第44話 学者

 ――エルバトス外郭西区 十番街―


 以前も尋ねたことのある鑑定所。この店の店主はハスミの姉で、素材調査を行っている『学者』だ。


 店に入ってみると、確かに『営業中』と出ているはずだが誰もいない。


 ――かと思いきや、カウンターの向こうで、揺り椅子に座ったままで寝ている女性がいる。


「……店を開けたままで寝てていいのか?」

「……ん。やあ、ファレルじゃないか。ちょっと休んでいただけだよ」


 彼女は白狐族の特徴である獣耳や尻尾は魔法で見えないようにしている。そのため、パッと見ただけでは獣人とは分からない。


 学者としての正装ということらしく、いつも白衣を着ている。医者のエドガーも同じような格好をしてはいるが。


「君がファレルのところに来たっていう子か……少年、でいいのかな」

「はい、セティと申します、よろしくお願いします」

「私はハスミの姉でヒヅキという。ファレルには妹が助けられたことがあってね、それから親しくさせてもらっている」

「親しく……ご友人ということですか?」

「うん、そうだね。私にとって彼は初めての、人間の友人だ」


 初めて会った頃のヒヅキの『人間嫌い』は相当なものだったが、今では俺以外にも知り合いが出来て、この街に馴染んでいる。


「ハスミは今、上でお昼寝をしているよ。鑑定品が多く持ち込まれてね、さっきまで鑑定書を作っていた」

「それは大変だったな……」

「ファレルも鑑定の話なら、少し後にまた来てくれるかな……ん? そうじゃない?」


 俺はヒヅキに、先程階層主を討伐してきたこと、その素材をまだ持ち帰っていないので、現地で見てもらいたいという旨を伝えた。


「なるほど、転移陣か……そして、階層主の黒い大蛸。蛸という生き物は、昔は貝殻を持っていたんだけれど、今となっては無くしてしまっているものがほとんどだ。つまりその大蛸は、蛸の原種のようなものだと考えられるね」

「そもそも迷宮の中に蛸がいるっていうのが、どういう理由なのか分からないけどな」

「一つ考えられるのは、その辺りが昔海の中だったとか。もう一つは、大迷宮の中に魔物が出現する現象の一環で、突如として現れたかだね。『自然召喚』とも言えるものだ」

「すごい……ヒヅキさんは、何でもご存知なんですね」


 セティが目を輝かせている――ヒヅキは気を良くして、揺り椅子から立ち上がってこちらにやってきた。


「私はこの近くで場所を借りて私塾もやっていてね。セティ君も良かったら顔を出さないかい? ファレルも来ていたことがあるんだよ、勉強したいと言ってね」

「素材の知識があれば、何を持って帰ってくればいいか分かると思ってな……まあ、膨大すぎて一部しか覚えられなかったが」

「ファレル様も……それなら、僕もヒヅキさんの授業を受けてみたいです」

「いい子だ。まあ、そういった用でなくてもここには来てもらって構わないよ。ハスミはセティ君のことも気に入ったようだからね」

「……お姉ちゃんが色々言ってるけど、だいたいはあってる」


 話し声が聞こえたからか、ハスミも二階から降りてきた。この二人の種族柄なのか、店の中では珍しい服を着ている――こうして見ると姉妹で良く似ている。


「お姉ちゃん、ファレルたちと一緒に行くの?」

「留守の間が心配だから、お店は閉めておくことにしよう。ハスミもたまにはゆっくりしているといい」

「うん、分かった。ついていきたいけど、私の術はまだまだだから」

「できれば明日あたりに頼みたいんだが、予定は大丈夫か?」

「ああ、大丈夫だよ。明日の午前中には君の家を訪ねよう」


 無事に約束は取り付けられた。あとはシーマだが、連絡先は『天駆ける翼馬亭』としてあるので、明日の朝に顔を出して確認すればいいだろう。


   ◆◇◆


 夕飯の材料を買い足して、一旦家に戻る――荷物を置いたあと、近隣の浴場を借りるために再び家を出る。


「迷宮から出たあとは、貸し浴場を使うんだ。冒険者は結構そうしてるやつが多い」

「なるほど……」

「セティは家の風呂の方が落ち着くか?」

「っ……は、はい、そうなんですけど。ファレル様と二人なら、大丈夫です」

「公衆浴場は結構混んでるからな。金があるときは個別風呂にした方がいい。そういう冒険者向けの施設があるのが、エルバトスのいいところだな」


 話しつつ風呂屋に向かう。二人で料金は銀貨1枚ずつ――ちょっとした仕事をするだけでは個室風呂になんて入っていられないが、俺たちの場合は問題ない。


 鍵を借りて、脱衣所に入る。装備を外そうとしたところで――セティが部屋の端っこで、顔を覆ってこちらを見ている。


「そうか、まだ緊張するよな……」

「い、いえっ……その……ファレル様には、先に入っていていただけると……」

「ああ、分かった。じゃあ中で待ってるからな」


 浴室に入る――小さめの浴槽で、二人で入ると湯が溢れるくらいではある。


 まず湯を浴びて汗を流し、それから髪を洗い始める。すると、セティが入ってきた。


「……ファレル様、髪を洗ってさしあげても良いですか?」

「ん……いや、自分で……」

「い、いえっ。その、洗い場が一つだけなので、ただ待っているより何かさせていただけたら……」


 そういうことなら断るのも悪いか――先に浴槽に浸かるというのは、セティとしては無しらしい。


「じゃあ、頼んでいいか」

「っ……はい。ファレル様、こういう感じでいいでしょうか」

「もう少し強くしてもいいぞ」


 セティの手付きは最初はぎこちなかったが、徐々に慣れていく。


 人に髪を洗われることなんて、子供の頃以来だ――徐々に慣れてきたセティは手際も良くなり、眠くなるほど心地が良い。


「……では、泡を流しますね」

「ありがとう。後は自分で……」

「いえ、まだ終わっていませんから。ファレル様はじっとなさっていてください」

「そう言われてもだな……セティも疲れてるだろうに」

「そんなことはありません、全然元気です」


 声が弾んでいて、微妙にはしゃいでいるようでもある――そうなると俺も弱く、セティのするがままに任せてしまう。


「……ファレル様……背中には傷がほとんどないのに、その、身体の前のほうには……」


 風呂上がりに首元が見えるような服を着ていたので、見えていただろうか――俺の身体の正面側にはいくつか傷がある。


「まあ、なるべく敵の攻撃を正面で捌くようにしてるからだな」

「……ファレル様は、どんな相手を前にしても決して下がることをなさらない。その勇敢さを、慕わない人なんていません。今日一日だけで、そのことがよく分かりました」

「それはどうだろうな……まあ、逃げる方がいいって時は逃げるけどな」

「僕もそう思います。そのときは、僕が炎や雷で、追ってくる相手を牽制しますね」

「そいつは頼りになるな。もう俺と同じ中級冒険者か……セティはどんどん強くなっていくんだろうな」


 何気なく口にしたことだったが、セティが俺の背中を洗う手が止まる。


「どうした?」

「……僕はファレル様と一緒に、強くなりたい……です。駄目ですか……?」

「っ……あ、ああ。すまない、突き放すみたいに聞こえたか」

「良かった……すみません、勝手に不安になってしまって」


 セティは俺の腕を洗ってくれる。後ろ側から手を伸ばして洗ってくれているので、背中にセティの身体が触れている――固く巻いている包帯の感触だ。


 傷はもう癒えているのなら、上半身の包帯は外してもいいんじゃないか――そう思うが、セティがどうしたいかが大事だ。


「ファレル様、気になるところはありませんか?」

「ああ、大丈夫。じゃあ俺も、セティの髪だけ洗うことにしようか」

「は、はい……すみません、包帯はつけたままの方が落ち着くので」


 セティに座ってもらい、髪を洗い始める。折れていた角が再生してきている――それでもまだ大きく欠けているので、完全に再生するには時間がかかりそうだ。


「この辺りは触っても大丈夫か?」

「はい、もう大丈夫です……ファレル様、お上手です」

「それは良かった」


 泡を流すと、セティは後ろ手に銀色の髪を上げてから布でまとめる。


「……え、ええと。ファレル様……その……」

「ああ、俺はもう出た方がいいか?」

「い、いえっ……せっかくお借りしたのに、出てしまうのは勿体ないです」


 しかしセティは身体を洗わなければならず、それを俺に見られるのは恥ずかしい――ということであれば。


「じゃあ、こうするか」

「ありがとうございます、ファレル様」


 俺は浴槽に入り、セティに背中を向けた状態になる――壁の方を見ているのもなんなのでいったん目を閉じる。


 どうやら今セティは包帯を解いているらしい。傷の状態を見たほうがいいのではとも思うが、それはエドガー医院のリベルタに頼むべきことか。


「……ふふっ」

「どうした、セティ」

「いえ。ファレル様のことをこうして見ていると、何だか落ち着きます」

「っ……なんだそりゃ……」


 セティが身体を洗い終えるまで待って振り向くと、しっかり包帯が巻き直されていた――入れ替わりでセティに浴槽に入ってもらい、俺は先に脱衣所に出る。


「~♪」


 浴室からは前にも聞いた、歌詞のない歌が聞こえてくる。後で歌のことを聞いたら教えてくれるのだろうか――そんなことを考えながら、帰りの服に着替えた。

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