第13話 名前
一杯目は消化のいい具材を少し入れただけの控えめな盛り付けだったが、それでも俺が驚くほど早く完食してもらえた。
「…………」
「あっちの鍋にはまだおかわりもあるぞ。急に食べると身体が驚くからな……え?」
「……だい、じょうぶ」
「っ……声が出るようになったのか?」
俺にとっては急な変化に思えるが、少しずつ回復に向かってはいたのかもしれない――エドガーたちに伝えたらどんな顔をするだろう。
「……ファレル、さま」
「えっ……」
俺の名前を伝えてはいたが、呼ばれるとは予想がつかずに戸惑う。
「……僕、何か、変な……こほっ、こほっ」
「だ、大丈夫か……っ」
まだ声を出すことに慣れておらず、彼が咳き込む――しかし大事にはならず、すぐに落ち着いた。
咳をして目を潤ませながらも、大丈夫だと言うように微笑む。こんな子供をあれほどに追い込むとは――と、毎度怒れてくるが、今は我慢だ。
「全然変じゃない、俺はファレルだ。それで合ってるよ」
「名前を言ってくれたとき、僕も、言おうと思って、話せ、なくて……」
「慌てなくていい、急ぐことはないんだ」
まだ言葉はたどたどしいが、声を出すことにも徐々に慣れていくだろうか。
「……あ、あの。今日は、二度も、お風呂を……ありがとうございました」
「ごめんな、彼らがまだ街にいるのに、外を出歩かせたりして」
「……嬉しかったです、連れていってくれて。一人だと、何も……」
「何もってことはない。今は身体を治すのが君の仕事だ……そうだ。名前を言おうとしてくれてたんだよな」
尋ねると、彼は胸に手を当てる――緊張しているときに出る仕草らしい。
「僕は……セティ、と言います」
「……そうか、それが君の名前か」
「は、はい。その……あの人たちには、言っていないんです。奴隷になってからも、誰にも」
「それは……」
「……ずっと、番号で呼ばれていました。『8番』と。名前を知って欲しいという人に会ったのは、初めてです」
彼が『黎明の宝剣』で受けてきた扱いと、それ以前のことにまでも想像が及ぶ。
「……いったい、何があった? 君の種族が持つ力に、王国が目をつけたのか」
「亜人狩り……というようなことは聞いています。僕はまだ幼く、気がついた時にはもう奴隷の立場でしたから。五つの拘束具をつけられて、制約に縛られていました」
聖騎士団は王族、貴族、そして何より民を守るもの。しかしその優先順位は厳然としていて、抗うことはできない。
守る対象である人々は、時に強権を発動する――希少なものを欲しがり、力を求め、脅威と考えたものを攻撃する。
「……すまない」
「っ……ファレル様が謝られるようなことはありません、僕はあなたに、本当に……っ」
「俺は、亜人狩りを止められるような立場にいたことがあった。この国の軍にいたんだ」
「……でも、亜人狩りのことは知っていらっしゃらない。それなら、ファレル様がいないときに起きたことです。私はあなたに救われました……この胸にあるのは、その事実だけです」
気がつくと、セティは立ち上がっていた。テーブルの上に前のめりになって、熱心に訴えかけてくる。
「セティが強かったから、あの状況から戻ってこられたんだ」
「そんなことは……僕だけだったら、ずっと復活し続ける魔物たちを倒せないままでした」
「それでも、生きていてくれた。もしそうでなかったら、あのローブを着た骸骨は、セティと俺を戦わせようとしたかもしれない」
「……ファレル様に剣を向けるなんて。そんなことは、絶対にしたくありません」
「俺もセティとは戦いたくない。だが、その強さには驚かされた……『黎明の宝剣』なんて目じゃないくらいの素質が、君にはある」
「ぼ、僕は、そんな……使い捨ての駒とか、肉壁とか、そんなふうにしか……」
詳しく話を聞くほど『黎明の宝剣』に対する印象が落ちていくというのもどうなのか――だが、おおかたの想像通りでもあるのが正直なところだ。
「いや、セティの実力は目を
「……ファレル様は、
「ん? 俺にはこれくらいが性に合っているから……」
「そんな……そんなことは絶対ありません、ファレル様は、あの人たちよりも……っ」
「わ、分かった、話は聞くから、そんなに詰め寄ると……」
セティはテーブルを回り込んできていたが、俺の肩をつかんでいる自覚がなかったらしく、気づいて顔を赤くする。
「あっ……す、すみません、つい……でも、ファレル様がすごくお強いことを、知っているので……記憶はぼやけてしまっていますけど、ちゃんと見ました」
冒険者になる前の経歴、そしてなってからのことを考えても、それなりに腕に覚えはある――それでも、そんな人間の驕りを飲み込むのがヴェルデ大迷宮だ。
「……さっき、おっしゃったことですが。これからどうするのか……」
「あ、ああ。急かしてるわけじゃないからな、ゆっくり考えてくれて……」
「ファレル様と一緒に、冒険者をしてみたいです……っ」
「……ま、待て。確かに悪くないとは言ったが……」
「僕の実力は、中級相当よりはるかに上……とおっしゃいました」
それは嘘でも何でもないが――セティの方から、これほど前のめりになるとは思っていなかった。
「……ファレル様は、子供をなだめるために、お優しいことをおっしゃる方なのですか?」
これはお手上げだ――そんなふうに詰められては、返す言葉もない。
「……こんなおっさんとパーティを組むとか、物好きだって言われると思うぞ」
「その……私の方こそ、ある程度素性を隠さないと、ついていくこともできないと思うので、ご迷惑をおかけしてしまいますが……」
『黎明の宝剣』がセティをメンバーとしてギルドに登録していなかったことは分かっているので、それなら手続き上は何の問題もない。
(しかし……話してるとたまに気になることがあるような……)
「……やっぱり、難しいでしょうか」
「い、いや。俺から提案したことだし、全く問題はない。身体が治り次第、気が向いたら仕事を受けて大迷宮に行ってみるか」
「っ……ありがとうございます、ファレル様……!」
この懐き方は、もはや子犬か何かのようだが――元気になったということで、良しとしておくべきか。
「……あっ」
まだ食事を控えめな量だけにしておいたからか、きゅるる、と音が聞こえてくる。
「もう少し食べられそうか? 材料はあるし、粥も作るか」
「は、はい……お願いします。あの、僕もお手伝いしてもいいですか?」
「そいつは助かるな。味付けとかも自分の好みにしていいからな」
「いえ、それはファレル様のお好みで……あっ……お粥などは、ふだんは召し上がらないですよね」
「たまに食うとなんでも美味いもんだ」
歯ごたえが欲しければ野菜と干し肉をかじればいい――と、自分が満足しようと料理にこだわっていたのが、セティが来てからがらりと変わってしまった。
「ファレル様、これはなんですか?」
「俺もよくわかってないが、たぶん食べられるんじゃないか? デザートにしてみるか」
天衝樹の葉の代わりとしてあの葉が使えたということなら、実の方も天衝樹に類する木の実ということになる。高地の民が好む果物という可能性もなくはない。
まず俺が毒見をしてから、セティが希望するなら食べさせてみることにしよう。
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