第20話 霧蜂の巣
一度魔物を倒してしまえば、しばらく霧が発生することはないと言われている――しかし他にも魔物はいるので、俺とセティはグレッグたちの治療が終わるまで、周囲に気を配っていた。
「あ、あの……おかげさまで回復しました」
クリムはセティの外套をかけられている――レザーアーマーがあんな壊れ方をするということは、幻影の攻撃にそれだけの威力があるということだ。
「いや、面目ない。『霧蜂の巣』を採ってくるって依頼を受けてたんだが、霧が出たときに分散して樹洞に入っちまってな」
「外から悲鳴のような声が聞こえて、いても立ってもいられず外に出てしまった。全く精神の修養が足りておらぬ……」
「私も声が聞こえたので外に出ちゃったんです。それが魔物の罠なんですね……話に聞いてはいましたけど、想像以上に厄介でした」
「まあ、無事で良かった。全滅して教会で蘇生なんてことになったら、一気に蓄えを持っていかれるだろ」
「うむ……自分の宗派の教会ではあるが、蘇生に必要な布施は高額だ」
オルセンは苦い顔をして、蓄えた髭を撫でつける。グレッグも笑ってはいるが、少々げっそりした様子だ。
「今日はどうする? その霧蜂の巣とやらを採りに行くのに付き合おうか」
「っ……い、いいのか? そこの少年……うん……?」
「は、はい、僕はセティと言います。僕にも協力できることがあったら最善を尽くします」
「お、おう……」
グレッグはやはり妙な顔だ――セティの容姿が整っているので驚いたのか、それともまだ見えにくい片目を覆っていることが気になったのだろうか。
「……ああいや、何でもない。恩人に向かって妙なことを言いそうになっちまった。ファレル、俺を思い切り殴ってくれ」
「冗談はよさぬかグレッグ、拾った命を捨てるつもりか」
「あはは……え、えっと。セティ君、介抱してくれてありがとう」
「はい、どういたしまして」
考えてみれば、セティはまだ少年とはいえ、クリムの介抱を任せたときに色々見てしまっている――それはどうなのだろうか。
「クリムさんの肌には傷ひとつありませんでした。包帯を巻いておきましたが、それは念のためです」
「オルセンおじいに回復してもらう前にそうしてもらえて良かった。変なもの見せちゃうのは申し訳ないし」
「儂はクリムが子供のころから見ておるからな、今さらそんなことは気にもせん」
「そうなんだよ、このパーティにおいて俺はオマケみたいなもんなんだ。爺さんと孫、そしてフリーの用心棒ってとこさ」
酒場で酔ったグレッグからエルバトスに来る前の話を聞いたことがあるが、傭兵団に所属していたという話は興味深かった。
「その用心棒があまり強くもないというのは悲しいところだがな。はっはっは……はぁ」
「まあ、今回は俺も付き合うよ。遠慮はしなくていい」
「ほんとですか!? ボッコボコにやられてへこんでましたけど、そんな気分吹っ飛んじゃいました」
「『霧蜂の巣』の処理については任せてくれ、蜂の戦意を失わせる僧侶魔法がある」
「それでは、僕が露払いをしますね。どちらの方向ですか?」
「お、おう……じゃあ、地図を渡しておく。この東にある沼の手前が蜂の生息地だ」
やはりグレッグのセティに対する態度がぎこちない。亜人種が苦手という話も聞いたことがないし――そして、こちらを何か言いたげな顔で見てくる。
セティが先を行く中で、グレッグが追いついてきて耳打ちしてきた。
「なあ、ファレル」
「ん? さっきからどうした、様子が変だぞ」
「い、いや……あのセティってのは、一体何者なんだ?」
「ちょっと事情があってな……俺の家で引き取って、今日から一緒に依頼をやってる」
「……誤解はしないでほしいんだが、とんでもない美形だな。うちのクリムも相当なものだと思うが、男であれは……」
「グレッグ、ファレルたちが協力してくれているというのに浮足立つな」
「あ、ああ、分かってるよ。とにかく驚いたって話だ」
オルセンに注意され、グレッグは話を切り上げる。
「セティ君って職業は何? 私は盗賊ね、宝箱の鍵を外したり、罠を外したりっていうのがお仕事なの」
「僕は、まだ職業は決まっていないです」
「今日はためしに迷宮に来ただけでな。適性を見て、職業を選びたいと思ってる」
「そういうことだったんですねー。じゃあ今の間だけは、私はセティ君の先輩ですね」
「えっ……は、はい、そうなりますね?」
「セティ、そういうときは違いますって言っていいんだぞ」
「まあまあ、いいじゃないですか。あー、グレッグさんとおじいが遅れてきてる。ちょっとゆっくりにしてあげないとですね」
グレッグとオルセンの体力に問題はないが、移動の速さもそれぞれだ。もう一人グレッグたちのパーティにメンバーを加えるとしたら、移動速度を上げられる魔法の使い手が良さそうではある。
◆◇◆
『霧蜂の巣』は樹木の上にあり、周囲には蜂が飛び回っている――普通に近づけば蜂の攻撃を避けることは難しい。
「安寧を司る神よ、ひとときの間彼らの戦意を鎮めよ……『
「しゃぁっ……クリム!」
「はーいっ……『
オルセンの魔法で蜂の攻撃を抑え、グレッグが木に体当たりして蜂の巣を落とし、クリムが奪取する――見事な連携だ。
無事に安全域まで離れたあと、クリムは持っていた蜂の巣を、グレッグたちに目配せしてからこちらに渡してきた。
「同時に二つ採れたので、一つはファレルさんが持っていってください」
「いいのか? これ一つだけでしばらくは暮らせる額になるだろう」
「ファレルは食材探しをしてるんだろ? 霧蜂の巣を加工してもらえばいい蜂蜜が採れる……だから、礼にはうってつけだと思ってな」
「その話、覚えてたのか……分かった、有り難くもらっておくよ」
「儂らはここまでだが、まだ冒険を続けるのなら気をつけてな」
三人を迷宮外まで送っていくと申し出たが、それは必要ないと言われた――彼らにも、迷宮に挑む者としての自負がある。
「蜂蜜……それは、甘いものなんですよね?」
「そうだな。またデザートを作るのに使ってみるか」
「っ……では、一度お家に……い、いえ、駄目ですよねそんな、まだお仕事がありますし」
「この沼で、もう一つ依頼もこなせそうだしな。セティ、あれを見てくれ……まだ咲いてない花の蕾があるだろ? あれは『
「わあ……どんな花が咲くのか見てみたいです」
「いろんな色の花が咲くし、街に持って帰っても夜が来るたびに開くんだ。そんなわけで、これも持って帰ると報酬が出る。十本ほど頼めるか」
「かしこまりました……っ!」
「っ……セティ、ちょっ……」
止める間もなくセティが走っていく――沼地の表面にはいくつも蓮の葉が開いているが、それは普通なら足場にできるようなものではなく、ぬかるみに足を取られつつ時間をかけて花の蕾を摘むしかない。
しかしセティは恐るべきことに、蓮が沈み込む前に次の蓮に移動し、ありえない速度で沼のあちこちにある蕾を回収していく。
(まるで飛んでるみたいだ……それに、何をさせても絵になる)
重量のある俺はセティと同じことはできないので、可能な範囲で花を集める――そうこうしているうちにセティが依頼された数を集め終える。
「ファレル様、これで全部――」
「――セティ、伏せろっ!」
ゴパァ、と音を立てて沼の中から何かが現れる――スワンプブロッブ。沼の中に潜んで、近づいた獲物を襲うスライム系の魔物だ。
セティが伏せたところで、俺は背負った剣を抜く――遠心力を乗せて放つ、横薙ぎ。
「おぉぉぉぉっ!」
繰り出した剣は軟体であるブロッブを両断する――同時に叩きつけられる剣圧で、ブロッブの身体が爆ぜる。
(っ……し、しまった……っ)
咄嗟のことだったとはいえ、沼地で大技を繰り出した結果――巻き上がった泥が雨のように降り注いでくる。
「……あ、ありがとうございます、ファレル様」
「いや、すまん……こうなることを計算に入れておくべきだった」
「……ふふっ」
セティが笑う。彼が声を出して笑うのを見たのは初めてだった――お互いに泥まみれの顔を向けあって、こちらも釣られて笑ってしまう。
「ははは……本当にすまん、こんな……」
「いえ、凄く楽しいです。泥んこになるのが楽しいなんて、初めてです」
そうやってひとしきり笑い合ったあと、どうするかを考える――こうなってしまっては仕方がないが、泥まみれのままで帰るのか、それとも。
「そういえば、グレッグさんに地図を借りたとき、この近くに水場があると書いてありました」
「ああ、確かに……そこに寄って、軽く泥を落としてから帰るか」
次の行き先は決まった。迷宮の中では重要な、澄んだ水のある場所だ。迷宮内で飲料水を得られる場所は限られるが、その一つでもある。
そして移動を始めて、俺はまだセティに言っていなかったことがあったと気づいた。
大迷宮の中では気候が変化する。場合によっては、雨が降ったりすることもあるということを。
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