第19話 妖霧


 薬草の採取を終えてもまだ時間がある。今日は野営をする予定はないので夕暮れには街に戻るつもりだが、残った依頼札の内容もこなせそうだ。


「セティ、疲れてないか?」

「はい、元気です。思う通りに身体を動かせている感じで、どんどん調子が良くなってます」

「そうか……拘束具を着けている時は、動きに制限があったってことか?」

「魔力も全部は使えませんでしたし、考えていることを縛られるというか、そういう感じが常にしていました」


 セティの強さを十分発揮することもさせなかった――それは、服従させなければ自分たちに及ぶ力があると理解していたからか。


「……ガディの方……オルガディンと言うらしいが、あいつは手練てだれと言ってもくみし易い相手だった。あのパーティじゃ、ジュノスが一つ抜けているのか」

「そうだと思います。あの人たちは、彼の機嫌を損ねるようなことは徹底して避けていました」

「それだけの力があって、あんなやり方を選んだ。その理由は……」

「『古き竜の巣』……あの場所を封じている扉を開けるために、彼らは僕を連れていった。僕は、竜の墓に立ち入るべきでない人たちを入れてしまったんです」


 悔いるように、セティは胸に当てた手を握りしめる。『黎明の宝剣』の目的は何なのか、その一端が見えてきた。


「彼らは、王家に連なる人物の依頼を受けてここに来ました。ヴェルデ大迷宮に竜の巣があり、そこにある何かを取ってくる……それが、仕事の内容だったんだと思います」

「セティは、彼らが何を持ち出したのかを見たか?」

「はい、あれは剣でした。他の財宝には触れず、剣だけを持っていったと思います……僕も魔法をかけられて意識が飛んでしまったので、正確なことは分かりませんが」

「……剣、か」

「財宝を持っていかなかったのは、『墓守り』の魔物に目をつけられるからです。剣を持っていくだけなら、彼らの敵意は僕に向くだけだった」


 ということは、『古き竜の巣』には財宝がそのまま残っている。


 見張りのようなことをしていた女性――おそらく『迷宮の民』である彼女がいれば、簡単に盗掘者が入ることは無さそうだが。『黎明の宝剣』が宝を目当てにもう一度竜の巣に入るという可能性は無くはない。


「……無いと思いたいが、それを裏切ってくるような連中でもあるからな」

「ジュノスたちが、もう一度『古き竜の巣』に向かうのでは……ということですね。できるなら、もう彼らに竜の眠りを妨げることはしてほしくありません」

「もう一度5層に降りてみるか。いや、あいつらもすぐに迷宮に入ることは無いか……?」

「はい、おそらくは。この大迷宮は、深層から瘴気が凄く濃くなりますよね?」

「そうか、瘴気抜きか」

「ロザリナという上位魔法士ハイソーサラーの人は、仲間が瘴気に侵されても吸収できる力を持っています。でも、彼女はそれをしたがらないので、他の方法で浄化を待たないといけないはずです」


 上位魔法士――エルバトスではロザリナ以外に現在一名しかいない、魔法士の上級職。


 特権意識を持ってもおかしくはないが、上位魔法士になるためには振る舞いも問われるはずである――ロザリナがどんな経緯で冒険者になったか、微妙に想像ができてしまった。


「それでガディも好戦的になってたわけか……」

「いえ、ガディという人はいつも喧嘩ばかりしています。その、女の人にも遠慮がないというか、それでトラブルもあったりして……」

「人それぞれ傾向は違うが、体内の瘴気が増えると一時的に性格が変わったりするんだ。俺は瘴気には強いけどな……それでも、深層に行くならマスクは必要だ」

「僕も途中までは大丈夫でしたが、深層からは影響を感じました。この大迷宮は、他の迷宮とは何かが違っています」


 まだ未知の部分が多いからこそ、この大迷宮を探索するために冒険者が集まっている。『古き竜の巣』以外にも、持ち帰れる形で財宝が存在するかもしれない――人が集まる理由というのは単純だ。


「1層の瘴気はマスクが必要ないくらいだが、半日以上探索する場合は用意した方がいい」

「分かりました、そろそろだなと思ったらマスクを着けます」


 セティの分のマスクを渡し、探索を再開する。次にこなせそうな内容の依頼札は――とめくっているうちに、警戒していた霧が出てきた。


「セティ、近くの樹洞に入るぞ」

「はい、ファレル様」


 薬草を探しているうちに森の奥まで入ってきてしまった――次に霧が晴れたら、森以外の地形に出た方が良さそうだ。


「――ッ、――!!」


 その時、声が聞こえてくる。男の叫び声――さっきの若い冒険者とは違う、覚えのある声だ。


「ファレル様、今、何か……」


 事態は切迫している――霧が晴れるまで待っていたら、手遅れになる可能性がある。


「おそらく、俺の知り合い……今の声は、グレッグだ」

「っ……霧の中で、何かが起きているということですか?」

「霧はやり過ごすのが基本だが、そうできない場合がある。『あいつ』がまた湧いてきてたみたいだな」

「……ファレル様、僕なら大丈夫です。いつでも準備はできています」


 霧は危険だと話していたのに、俺はそれを無視して動こうとしている――それでも、セティはついてきてくれると言う。


「ありがとう。セティなら大丈夫とは思うが、霧の中で魔物の奇襲があったら……」

「はい、対処します。戦いになったら、どう動くかご指導ください」

「……ひとつ伝えておくことがある。ちょっと耳を貸してもらっていいか」

「は、はいっ……」


 俺はセティにあることを耳打ちする――グレッグたちを襲ったのが『あいつ』であれば、これが一つの保険になる。


   ◆◇◆


 グレッグの声が聞こえた方向に走っていく――すると。


「ぐぁっ……!」


 斬撃を受け、グレッグが倒れる――短剣を携え、その前に立っているのは。


「クリム……!」


 こちらに顔を向けたクリムは、いつもと変わらないような笑顔を向けてくる。


 いつも着ているレザーアーマーが切り裂かれ、肌が露わになっている――本物のクリムが、そのことに構わないわけがない。


「ファレルさん、もしかして助けに来てくれたんですか? すみません、こんなところで手間取っちゃって」

「――ファレル様っ!」


 話しながら、クリムは短剣を繰り出してくる――俺は手甲でそれを受け流し、伸び切ったクリムの腕を極める。


「えー、ちょっと強すぎません? 痛いですよファレルさん、女の子に酷いことして」

「――セティ、来るぞ!」


 叫んだ瞬間、クリムの姿が文字通り霧散する。


 セティの姿も声も聞こえなくなる――妖霧の森、その名の由来となった魔物。俺たちはその領域に足を踏み入れたのだ。


『ファレル……こんなところに……っ』

「っ……!」


 いきなり背後の霧が実体化し、グレッグの姿を取って襲いかかってくる――反射的に斬ることもできず、振り下ろされた剣をかわして打撃を打ち込む。


「オォ……オ……」


 グレッグの姿が霧散する。初めて遭遇したときは、悪い意味で感心させられた――この魔物の趣味の悪さに。


『まったく、お前さんが一人で迷宮に潜るたびに……』


 次に現れたのはオルセン――持っているロッドを俺に思い切り叩きつけてくるが、これも偽物だ。


「――おぉぉっ!」


 大剣を抜き放ち、ロッドごと叩き切る――オルセンの偽物がかき消える。


 この霧の中では、周囲にいる人間を模倣した幻影が作り出される。倒し続ければいつか妖霧を維持できなくなる――しかし。


「「ファレル様、僕です……っ!」」


 同時に『二人のセティ』が現れる。全く同じ姿、そして声――惑わされまいとしても、判別できるものではない。


「「こっちが偽物です……真似をしないでくださいっ」」


 セティ二人がショートソードで戦っている――助太刀をすれば一刀で斬れる、だがどちらを選ぶのか。


「「ファレル様、こっちが本当の……っ」」

「――斬られたい奴は前に出ろ!」

「っ……!」


 一方のセティが剣を引いて後ろに飛ぶ。もう一方のセティは逃げ出さない。


「――うぉぉぉっ!」


 踏み込みとともに大剣を振り下ろす。剣を引いた方のセティは魔力を帯びた気合の一声で動きを止める。


 振り下ろした大剣が剣風を放ち、セティ――偽物の方だ――は吹き飛ばされ、かき消えた。


 この魔物は人間の動きをほぼ完全に模倣するが、一つだけできないことがある。自分の身を危険に及ぼす行動に出られないということである。


 魔物を倒しても一息つくというわけにはいかない。周囲に倒れているグレッグたちを見つけ、傷の具合を見る――幻影と同じように鎧が壊れていたクリムは、セティが介抱する。


「う……お、おぉ……ファレル……」

「意識はあるか、良かった。お前たちほどの実力者が、一体何があった?」

「ここ最近は出なかった……霧の魔物が、出て……俺のミスだ……」

「やはりそういうことか……災難だったな」


 グレッグは力なく笑う。クリムとオルセンも無事だ――オルセンはクリムに回復魔法をかけ始めている。


 気を抜くと1層でもこういうことがあるのが大迷宮の怖さだ。俺はグレッグが気を失わないように声をかけながら、オルセンが来てくれるのを待った。


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