第12話 雨の終わり
レシピを書き写させてもらい、メネアさんの店を後にするというところで来訪者があった。
「もし、店主様はいらっしゃいますか」
エルバトスには複数の冒険者ギルドがあるが、その中で最も権勢を誇っているのは『金色の薫風亭』である。
そこから使者が訪れたようだが――俺は奥に引っ込んで姿を見せないようにする。
「はい、いかがなさいましたか?」
「ああ、良かった。急なご相談ではあるのですが、悪い話ではないと思います」
店頭で話していても、二階の居間まで声は聞こえてくる。
「先日、当ギルドに特級パーティの『黎明の宝剣』が訪れまして。王都の拠点に人を集めているとのことで、優秀な薬師を雇用したいとおっしゃっているのです」
また『黎明の宝剣』――ジュノスとガディ、ロザリナの顔が頭に浮かぶ。
「申し訳ありませんが、私はすでに隠居しているようなものですので。できれば他を当たっていただけると助かります」
「そうですか……条件はこのようになっているのですが」
メネアさんは条件に目を通しているようだ。紙をめくる音が聞こえ――そして。
「高い評価をしていただいて光栄ですが、やはり辞退させていただきます」
「そうですか……『天駆ける翼馬亭』からの紹介であれば受けられましたか?」
「そちらのギルドとは懇意にさせていただいていますが、それはそれ、これはこれ……ですわ」
「分かりました、では他を当たってみます。くれぐれも後悔のなきよう」
捨て台詞のようなことを言って、『金色の薫風亭』のギルド員が帰っていく。
メネアさんはドアの鍵を閉め、二階に上がってくる――そこまでは張り付いたような笑顔だったのだが。
「『金色の薫風亭』にもお世話になったことはあるから、あまり言いたくないんだけど。人材の取り合いみたいな意識を持たれても困るのよね、私はマイペースにお店をやりたいんだから」
「メネアさんは、向こうのギルドには依頼をしてないんですね」
「ま、まあそれはね。信頼できる人に頼みたいし……あっ、そういう意味じゃなくてね、お得意様との取引を大事にしたいっていうことでね……」
「ありがとうございます、また依頼があったらいつでも言ってください」
いちおう俺がお得意様ということになるのかと思ったのだが、メネアさんは何か言いたそうにこちらを見てくる。
「……ファレル君はそういうところが美点であり、問題でもあるわね」
「も、問題……というと?」
「なんでもないわ。ちょっと雨が降ってきたから、帰るときは気をつけてね。あなたも来てくれてありがとう、ファレル君は優しいから遠慮なく頼っていいのよ」
「…………」
俺が見ている前でそんなことを言われると落ち着かないのだが――彼はやはり声を発することなく、今回は頷くこともなかった。
◆◇◆
家のある街区に行く前に、門前通りという馬車が行き交うような広い道がある。
まだ『黎明の宝剣』はこの街にいる。そう分かっていても、そうそう姿を見ることは無いと思っていた――しかし。
「っ……!」
雨の中を走る馬車。その客車に、ジュノスと仲間たちが乗っていた。
「――あぁぁっ……!!」
待て、と言う間もなかった。彼は俺の背中から降りると、がむしゃらに走って馬車を追いかけていく。
しかし体力が落ちた身体では、追いつくことはかなわない。
彼は転倒し、その場にうずくまる。市民たちが呆然と見ている中で、俺は彼に追いつき、抱きかかえる。
「うぅっ……うぁぁっ……!」
何も言葉が出てこない。顔をぐしゃぐしゃにして縋りついてくるのに、何もしてやれない。
「……うぅぅっ……!」
感情を表さないなんて、それはただ表面を見ていただけだ。
抑え込んでいるだけだ。『古き竜の巣』で彼を見つけたときから、まだ何も変わっていない。
『黎明の宝剣』に対してどんな感情を持っているのか。他人の俺が覚えている義憤なんて比較にならないほどの怒り。それほどに怒って当たり前だ。
「おい、あの子、派手に転んだけど……」
「馬車が通る道をちんたら歩いてんじゃねえ! ……ひぃっ!」
そんなつもりはなかったが、俺も感情を抑えきれていなかった。
『黎明の宝剣』はメネアさんを自分の陣営に入れようとした。人を一人迷宮で見捨ててきたにもかかわらず。
「……俺もあいつらを許せない。けどな、それでも今は抑えるんだ。いつか必ず見返してやろう」
「っ……うぐっ……うぅ……」
彼は何も言わない。それでももう取り乱すことはなく、俺の胸のあたりの服を強く掴んでいた。
◆◇◆
家に帰り着くと風呂の準備をして、彼が入っている間に料理に取りかかる。
高地で湯を沸かすと温度が低くなるので、特殊な釜を使って料理をしていたらしい。平地ではその必要はないと考えられる――レシピに載っているものと近い野菜を切って網に入れ、出汁を取る。
うちの地下には貯蔵庫として氷室を作ってある。マルーンキングの尻尾肉を出汁取りに使うのは非常に贅沢だが、レシピに『マルーン系魔獣の尾の肉』と書いてあるので、これを使わない手はなかった。
肉をスライスしてから巻き、紐で縛り、鍋に投入する。出汁を取ったあとの肉は別途調味料につけておけば、後日簡単に品数を増やすことができる。
「……問題はこれだよな。『
天衝樹というのは、世界でも最大級の樹高を持つ木のことだ。地上から届かない高さにしか葉がつかないし、自然に葉が落ちることもほとんどないという。
いちおう図鑑に葉の形が載っていたので書き写してきたが、こんな葉の形に覚えは――と考えて。
「……待て……ちょっと待てよ」
彼を連れ帰ってきたときに、採取したもの。メネアさんに届けるもの以外は、庭の倉庫に入れておいた。
雨の中、小走りで倉庫に向かう。そして棚の中に入っている葉と実を見つける。
――見たことがない葉だ……実もついてる。鳥がどこかから集めてきたのか?
――グルル、ガルッ。
なぜ、深層に降下する途中で立ち寄った樹木の葉が、天衝樹のものと似ているのか。
「……似てるからって使えるとは限らないが……」
葉をかじってみる。クセはあるが、どうやら毒性はなく、スープを作る時に一緒に入れることのあるハーブに似ている。
「まあ、駄目だったら無しで作り直せばいいか」
翼竜のグラが教えてくれたものなのだから、竜が好むものなのかもしれない。
実のほうは手のひらに載る大きさで、中身がしっかり詰まっているようだ。とりあえずこれも厨房に持っていくことにした。
◆◇◆
風呂から出てきた彼の髪を乾かすなどした後、しばらく待っていてもらう。
鍋の蓋を開ける――今まで作ったスープのどれとも違う。
琥珀色に透き通ったスープを匙ですくい、味見してみる。素材の味が溶け合って、二重三重のコクが生まれている。一口飲むとすぐに次が欲しくなるが、味見はもう十分だ。
スープ皿に盛り付け、ダイニングルームに持っていく。
「…………」
これで食べてもらえなくても、決して諦めることはない。
彼は反応を示さない。しかし、ただじっと目の前の皿を見つめている。
まるで時間が止まっているようだった。
彼がスプーンを手にする。そしてスープをすくい――口に運ぶ。
何も声が出せない。見ていることしかできない。
もう一度、同じことが繰り返される。しかし二度目は、その頬に朱が差している。
「……おい……しい」
初めて、言葉を聞くことができた。
何もしてやれないという無力、それすらも驕りなのかもしれないと思った。だが、全てが報われたような気がした。
「おいしい……」
その目から伝う涙を拭いても、とめどなく伝い落ちた。
しかしそれはもう、激情の中で流れるものではなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます