第38話 未知の食材

 裸のシーマをそのままにしておくわけにいかず、収納具から取り出した非常用の着替えを着せる。俺のシャツが粘液まみれになるが、やむを得ない。


 大蛸は残存した魔力が尽きるまでは腐敗が始まらない。これは迷宮内の魔物全てに言えることで、魔力が尽きると瘴気を吸い込み始めるため、瘴気を防ぐ『祝福の紙』で包まなければすぐに駄目になる。


「……精気を吸い続けるために、遺体を綺麗なままで保存していたのか。全くぞっとしない魔物だな」


 触手が人間に絡みついてできた人柱を解き、出てきた遺体は綺麗なままだ。階層主はこういった傾向があり、冒険者を捕らえた場合、何がしかの目的に利用することが多い。


 そういった意味では、徘徊している獰猛な魔物の方が危険だ。探索者を獲物として見ている魔物と戦い全滅した場合、教会で蘇生できる可能性は低くなる。


「男性が13名、女性が8名……徽章やタグなど、身元を判別できるものは残っていないのでしょうか」


 アールは遺体を見た経験があるのか、動揺もなく調べてくれている。リィズは少し青ざめていたが、恐れるばかりではなかった。


「こんなにも多くの人達が、この魔物の犠牲に……神よ、人々に今は安寧の眠りを……」

「リィズ、死霊が寄ってくるのを防ぐことはできるか? 死者に取り憑かれたら戦うしかないからな」

「は、はいっ……聖水がひと瓶でどれくらい持つか分かりませんが、簡易結界を作りますわね」


 リィズはポーチから聖水を取り出して周囲に撒き始める。セティは周辺の探索を行っていたが、何かを持って戻ってきた。


「ファレル様、向こうに小さな部屋があって、そこにいっぱい荷物が置いてありました」

「恐らく捕まった人たちの所持品だろうな」


 遺体を回収するのも困難であるため、さっき見かけた回収隊に接触するか――あるいは、転移魔法が使えるような人物の力を借りるか。つまりそれは、気を失っているシーマに頼むということになるのだが。


「もし階層主に捕まっていたら、私たちもこうなっていたかと思うと……」

「そうだな……奴が捕らえた人間に対してまずすることが、装備を解除することのようだからな」


 装備を外されかけたことを思い出したのか、アールがフードを深く被り直す。


「……あ……」


 セティが言いかけた言葉を飲み込む。シーマが薄く目を開け、ゆっくりと身体を起こした。


 全く感情が読み取れない表情――得意の毒舌でも出てくるのかと思いきや。


「……申し訳ありません、お見苦しいところを」


 皆が唖然とする――シーマが俺を見るなり、その場に身体を伏せた。


 頭を下げているというより、もはやこれは服従だ。そんなことになる理由が思い当たらないので、まず演技を疑う。


「っ……うぅ……」


 ぐぅぅ、きゅるる。


 この音は――俺ではないし、仲間たち三人も顔を赤くして首を振る。


 ということは、音の主はシーマしかいない。彼女はお腹を押さえている――こんな状況でも腹は減るということか。


「……主の命に従わなければなりませんが、不本意ながら、このままでは動くことができません」

「急に何を言い出すのだ……それに、主とはファレル殿のことか? さっきまでは階層主に従っていたのに、何故心変わりを……」

「階層主がこの人を従わせていたのなら、その階層主を倒したファレル様に、主人が変わったということでしょうか……そ、そんな、ファレル様を主人にするなんて、この人だけは絶対に駄目です……っ!」

「だ、大丈夫だ。俺も良く分かってないしな……それに、これまでのことを考えてもまったく良い印象がない」

「これまで貴方様に取ってきた態度についても、全て撤回させてください……今までの私はどうかしていたのです。利用価値があるとはいえ、あの不遜な男と行動を共にして……」


 セティはシーマを睨んでいるが、今の状態のシーマに対して困惑してもいるようだ。


「……この人が言っていることは、本心じゃない。でも、今のこの人に対して怒っても仕方がありません」

「そうか? お仕置きの一つくらいしてもいいと思うが……」

「どのような罰もお受けいたします、ですから貴方様にお仕えすることをお許し……くださいっ……」


 話しながらもぐぐぅ、きゅるると音がする――こちらには何の意図もないのに、一種の罰を与えているような状況だ。


「大蛸に捕まると、お腹が空いてしまう……ということなんでしょうか?」

「おそらくそういうことだな。あいつに吸われるのは精気だけじゃないってことだ……魔力もある程度持っていかれたからな」


 言っていて、ふと思いつく。


 これまで階層主を討伐したパーティの中には、階層主を食べてみたという記録を残している者がいる。それを知った時から、少なからず興味を抱いていた。


 複数のパーティを全滅させた怪物。戦いにおいても苦戦させられた――そんな相手を食うという発想は、少々冒険が過ぎるのかもしれないが。


「……奪われた力を取り戻せるかどうか。一部を食っただけでは効果は知れてるが、やってみる価値はあるか」

「っ……この大蛸を、食べる……」

「その発想は無かったですわね……こんなに大きいのですから、大味だったり……い、いえ、知らないのに決めつけるのは尚早ですわっ」

「ファレル殿がそうおっしゃるのならば、私も腹を括ろう」

「ちなみに最低限の水と食料も持ってきているから、蛸が不味かった時は遠慮なく口直しをしてくれ」


 そう付け加えるとアールの目がぱぁぁ、と明るくなる――どうやら蛸を食うのは気が進まないようだ。魔物を食うと言うと、だいたい同じような反応をされるのだが。


「よし、簡易調理場を作るか。セティ、炎は起こせるか?」

「はいっ、まだ魔力は十分残っています」


 岩を円形に並べ、収納具ザックから取り出した金属鍋をその上に置き、油を引く。


 解体用のナイフを使って大蛸の足を切り、空中に放り投げてさいの目に切る――鍋の中に、一口大の大きさの蛸がパラパラと落ちる。


「なんという……ナイフですらそのような剣技を……」

「まさに達人の技ですわね……」


 一挙手一投足を見られていると落ち着かないが、いちいち照れていても始まらないので料理に集中する。


「ふぅっ……」


 セティの吐息ブレスで火を熾してもらい、塩と香辛料を入れて炒める――その時点で、今まで調理してきた食材とは違うと確信する。


「……こんな迷宮の奥で、美味しそうな炒め物ができるものなのだな」

「鍋を揺する手付きがこなれてますわね……私、料理をしている男の人を見るのって好きかもしれません」

「そうです、ファレル様は素敵なんです……っ」


 セティが自分のことのように嬉しそうにしている――俺がまず見たいのはセティが喜ぶ顔なので、照れはするがやぶさかでもない。


「材料が足りないから本当に炒めただけだぞ……一丁上がり。油にも味が出てると思うから、パンに付けてもいいかもな」


 皆にパンを一切れずつ配る――シーマにも。


「ああ、こんな私にお恵みをいただけるなんて。このご慈悲を生涯忘れません……」


 それが本心であったならと思うが、あくまでも一時的なものだろう。そう分かってはいるが、この状況から脱出するにはシーマの協力が必要だ。


「さて……それじゃ早速。いただきます」

『いただきます』


 全員の声が揃う。先程まで死闘を繰り広げていた大蛸の料理を、俺たちは同時に口に運んだ。


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