SIDE1 光が差すまで

   ◆◇◆


 大迷宮の深層。そこに向かう間、僕はいつもの通り、『黎明の宝剣』の前を歩いていた。


 戦士で大男のガディが、僕の後ろで見ている。これはいつものことで、僕は『危機探知』の魔法をかけられて、前を進む役割を与えられている。


「悪く思うなよ、こっちも仕方なくお前を先に行かせてるんだ」

「なにせ、獣みたいに素早いしね。このパーティだと重宝するわ」


 ガディは僕の行動を見張っていて、一番後ろにいるロザリナは、浮遊球に乗って滑るように移動しながら、僕に魔法をかけている。


 迷宮には人工、天然を問わず、罠がある。魔物の奇襲だってある。僕はそれに、いつもパーティの前面で向き合うことになる。


(これが終わったら……僕は……)


 戦闘奴隷としての務めを果たしたら、奴隷契約を破棄してもらえる。


 でも、もし約束が守られたとして、その先は?


 僕には帰る場所がない。故郷は亜人狩りで荒廃したと聞かされ、肉親の手がかりもほとんどない。あるのは、生まれながら記憶に刻まれた名前だけ。


 竜人としての真名、セティスラルム。きっと死ぬまで誰にも教えることはない、意味のない言葉。


「8番、予定より遅れているぞ。また罰を受けたいか?」

「っ……」

「やめてやれよジュノス、怯えてるじゃねえか。ま、拘束具はそのために使うもんだけどな……!」

「……ぐぅっ……!」


 ガディは戦士でいながら、ある程度の魔力を持っている。僕の五体につけられた拘束具が彼の魔力に反応し、雷撃が流れ、苦痛で目の前が白くなり、黒くなることを繰り返す。


「やりすぎないでくださいね、治す身にもなってください」


 その言葉と裏腹に、神官のシーマは僕に回復魔法を使ったことはない。


 この人たちは嘘をつく。けれど契約の破棄は、書面がちゃんと作られていて。


 終わりさえすれば、楽になれる。解放されるなら、僕は――。


「穢れた種族の姿を見るのも今日までか」

「なかなか面白かったよ。竜人なんてもう絶滅危惧種だからね」


 僕に対して常に憎しみをぶつけてくるのは、ハンマーを持った女性の大鎚おおづち師。そしてもう一人は、さまざまな隠し武器を使う男性の暗器使い。


 この大迷宮で『深層』と呼ばれるのは5層からで、そこに辿り着くだけなら、パーティの全員が来る必要はない。そう、ジュノスは言っていた。


 それなのに、全員が揃っている。そして『今日で終わりだ』と繰り返している。


 その意味を、僕は分かっていなかった。


 彼らが全員揃って深層に入るのは、それだけ危険な場所だから。万全にするためなのだというくらいに思っていた。


   ◆◇◆


 5層に入って間もなく、僕たちは『古き竜の巣』に入った。


 入ろうとしたとき、谷を渡る岩の道のところで誰かが止めてきたけれど、ジュノスは「特級冒険者の受ける依頼は全てにおいて優先する」と言って、強引に通ってしまった。


「迷宮に住むなんて、物好きな連中がいるもんだ」

「外の世界より居心地がいいんでしょ。私も胞子さえなければいてもいいんだけど」

「さすが瘴気を食う女は言うことが違うね」


 後ろの人達の話には耳を傾けずに、僕は進む。


 けれどここに入る時から、悪寒が走るように感じていた。


 奥に続く扉。骨が組み合わさってできたようなその扉に、命令されて触れる。


「お前は『鍵』だ。情報通りだったな」


 僕は、竜の墓に侵入者を引き入れてしまった。竜の力を持つ者しか入れないその場所に。


 何も考えられずにいると、僕の横を通り過ぎて、ジュノスが部屋の中に入っていく。


「お宝だらけだが、持って行っていいのか?」

「ガディ、目的の物以外を持っていくとあんたも……」

「おっと、そうだった」


 そのやりとりの意味も、僕は分からないまま。ジュノスが、竜の巣の中心のうず高く積み上がった財宝の中から、一本の剣を引き抜く。


「ジュノス、見つかった?」

「ああ。竜が財宝にしていた剣だ……これはいい交渉条件になる」

「俺はどっちかと言えば、こいつ自身の方が価値があると思うんだがな」


 彼らが僕を従えながら避けてもいるのは、『穢れた種族』と言われているから――ガディが言うような価値がないのは、僕自身が一番よく分かっている。


 それでもガディは、最近になって時々違うことを言い出した。戦闘奴隷の僕を、ただの奴隷として売ろうとしている――どうしてそうなったのかは分からないけれど、彼が見てくるたびに良い気分はしなかった。


「穢れしものにまで欲情するか……愚かな」

「今さら話し合う必要はありません。事前に決めていたことではないですか」

「ちょっと、もうすぐ出てくるわよ。いるんでしょ? 番人が」


 ロザリナの慌てたような声。僕がシーマの方を振り返ろうとした時には、もう遅くて。


 彼女の杖がこちらに向いている。聖なるものであるはずのその杖は、僕にはとても不気味なものに見えた。


 杖の先が、揺らぐ。いけないと思った時には。


 時間が抜け落ちて、『黎明の宝剣』のメンバーは一人もいなくなっていた。


「クカカカカカ……!!」


 目の前には、ぼろぼろの布をまとった骸骨。死霊を操る魔法を使って、周辺にある竜の骨から『竜牙兵』を作り出す。


 本当は戦いたくない相手。竜は共にあるべき存在で、その骸を弄ばれるようなことは決して許してはいけない――でも。


 ドクン、と心臓が脈打つ。


「う……うぅ……あぁぁぁっ……!!」


 シーマの幻惑の魔法だけじゃない、ロザリナがガディによく使っている魔法――『狂化バーサーク』。


 目の前の敵を全て倒すまで、抑えられなくなる。


 生き残ることさえできればいい。それなのに、逃げるという考えを抑えつけられる。


 斬りかかってくる竜牙兵の攻撃を避け、反撃する。脆い部分に当てなければいくらも打撃を与えられない――頭骨を支える首の骨を狙って斬っても、すぐに再生される。


 ――倒しきれない。『黎明の宝剣』の全員がいれば、倒せるはずの相手なのに。


 宝を持ち出すことへの呪いを恐れて、彼らは僕に全て押しつけた。


「――あぁぁぁっ……!」


   ◆◇◆


 そこからのことは、切れ切れにしか覚えていない。


 傷つけられて、傷つけて、壊して、壊されて、地面に這いつくばって、それでも――まだ死ねなくて。


 拘束具は戦っているうちに壊れて、残りの一つになっていた。思考を抑えつけていた、僕を奴隷にする命令は効力を失いかけていて――それでも抗えない。


 もう武器を持つこともできなくなって、それで思ったのは、これで終われるということだった。


 ――それなのに。


 誰かの声がした気がして。その後に、僕の後ろから飛んできた何かが、遠くにいた射手の骸骨たちを打ち砕いた。


『よく耐えた。死ぬんじゃないぞ……』


 ああ、誰かが来てくれた。


 でもこんな状態になった僕を、助けることに意味はない。


 助けてくれた彼に、行きどころのない怒りをぶつけた。してはいけないことをしたのに。


『苦しかったよな……』


 最後に残った拘束具を、彼は外してくれた。


 その瞬間に、僕はとても長い間、自分じゃない誰かになっていたのだと気がついた。


 僕を背負って迷宮を進むその人は、魔物に道を塞がれても僕を置いてはいかなかった。


 その人が呼んだ翼竜の力を借りて空に飛び上がるときに、思った。


 もし、生きられるなら。


 この人のことをもっと知りたい。どんなことをしてでも、この恩を返したい。


 ありがとうという言葉では足りない。全部を、この人のために使いたい。


   ◆◇◆


 ファレル様がお風呂の準備をしてくれたとき、僕はどうしていいか迷っていた。


 ずっと『8番』と番号で呼ばれていたように、戦闘奴隷は男性も女性も関係なく扱われる。


 ファレル様も、僕のことを男性だと思っている。エドガー先生はちょっと変わっている人なので別として、リベルタさんは僕の身体を拭いてくれたときに、少しそのことに触れていたので、彼女は知っている。


 でも、ファレル様に教えていないみたいなので、僕もそうした方がいいのかなと思う。


 それより何より、初めてこういうお風呂を使うので良く分からなくて、困った時に鳴らすように言われたベルを鳴らした。


『最初は入り方を教えた方がいいか……よし、分かった。とりあえず服を脱いでだな、風呂場の方に入っててくれ。椅子があるから、そこに座るんだ』


 やっぱり脱がないといけないんだ、と思った。その時はまだ頭がはっきりしてなかったけれど、今だったら顔に出ていたと思う。


 身体を拭いてもらってはいても、僕はファレル様に匂いで迷惑をかけていないかが気になっていた。それを何とか伝えて、お風呂を沸かしてもらえることになったけれど、それもすごく申し訳なくて。


 ファレル様が見ている前で脱ぐことになるのかなと思ったけれど、すぐに外に出ていってくれた。僕に気を配ってくれてるんだとしたら、どれだけ優しい人なんだろう、と思わずにいられなかった。


 お風呂に入ってからまたどうするか分からなくて、ファレル様を呼ぶ時はすごく緊張したけど、髪を洗ってもらうときは夢見心地だった。人に洗ってもらったことなんて無かったし、折れた角も本当はそんなに痛くはなくて、どちらの角も触れられると心地よかった。


『次はこっちの石鹸を、こうやって布に擦って泡立てて、身体を洗う。背中は俺が流してやる』


 緊張していて何が何だか分からなくなりそうだったけど、ファレル様は優しい人だと分かっているので、安心できた。傷の治りは早いけど、背中がどうなっているのかは少し気になった――でも、大丈夫だったみたいで。


 尻尾を洗ってもらった時は、もうこのまま眠ってしまいそうなくらいだった。尻尾を安心できる人に触られるとどうなるのかも知らなかった――でも、ファレル様はそこまでで洗うのをやめて、あとは自分でということになった。


 まだ気づかれていないっていうことは、僕は見た目だけでは分からないくらい男性にしか見えないのかもしれない。後ろから見ただけだとそうなのかもしれない。


『おおっ、そのまま出てきちゃ駄目だ。髪を拭かないとな』


 髪を拭くためにきれいな布を使って良いのか分からなくて、そのまま服を着て出てきてしまった僕は、ファレル様に髪を拭いてもらいながら思った。


 ファレル様がそう思っているなら、このままでいい。僕を救ってくれた人を驚かせたり、困らせたりすることはしたくないから。

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