第37話 激戦
黒い粘液をまとう蛸――若い頃に海を渡るとき、大蛸に船が襲われたことがあった。その触手は筋肉の塊のようなもので、凄まじい怪力に舌を巻いた。
だが斬撃が通れば、足を切ってしまえば無力化する。ヌメヌメとした表皮で刃が滑らされるので、あの時は船に同乗していた魔法士の力を借り、炎魔法を浴びせてから斬りつけた。
「――セティ、火の
「はいっ……すぅぅっ……!」
思い切り息を吸ったあと、セティが火球を放つ――だが蛸の足で胴体に届く前に防がれる。
そして蛸足の纏った黒い粘液には、炎が通じない。さっきの戦闘でも分かっていたことだが、火は一瞬怯ませる程度しか効果がない。
「うぉぉぉぉっ!」
魔力を込めた大剣を地面に突き立て、破砕した岩塊のつぶてを蛸に向けて飛ばす――それも全て触手で防いだあと、蛸の目が僅かに細められたように見えた。
(笑っている……取るに足らないということか……!)
反撃の触手が次々に襲いかかる――後退を余儀なくされるが、これではいつまでも本体に攻撃が届かない。
――ゾクリ、と。
背中を走り抜けるような悪寒。黒い泥濘の中に沈むガディとシーマ、その光景が脳裏を過る。
「――みんな、下だ!」
「くっ……!」
俺とセティは辛うじて『それ』から逃れる――足元に突如として黒い泥濘が生じ、中から触手が飛び出してくる。
しかし俺たちの動きを見た後で反応した二人は、飛ぶのが一瞬遅れてしまった。
「リィズ殿っ!」
「きゃっ……ア、アールさんっ……!」
アールがリィズを突き飛ばした直後、足元の泥濘から数本の触手が飛び出す。アールは剣を握る手に絡みつかれて武器を奪われ、四肢に絡みつかれてしまう。
「くぅっ……うぅ……」
「ファレル……無駄だ……」
聞こえてきた声はグレッグのもの。触手に捕らえられて人柱にされたグレッグ――その身体を借りて、別の誰かが語りかけてきている。
『誰か』に該当する者など一人しかいない。俺たちが相対している階層主だ。
「ファレルさん、皆さんも……私たちと一緒に……」
「う……うぅ……いかん……ファ、ファレル……わしらに構わず……逃げ、ろ……ぐぅぅぅっ……!」
オルセンだけが正気を保っている――しかしその発言を罰せられるように、苦悶の声を上げる。触手によって締め上げられているのだ。
「……や、やめろ……っ、貴様ぁ……っ!」
アールの被ったフードに、そしてマスクに触手が這い寄っていく。首に突きつけられた触手は刃のように鋭く形状を変えている。敵は俺たちを脅しているのだ。
「くっ……!」
「うぅっ……こんな、卑怯なことを……っ」
俺とセティ、リィズにも触手が絡みついてくる。黒い大蛸はもはや明確に笑っている――絡みつかれただけで、力を吸われているのが分かる。
そして俺を持ち上げると、大蛸は触手に隠されていた口を見せる――牙だらけの、凶悪な大口。
口の中に入れたが最後、内側で全身の魔力を爆発させる。このまま全員が食われるのを待つほど、諦めが良い方ではない。
だが、まさに俺が食われる寸前に。
「ファレル、さまにっ……」
背後で、閃光が瞬く。
振り返ると――セティの全身が、バチバチと稲光を纏っている。
落雷のあとに見つけた光る果実。セティがそれを食べたあとに俺が見たものは、気のせいなどではなかった。
「――ファレル様に、これ以上触れるなっ!」
その言葉が、詠唱の役目を果たしたように――セティの身体を中心に、青白い雷が炸裂する。
「――ギュォォォォ……オォォォ……!!」
これまで声を一切発しなかった大蛸が、苦しんでいる――絡みついた触手を通して電撃が伝わっているのだ。
黒い大蛸の弱点は雷だった。セティの制御下にある魔法の雷は、仲間の俺たちにとっては害ではなく、力を与える――大剣が、雷を帯びている。
「あなたのように神の教えに背きすぎている魔物は、ここで退治させてもらいますわっ……!」
リィズも触手にやられて、僧侶の服がそこかしこ破れている――それだけに、怒りは相当なものだ。
「まったく同感だ。貴様のような乙女の敵は、一秒たりとも生かしておけない!」
アールが剣を構える。彼女の剣も雷を帯びている――危機を悟った階層主は、再び自身のまとった黒い粘液で、見知らぬ戦士の姿を模倣して実体化しようとする。
「最後に頼るのは捕らえた人間の力か……だが……!」
弱った状態の階層主では、再現される戦士も不完全で、人間の形を取ろうとするだけの木偶にすぎない。
「――はぁぁぁっ!」
「ギュォォォォァァッ!」
セティが駆け抜け、雷を纏ったショートソードで木偶を薙ぎ払い、階層主に一撃を浴びせる――怯んだ階層主は後退しながら、触手による無数の攻撃を繰り出してくる。
「――直剣・騎士剣術……『
アールが雷を帯びた剣で繰り出した連続突きで、触手が跳ね飛ばされていく。
「ファレル殿っ、頼みますっ!」
「――魔を払う光となれっ!」
リィズの詠唱と共に、俺の全身が発光する――そして。
「――大剣一刀。『
地面を蹴って水平に飛び、両手で構えた大剣を振り抜く。『スパイラルチャージ』とは異なる剣術の師から学んだ技。
「ギュァァァァァッ……!!」
聖なる祝福を受けた雷は、黒い粘液を触れるだけで蒸発させる――そして放たれた斬撃は、階層主の胴体を断ち割った。
階層主の後退が止まる。奴が向かおうとしていた先は、後方にある巨大な甲殻――ここに逃げ込まれていたら、厄介なことになっていた。
「……みんな、無事……」
「ファレル様っ……!」
振り返ろうとしたところで、セティが胸に飛び込んでくる――俺の無事を心底喜んでくれている、そんな顔だ。
「よくやってくれた、セティ……あの光の果実で、雷が使えるようになってたのか」
「ファレル様が危ないと思って、無我夢中で……」
「私達も痺れるものかと思ったが、不思議なものだな。攻撃する相手を選べるということか」
「はぁ~、良かったぁ……ファレルさんが食べられちゃうかと……」
「ファレル殿のことだから、腹の中で暴れるつもりだったのではないか? それでも生きた心地はしなかったがな、心臓が飛び出しそうな思いをした」
「すまない、無茶をしたな。セティのおかげで助かったよ」
「いえ、ファレル様の一撃でなければ仕留めきれなかったと思います。さっき、洞窟の外で戦った魔物がつけていた甲殻は、あの殻の一部だったんですね……」
セティも巨大な殻の存在に気づいていた。ガディの戦斧が防がれるほどの高度を持つ殻は、何かの素材として利用価値がありそうだが――この場所から持って帰るのは少々骨が折れる。
今はそれより、捕まっていた人々のことだ。グレッグ、オルセン、クリムは衰弱しているが息がある――他に囚われている人の中には、残念ながら命を落としている者もいた。
「グレッグたちより前に襲われた冒険者たち……彼らの力を吸ったあとは、自分の配下でも増やそうとしていたのか」
「遺体を回収できれば教会で蘇生はできる。回収魔法を使える救助隊にここまで来てもらうしか……」
「……ん……」
声が聞こえる――柱から解放された中に、生き残りがいたのか。
先程は黒い皮膜に覆われていたが、今はほとんど裸に近い姿で倒れているのは――シーマ。転移して逃げ出したはいいが、階層主は彼女をも糧にしようとしたようだ。
「回収魔法を使える神官は希少だが……シーマはどっちだろうな」
「はい。彼女なら、問題なく使えると思います」
セティが微笑んで言う。頼れる相棒がこう言っているのなら、期待しても良さそうだ。
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