SIDE2 路地裏の密談
「はぁ……私ったら、私ったら……」
『金色の薫風亭』の中にも酒場が併設されているが、その隅の席で、僧侶のリィズは頭を抱えていた。
彼女がエルバトスにやってきたのはつい昨日で、ここに来るまでに宿場町で財布を
仕事をして報酬を得れば当面の宿賃にはなると考えたが、限られた時間ではパーティを組む相手も見つからず、一人でヴェルデ大迷宮に行った。『金色の薫風亭』では依頼を受けると鳥竜の利用券が発行されるため、それを使えば移動に問題はなかった――しかし。
(あと一歩のところで、あんな魔物が出てくるなんて……こっちから攻撃できないなんて反則ですわ……っ)
雷の力で動きが速くなった小鬼に襲われたときのことを思い出す。迷宮に恐怖心のなかったリィズでも、一人で迷宮に潜る気力を失うような経験だった。
しかし、窮地に駆けつけて助けてくれた二人のことを思い出すと、まだ頑張らなければいけないと思い始める。その二つの感情の間で揺れ動いた結果、リィズはようやく結論に達した。
(あれだけのことを言って家から出たのに、何もできずに帰ったら……ええ、まだ諦めるわけにはいきません。せっかく憧れのエルバトスに来たんですから……!)
「お待たせいたしました、香草と豆のスープです」
「っ……あ、ありがとうございます」
リィズはスープを口に運ぶ。僧侶は肉食を禁じられているので注文できるものが限られている――しかし、彼女の実家では肉のない物足りなさを補うような食事が出ていた。
(故郷の味が懐かしい……なんて、我儘は言っていられませんわ)
そう自分に檄を入れるものの、少しパサついたパンを口に運んで、リィズは思わずため息をついてしまう。
他のテーブルは賑やかで、男女ともに笑い合って騒いでいる――時折一人でいるリィズに声をかけてくる冒険者はいたが、酒を飲まないと分かると離れていってしまう。
僧侶が一人で冒険者をやるのは難しい。頼りになる仲間がいてくれたら――そこでもう一度、ファレルとセティの顔が浮かんでくる。
(……あんなに強い人たちでは、私なんか足手まといになってしまいますわ。今日だって、回復魔法の残り回数を考えずに使ってしまって……ああっ、ファレルさんとセティさんにお礼の魔法が使えたら良かったのに)
リィズを助けたもう一人の冒険者も別のテーブルにいるが、隅のテーブルにいる彼女には気づいていない。彼が無事であったことに安堵しつつ、リィズはやはり回復魔法は彼に使って良かったのだと考え直した。
◆◇◆
酒場を出て宿に向かう。その途中で、リィズは裏路地に入っていく人影を見かけた。
(……人のことを気にしている場合ではないのですが。こういう時、妙に勘が働いてしまうのは困りものですわね)
リィズは意を決して、足音を押さえて路地に入っていく。
暗い路地には月明かりが差し込んでいる。路地の奥には誰かが立っている――フードを被ったその男は、冷たい笑みを浮かべていた。
(あれは……確か、特級パーティの……こんなところで、一体何をしてるんですの)
路地裏に入った人物は、その男と何かを話している。リィズは聴覚に意識を集中する――すると、話し声がかすかに聞き取れた。
「……ふーん。まあ、こんなことだろうとは思ってたけど。僕らを一度深層に潜らせたのは、あいつらを見てもらいたかったんだろ?」
「迷宮の民は、かつて王国から逃げた奴隷の集まり。放置はできないと判断した」
「いいのかい? 僕らがその迷宮の民から、王国の隠したいものを見つけてしまっても」
好奇心に惹かれたことを、リィズは後悔する――それほどの殺気が、男たちの間に生じている。
(このまま聞いていてはいけない……でも、身体が動かせない……っ)
「……交渉の準備はある。しかし特級といえどもあまり調子に乗られては困る。あくまでも王国に特権を与えられているのだと理解しておけ」
「それはもう、十分に。分かった、リーダーに伝えておくよ」
飄々と答える男を残して、もう一つの人影が消える。
リィズはそれでもまだ動けない。逃げ出さなければならないと、全力で本能が訴えている。
「さて……あとは、盗み聞きをしているそこの君を、どう処理するかだ」
「っ……!」
――自分は、何をされたかも分からないままに死ぬ。
途方もなく力量が離れた相手に殺気を向けられたとき、理屈を超えてそう理解させられる。
フードの男の手が閃く。路地裏の壁に反射して飛んでくる見えない何かを、リィズはどうすることもできずに――。
「――ふっ!」
キィン、と甲高い金属音が響く。壁に突き立ったのは透明な刃――フードの男が投擲した暗器を、何者かが剣で弾いていた。
「……空気が読めない奴はどこにでもいるんだね」
「逃げるわよ、そこの人っ!」
「ふにゃっ……!?」
リィズは首根っこを掴まれて、文字通り運び去られる。フードの男が放った追撃を、リィズを救った人物は振り返りざまに剣を閃かせて防いでしまう。
「待てっ……チッ……!」
フードの男が路地から出ると、夜の街を行き来する人々が増えていた――そして、リィズたちの姿を見失う。
そして男の姿もその場から消える。路地裏で行われていたことを知るものはなく、あとには酔った男女の喧騒だけが残っていた。
◆◇◆
リィズはどこかの宿に連れていかれ、部屋に入ったところで、彼女を助けた人物はずっと被っていたフードを外した。
「ふぅ……」
「お、女の人……ですよね、声でそれは分かっていたのですけど……」
長い金色の髪。そして宝石のような碧眼を持つその女性は、リィズに怜悧な視線を向ける。
「あの場に貴女が入っていくのを見たときは、何事かと思ったけれど。その様子を見ると、事情を知っての行為ではなさそうね」
「は、はい……すみません、助けていただいて」
「彼の暗器を受ければ、毒で命を落としていたでしょうね。特級パーティに所属していながら、その実情は快楽殺人者……あんな人物を野放しにはしておけない」
「か、快楽……そんな、あの人が……」
身体を震わせるリィズの肩に手を置き、金色の髪の女性は労るように微笑みかける。
「私が居合わせられて良かった。あなたさえ良ければ、しばらく無事を保障するためについているわ」
「っ……そ、そんな、助けていただいて、そこまでしていただいたら……私、冒険者になったばかりで、今日も迷宮で助けてもらって……」
「……そんなことがあったのね。でも、あなたはそうして無事でいる。それも神様の思し召しなんじゃないかしら」
リィズはその笑顔こそが女神のように見えると言いそうになるが、僧侶である自分にあるまじき言葉であると自重する。
「皆さん、とても優しくしてくれて、私も頑張らないといけないと思うのですが……ファレルさんたちに恩を返せるように、まずは……」
「……今、なんて言ったの?」
急に女性の態度が変わり、リィズに詰め寄ってくる。ベッドに座っていたリィズは、押し倒されるかというほどに身体を反らせていた。
「い、いえ、すみません、優しいというのは悪い意味では……っ」
「そ、そうじゃなくて……その、名前を言ったでしょう」
「……ファレルさん、ですの?」
リィズがもう一度その名を言うと、彼女は部屋の隅まで歩いていく。
そして頬に両手を当てる。リィズが後ろから見ても分かるほどに、首から上が真っ赤になっていた。
「見つけた……副団長……やっぱりここにいたんだ……」
「あ、あの……いかがなさいましたか?」
リィズの呼びかけに返事があったのは、しばらく経ってからのことだった。
彼女の名はフィアーユ・ルフェリア。王国聖騎士団の現・副団長その人であった。
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