第11話 竜人のルーツ
メニューが決まりかけたところで、やっておくことがあったのを思い出した。
「……おお……」
脱衣所のカゴに入れられた病院着。入院中も替えられてはいたようだが、洗おうとして手に取って見て、思わず声が出る。
(なるほど、風呂に入りたいって言うわけだ……まあ、迷宮の中で一週間風呂に入れなかった時の俺と比べたらまだいい方だな)
一日で脱出できればまだしも、二日、三日と過ぎていくとどうしても臭くなる。中には風呂に入れないことが死活問題になる人もいて、衛生面の対策は冒険者を常に悩ませる問題だ。
着替えは準備してあるので良いとして、尻尾を出す穴がない。開けた方がいいのかは後で聞くこととして、とりあえず洗濯をすることにした。
◆◇◆
庭の物干し台に洗った病院着を干す。彼が使っていた装備でまだ使えそうなものも持って帰ってきたのだが、綺麗にするのに時間がかかりそうなので、後で腰を据えてやることにする。
家の中に戻ってくると、ふわっと石鹸の匂いがする。風呂から出てきたのか――と思って何気なしに視線を向けると。
「おおっ、そのまま出てきちゃ駄目だ。髪を拭かないとな」
「…………」
濡れねずみで出てきてしまった彼を脱衣所に戻し、髪を拭く。折れた角を傷めないように注意しつつ拭いて、長い髪の水分を取る――俺一人なら必要なかったが、髪を乾かす熱風の魔道具が欲しくなる。
「…………」
彼は振り返ってこっちを見てくる。髪に何かつけているのが気になったらしい。
「風呂上がりは乾燥するからな。これをつけておくと後でサラサラになる。こういうのは苦手か?」
小さく首を振る。メネアさんからもらったものだが、俺が自分で使ったときはなかなか良かったので、気に入ってもらえるといいのだが。
そして彼が首を振っただけで服が肩までずり落ちてしまう。ちょっと大きかったか――それに加えて着方もなかなか大雑把だ。
「風邪を引かないように、服はしっかり着ないとな」
「……っ」
それについては世話をする必要はなく、彼が自分で着崩れを直した。
まだ手当てが必要な部分について教えてもらっていたので、左手に包帯を巻き、右目に眼帯をつける。折れた角には薬を塗り、頭にも包帯を巻く。
「よし……気になるところはあるか?」
首を振る。俺のほうも何か見落としはないかと考えて、気づく――彼の爪がかなり伸びている。
「ちょっと爪を整えるけど、大丈夫か? 切ったりするのは」
「…………」
少し不安そうだが、頷きが返ってくる――今まではどうやって整えてきたのだろう。
彼は椅子の背もたれに爪を当てる。それが意味するところに、一呼吸遅れてようやく気づく――硬いもので爪を研いでいたということか。
「爪で攻撃するとかじゃなければ、丸くしておいた方がいいな」
「…………」
今度の頷きは、さっきよりも不安を感じさせなかった。俺は爪を整えるための道具を持ってくる――爪をヤスリで整えるときは少々怯えられたが、痛くないとわかるとそこからは特に問題なかった。
◆◇◆
まず家にあったパン、果物を出してみたが、彼は手をつけない。塩漬け肉と野菜を使ってスープを作ってみたが、それも駄目だった。
栄養液と甘くしたミルクがあればそれでいいというような意思表示もされたので、俺がしようとしていることは余計なことなのかもしれない。
――しれないが、療養食を始めてほしいと言われているということは、それはきっと回復に必要なことだ。
竜人について何か知ることができないかと、彼を連れてメネアさんの店を訪ねる。彼女はもう店じまいをするところで、快く応対してくれた。
「ファレル君ったら、この時間までずっと厨房で四苦八苦してたのね」
「いや、そういうわけじゃ……って言っても、虚勢でしかないですね」
スープならあるいはと望みを見出して、一種類作っただけで諦めるということはない。ただ、闇雲に作るよりはもう少し考えるべきなんじゃないだろうかと考えた。
「……すごく綺麗な子。竜人と人間のハーフ……王国は、やっぱり今でも表に出ないところで酷いことをしてるのね」
彼は座って、家の中を見ている――のか見ていないのか、目の焦点が合わないのでわからないが、落ち着いた様子だ。
「亜人種の能力に対する恐れは、なかなか拭い去れるものじゃない。それであっても、こんなことを見過ごしてほしくはなかったんですが……」
「あなたとイレーヌさんは見過ごさなかった。そういう人たちとお友達で居られて誇りに思っているわ」
「いや……何というか、光栄ですが。でも俺は……」
「そんなに謙遜しなくていいのよ、あなたはあの子にとっての英雄なんだから」
褒めすぎだと言うのも封じられ、頭を掻くしかない。彼が俺のことをどう思っているか――変な奴に引き取られたと思われていなければいいが。
「それで、あの角の形だけど……この図鑑に載っている竜じゃなくて、こっちの本の方に、近いものがあるわね」
「これって……おとぎ話、ですよね」
その本は『竜の住む山』というものだった。子供が読み聞かせられるおとぎ話だ。
「山奥で暮らしていた竜が、人間と交流する話。その竜の角が……」
「……確かに似ている……気は、しますね」
古い本のうえに、挿絵はかすれていてはっきりしないが、角の形はわかる。おとぎ話に登場する竜の角は彼の角より大きいが、形状が似ているのだ。
「おとぎ話の発祥の地は、王国北部の山岳地帯とされている……竜人は、竜と人が交わって生まれた種族と言われているから、角の形は祖である竜に由来する。仮説ではあるけれど」
「北部の山岳地帯……そのあたりで、どんな食事が摂られているか分かる資料はありますか?」
「料理に関する本はそっちの棚に入っているわ。確かあったと思うけど……ファレル君、一緒に探してもらえる?」
「はい、勿論」
メネアさんの言う通り、料理の本が納められた本棚を調べる。かなりの蔵書数だ――というか、俺もここで別の本を読ませてもらったことがある。
「ん……っ」
高い位置にある本に手が届かず、メネアさんが背伸びをしている。踏み台を持ってくるよりは、俺が取ってしまった方がいい。
「これですか、メネアさ……」
「きゃっ……ご、ごめんなさい……」
メネアさんがバランスを崩してこちらに寄りかかってくる――弾力のあるものが惜しみなく当たっているが、反射的に心を無にする。
「…………」
「あっ……え、ええと、ちょっと調べ物をね。高いところの本を取ってもらってたの」
「ごめんな、待たせてて退屈だったか」
いつの間にか、彼が席を立って俺たちのすぐ後ろに立っていた。
「ああ、これね。この本に載ってるはずよ」
『高地の民とその習俗』――いくつかの章立てがされているが、そのうちの一つで料理について説明していた。
「…………」
「ファレル君に一緒に読んでほしいみたいね」
「そ、そういうことなんですか? 俺よりよく分かるんですね」
「私も種族柄長く生きているから、少しくらいはね。二人とも何か飲む? いったんティータイムにしようかしら」
メネアさんに彼が飲めるのはミルクだと伝える。席に着いて本を読もうとすると、立ったまま横から見ている――本当に一緒に読みたいということか。
「この料理、見たことあるか? というか、食べたことは……」
「…………」
頷きが返ってこない。開いたページを彼はじっと見つめている。
『はい』と『いいえ』を書いた紙を彼の前に置き、意思表示をしてもらうように頼む。この本に手がかりはあるのか、それとも――。
やがて震える指で示されたのは、『はい』の方だった。
「そうか……ありがとう、教えてくれて」
高地の郷土料理である煮込みスープ――そのレシピを、俺はどこまで再現できるかを考えていた。
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