第39話 黒王蛸の味

 蛸という食材は海沿いや港から近い地域では食べられているが、王都においては珍味、あるいはゲテモノとされてしまうこともある。


 何しろ見た目が問題だ。そのまま蛸が魔物になったようなものもいるため、蛸を食うのは魔物を食うのと同じだという人がいるくらいである。


 俺からすると、蛸は時々食べるには良いというくらいである。港町でお勧めのメニューになっていれば頼む確率は高い。だが、あの蛸料理が食べたいからと二度同じ場所を訪ねることまではしない。


 それくらいの食材だ。俺が作ったのは蛸の漁師炒め――他の食材と合わせずに蛸のみを単体で食べても、まあこれくらいの味だろう、リィズが言う通り大味かもしれない、というくらいの気構えだった。


「……海が……」


 この迷宮の底で、大海を感じた。


 蛸という食材に対する認識が塗り替えられた。歯応えは絶妙で、適度に押し返してくるが噛み切る時には小気味よく切れる。そしてジュワッと旨味が広がる。


 淡白で、どちらかといえば食感を楽しむ食べ物。肉や魚があればそちらを優先して使ってしまうので、蛸に手が伸びるのはいつもと変わったものが食べたい時、肉や魚の脂を少々重く感じる時などの事情がある場合――だがこの蛸は違う。


「これが魔物の……階層主の味。ファレル殿の味付けの加減も絶妙で、炒めた時に出るスープに深い味が出ている……何なのだこれは……っ、あれほど苦戦させられた相手なのに、何故こんなにも……っ」

「ふにゃぁ……実を言うと蛸って初めて食べたんですけど、こんなに美味しいんですのね……魔物を食べたのも初めてですけれど、ファレルさんが食べてみようって言うのも納得の味ですわ。本当に美味しい……」

「……ファレル様っ……な、何か……身体が、熱く……っ」

「っ……お、俺も……駄目だ、めちゃくちゃ熱い……っ」


 触手に絡みつかれた時に感じた喪失感が、そのまま戻ってくる――のではなく。


 料理として摂取することで、想像した以上の効果が生まれている。身体の内側から生じるこの熱さは不快ではなく、むしろ心地良い――しかし困ったことに、この熱さからくる衝動を抑えきれない。


「熱い……っ、身体に活力が直接注ぎ込まれたような……なぜこんなに熱いのだ……っ」

「はぁっ、はぁっ……も、もう駄目です……はしたないですけど、今ばかりは……っ」

「ファレル様……すみません、お見苦しい、ところを……っ」


 仲間たちがそれぞれ装備を外し、服をはだけている――それほどにこの熱さを堪えようがないのだ。


 俺も気づけば鎧を外し、上半身裸になっている。それで熱が鎮められるわけでもなく、全身から湯気を発しながら、さらに料理を口に運ぶ。


「止められない……っ、ファレル殿、貴方が悪いのだぞ、私によくも、こんな美味を……っ!」

「ああ……汗をかくのは苦手なんですけど、この料理だけはどうにもならないですわ。罪深いことです、こんなに後を引いて……っ」

「ファレル様、パンにつけて食べると美味しいっておっしゃっていましたよね……どうぞ、召し上がって……」

「じ、自分で……んぐっ……」


 海鮮を炒めた油にはダシが出ている。セティは少し焦げ目をつけたパンを浸し、俺に差し出してくる――油が垂れそうになったので、こちらから行かざるを得なかった。


 ひとくち目でこれでもかと襲ってきた旨味が、ギュッと濃縮されている。


 そんなことになってしまったらどうなるのか。身体の熱さはさらに限界を超え、辛うじて繋ぎ止めた意識は幸福感にさらわれ、持っていかれそうになる。


「あぁ……罪を犯した私に与えられた施しとしては、あまりに……神よ、このような至福の中にいることをお許しください……っ」


 シーマはひたすら神に祈っている――せっかく着せた服も脱ごうとして、辛うじて自制しているような状態だった。


 だがシーマと俺たち四人とでは、料理を食べた後に明確な差が生まれている。俺たち四人は身体に光を纏っているのだ。


 階層主を倒したメンバーは、特別な効果を得られているということか。魔力が失われていない、鮮度の高い状態で食べたことで起きた変化なのか――それは分からない。


「それで……魔法は使えるようになったか?」

「はい、転移魔法はいつでも行使できます。申し訳ありません、あちらに私の仲間がいるのですが……」

「ガディのことなら、連れて帰ってもらって構わない。どんな要領で転移させるんだ?」

「冒険者の遺体を回収するときに使う魔法では、私の魔法の使用回数が足りなくなります。この場と街の外れにある空き地をつなぐ転移陣を設置するというのはいかがでしょうか」

「そんなことができるのか……」


 そんな魔法を使えていながら、セティを助けなかった――やはり許すことはできないが、こうして俺の言うことに従っているだけでも、正気に戻ったときに壮絶な思いをすることになるだろう。


 それが罰でいいのかは、セティの気持ちを尊重したいところだが。彼を見ても、何も言わずに微笑むだけだ。


 シーマが転移陣を作り始める。少し離れた場所でそれを見ながら、セティは横にいる俺の様子をうかがう。


「あいつらはセティがここにいることさえ気づいてない。セティは、それでも……」

「あの人たちと戦って、ファレル様がガディをやっつけてくれて。それが、凄く嬉しかったから……だから、もうあまり怒れないのかもしれないです」

「……そうか」

「あの二人がこれからどうなるか分かりませんが、きっとすぐに冒険はできません。そうなった時に、ジュノスたちがどうなるか……」

「仲間二人の帰りを待たずに進んでるか、それとも……転移ができるシーマがいなければ、想定した動きはできなくなるはずだが。それはおそらくジュノスの誤算だ」


 『黎明の宝剣』が何をしようとしているのか。今のシーマからなら聞き出せる――まずはグレッグたち生き残りを医院に運ぶこと、見つかった遺体を教会に運ぶことだ。


「……あっ……す、すみません、身体が熱いので、防具を外しちゃったんですけど」

「ははは……俺も外してるけど、あれはヤバいな。美味すぎてこうなるとは」

「は、はい。でも……ファレル様と一緒にもっと美味しいものを見つけるために、頑張りたいです。もちろん、食べることだけじゃないですよ?」

「分かってる。一つずつやっていこうな」


 バンダナの上からセティの頭に手を置く。今までは照れるだけだった彼だが――今回は、照れたあとに頬を膨らませて見せる。


「……子供扱いはしていただかないくらい、立派になりたいです」


 今でも十分立派だ――と言うと甘やかしているようなので、ただ笑って頷く。


「本当に仲が良いですよね……見ていてこっちが笑顔になるくらい」

「……全くだな。正直を言って、少し妬ける」


 リィズとアールは俺たちの会話には入らずに、微笑ましそうに見ている。時にはこういうのも悪くはない、そう思った。


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