気になっていたのですが、アールさんはファレルさんの話をするとき、いつも嬉しそうですわよね」
「っ……あ、あれほどの腕を持つ武人を尊敬しないわけがない。彼は本物だ」
「そこまで心酔なさっているのに、いいんですの? ここから先は覚悟が必要ですわよ」
「……覚悟とは、なんだろうか」
アールは急に大人しくなる。外套を羽織り、ずっとフードを被ったままでマスクも外さないこの人物は、もしかしなくてもとても奥ゆかしい性格なのではないかとリィズは思い始めていた。
「あの方……たぶんエルフとのハーフの方だと思いますけれど。あの女性と、ファレルさんが、その……し、親しい間柄という可能性も、否めなくはないということですわ」
「……だとしても、ファレル殿に感謝を伝えなくてもいいという理由になるだろうか。いや、なるまい」
「自己完結していますけれど……分かりましたわ、こうなったら私も覚悟を決めます。アールさんの友人として、地獄までお供いたしますわ」
「地獄というつもりはないのだが……その気持ちは嬉しく思う。我が友よ」
リィズとアールはがし、と固く握手をする。そして、ファレルたちが歩いていった方向に慌ててついていった――物陰に隠れて、決して見つからないように、細心の注意を払いながら。
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