第21話 雨宿り

 水場に向かう道の途中で、頬に冷たいものが当たる――そして間もなく雨が降り注いでくる。


「セティ、雨を避けられる場所まで走るぞ! 確か、この先に岩窟がある!」

「はい、僕は濡れても大丈夫ですが……っ」

「もしかして、竜人だからか? 水に濡れても平気とか……」

「はい、泳ぐのも得意ですし……あっ、い、今はちょっと泳いだりはできないですけど」


 走りながらも息を切らさず話せる――セティの体力はもはや病み上がりとは言えないほど回復しているし、むしろ気を抜いたら置いていかれそうなほどだ。


「でも、雨は得意ですけど、ちょっと苦手なものが……っ、ひぁぁっ!」


 上空を覆う雲のあいだに稲光が生じ、雷が落ちる――一層でここまで気候が荒れるのは久しぶりだ。


「……雷はあまり得意じゃない、ってことか。大丈夫か?」

「す、すみません……っ」


 後方で雷鳴が瞬いたことで、驚いたセティが俺にしがみついてくる――このまま抱えて走っていくかとも思ったが、セティは俺から離れ、赤面しつつも再び自力で走り出す。


 金属の武器を持っている状態では落雷しやすくなりそうだが、置いていくわけにもいかない。今後は何かしら雷避けの対策をしておいた方が良さそうだ。


   ◆◇◆


 ――ヴェルデ大迷宮 一層東部 白亜の岩窟――


 一層で野営に向いている場所は幾つかあるが、そのうちの一つがこの岩窟だ。


 石灰質の多い岩を刳り抜いてできたようなこの岩窟は、どうやってできたのか諸説あるが、この付近に出る魔物のしわざというのが有力とされている。


 雨風を凌げる上、煙がこもらないこの場所は、野営に必要な火を熾すにはうってつけだ。こういった緊急避難で使われることも見越して、燃料となるような乾燥した木も用意してある――無くなったら補充しろという看板があるが、今のところ在庫は十分そうだ。


「……くしゅんっ」

「濡れたままでいると風邪を引くから、とりあえず火を起こして暖を取る。ちょっと待ってろよ」

「ファレル様、火力を調節すれば、僕の吐息ブレスで火を点けられます」

「おお、それは助かるな。火打ち石と油よりもきが良さそうだ」


 石を積んで囲いを作り、燃料の木を組み上げる。すると、セティがすぅ、と息を吸い込み、ふっと控えめに炎を吐いた。


「おお、点いた……セティ、ありがとう。火を吹いてるっていうより、口の前から生じてるって感じじゃないか?」

「はい、竜の吐息とは違って、竜人の吐息は魔法の一種なんです」


 竜は体内に燃焼性のガスを持っており、それを使って炎を吐く――竜人の場合はそうではなく、確かに息を吸い込んだときに魔力が収束している。それは魔法が発動する前に見られる兆候だ。


 セティは火に手をかざしている。俺は収納具から布を取り出し、セティに差し出す。


「まず髪を拭いたほうがいい。できれば装備も乾かした方がいいが……どうする?」

「あ……は、はい。そうですね、革の装備は濡れたままにすると良くありませんから。すみません、お願いできますか?」


 セティがこちらに背を向ける。鎧がベルトで固定してあるので、これを外すには後ろに手を回す必要があるが、確かに俺が手伝った方が早い。


「んっ……」


 胸当てを外すと、セティの上半身全体に包帯がしっかりと巻かれている。雨の中を走ってくるうちに中まで水が入ってしまって、肌の色がところどころ透けていた。


「包帯は新しいのに替えるか。持ってきておいて良かったな」

「は、はい……あの、向こうに行って替えてきてもいいですか?」

「ああ、俺は火の番をしていよう。いちおう周囲には気をつけてな、魔物も雨宿りすることがあるから」


 セティは包帯と身体を拭くための布を持って、物陰の方に入っていく。


 俺もいったん装備を外し、身体を拭く。パチパチと音を立てる焚き火を眺めつつ、待つことしばし――なかなかセティが帰ってこない。


「――ああっ、ちょっと……か、返してっ……!」

「っ……!」


 セティの慌てた声が聞こえてくる。やはり魔物がいたか――包帯を巻き直している時にちょっかいを出してくるとは。


「セティ、大丈夫か!?」

「あっ……ファ、ファレル様……この子が、包帯を引っ張って……っ」

「キュィィッ……!」


 そこにいたのは、丸いシルエットの小さな獣――セティの巻きかけの包帯に噛みつき、引っ張っている。


「――キュァァッ!」


 包帯を離した途端、獣は目にも止まらぬ速さで辺りを跳ね回る――そして、動けないセティの方を狙おうとする。


「させるかっ……!」


 セティに体当たりをする前に、俺は片腕で獣の体当たりを止める――そのままギュルギュルと回転を続けていた獣が、やがて止まった。


「キューン……」

「こいつはバウンドラビットだな……この辺りによく出没する悪戯者だ」

「あ、あの、もう大人しくしてくれているみたいなので、今日のところは……」

「セティがそう言うなら、今日は大目に見てやるか」


 バウンドラビットを放すと、本当にいいのかと言うように何度も振り返りつつ去っていった。見た目だけなら愛嬌があるが、冒険者になりたての頃は翻弄されてしまうこともある魔物だ。


「セティ、俺にも何か手伝うことは……」


 そう言いつつ彼の方を見ようとして、ぺたり、と頬に手を当てられて止められる。


「だ、大丈夫です、僕一人でできますから」

「そ、そうか……」


 焚き火の近くに戻り、しばらく火を眺めながら、ふと思い出す。


 グレッグがセティを見て様子がおかしくなったのは、無理もないことではないか。いや、そんなことを考えるのは土台間違っている。


「あ、あの……申し訳ありません、心配していただいたのに……」

「ああいや、俺こそちょっと過保護だったな……」


 戻ってきたセティは頭の包帯を解いて、身体を拭く布は肩にかけていた。


「……俺も精神の修養が足りないかもしれない」

「修養……ですか? あっ……」


 きゅるる、と音が聞こえる。セティは恥ずかしそうにするが、お腹が空くのは悪いことではない。


 迷宮に入ってから食事を取っていないし、ここで何か摂ることにしよう――そうすれば、気持ちを切り替えられるはずだ。


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