第3話 深層

 ――ヴェルデ大迷宮 五層 『曙光の洞』――


 グラが滑空する速度を緩め、安定した足場を探して着陸する。


 深度計は5層を示している。交換用のマスクはあるが、活動できる時間は長くて六時間ほどといったところか――それ以上は、結界石つきのテントでもなければ凌げない。


「また俺はここに戻ってくる。笛を鳴らしたら来てくれると有り難い」

「グルル……」


 俺はグラの顎を撫でつつ肉を与える。ガツガツと食べたあと、舌なめずりをして、グラは上空の霧の中と飛び立っていった――霧のように見えるが、あれは植物の胞子だ。吸い込みすぎると肺を病むが、迷宮の魔物にとっては無害らしい。


 迷宮の中でも時間によって明るさが変わるが、このあたり一帯は時間に関係なく明るいので、『曙光の洞』という名がつけられている。


(依頼の品はすぐ見つかりそうだが……おっ……)


 近くの岩窟に足を向けて中を覗いてみると、すぐそこにキノコが生えていた。依頼書の内容と照合していくつか採取し、他の荷物に影響を与えないように専用の袋に入れてザックにしまう。


 迷宮の菌糸類は生命力が強いものがあったり、逆に環境が変わるとすぐに品質が変わってしまうものがあるので、持ち帰るにも注意が必要だ。迷宮素材の取扱免許を得た薬師でも、工房の中で全身からキノコが生えた姿で見つかることもある――俺に依頼してくれたメネアさんは、そんなヘマはしないと言っていたが。


 迷宮内は風景が変わりがちなので、毎回目印になるようなものをいくつか記録して方角を把握している。前にここまで来たのは一週間前――幸いにも環境の変化は少なく、自作の地図を見ながら進む先の目星をつける。


 5層に降りた特級パーティが向かうとすれば、どちらの方向か。考えられるとしたら北側――そちらの方角には『古き竜の巣』と呼ばれる場所があり。かつてそこを棲み家にしていた竜が集めた財宝が眠っていると言われている。


(入ってはならないとされてはいるが。その警告を無視できる者がいるとしたら、特級パーティくらいだろう)


 何度も5層に降りている俺も、入り口までしか足を向けていない。それは『古き竜の巣』に入ったパーティが、何組も全滅の憂き目に遭っているからだ。


 今探索が進んでいるのは5層南部で、そこに6層に降りる道がある。4層に上がれば『中層街』と呼ばれる場所があり、そこを拠点にして続けて6層に挑んでいるようなパーティもいる――だがそれほどの実力者でも、他のパーティの救助に割く余裕はない。


(『黎明の宝剣』がどこで何をしていたのか……俺の目星が外れたら、中層街に上がって聞き込みでもするしかないか)


 その時は手遅れになっていてもおかしくない。だが、一人で『古き竜の巣』に行くというのもなかなかの無謀だ。イレーヌに悪気はないのだろうが、様子を見てくるだけでもなかなかハードだといえる。


 俺は『奇特な依頼』のついでに足を向けているだけだ。できれば見つかればいい、その程度の話でしかない。


 だが、走らない理由もない。『古き竜の巣』を目指す経路を地図上で割り出し、できるだけ魔物を無視して進んでいく――すると。


「――ワォォーンッ!!」


 シャドウウルフ――迷宮外の狼よりも一回り大きな体躯を持ち、深層初心者にとって脅威となる急所攻撃をしてくる魔物。


「――おぉぉっ!」

「ギャゥゥンッ……!?」


 背負った剣の柄に手をかけ、片手で振り抜く――剣の腹でシャドウウルフを弾き飛ばすと、その身体はキリモミしながら飛んでいった。


 この長剣の重量は、並の大剣よりも重い。重さと速さ、それが純粋な威力を生む。


 仲間がやられると群れで囲んでくるのがシャドウウルフの習性だが、遠巻きに見ているだけで何もしてこない。俺が視線を向けるとたじろぎ、逃げていく者もいた。


 幸いにも他の魔物に遭遇することなく、走り続ける。『古き竜の巣』の入り口は谷の向こうにあり、一本橋になっている岩の道を渡る必要があるのだが――その前に、道を塞ぐように誰かが立っていた。


「……これより先には進むな。亡竜の怒りに触れている」


 聞こえたのは女性の声だった。若い声だが、全身を蓑虫のような衣で覆っていて得体が知れない――帽子を深く被り、顔の下半分をマスクで覆っているが、目には澄んだ光を湛えている。


「亡竜……この巣の主だった竜のことか。なぜそれが怒っているとわかる?」

「竜は宝を侵すものを許さない。たとえ亡霊となってもだ。今、この巣の中にいる者はいずれ死ぬ。入ればお前も死ぬぞ」

「『黎明の宝剣』ってパーティが、深層に同行者を残していった。それは知っているか?」

「……彼らが犯した罪は、彼らの仲間が償わなければならない。生贄は、必要だ」


 彼女は『古き竜の巣』で何が起きているのかを知っていて、行くなと言っている。


 迷宮の中で瘴気を浄化できる環境を作り、暮らしている者たちはいる。彼らは地上から来た冒険者と必ずしも敵対はしないが、彼らには彼らの掟がある。


 『黎明の宝剣』はその掟を破った。『古き竜の巣』で罪とされることを行った――だが。


「ここに一人で残されるようなことを、自分で望むわけがない」

「……なぜ、それほど他者のことを気にかける? ここまで一人で来られるほどの者が」

「そういう理由を考えたことがない。どうしても駄目だと言うなら、あんたを押しのけるわけにもいかないしな……どうするか」


 どうすれば『古き竜の巣』に入ってもいいのか。それを尋ねようとしたとき、谷の向こうに彼女が視線を向けた。


「……中から何も持ち帰らないこと。持ち帰るならば、あの竜の巣の深奥まで入らなければならない」

「戦利品を持ち帰るなら、完全に攻略しろっていうことか。『黎明の宝剣』はそれをしなかったんだな」

「あの者は、墓荒らしの仲間だと認識されている。それを変えるには……」

「『黎明の宝剣』との契約に類するものを、破棄すればいい……ってことで合ってるか?」


 彼女は答えなかった。ただ、目を見開いてぱちぱちと瞬きしている。


「……迷宮の民ではないのに。なぜ、それほどよく知っている?」

「なんとなく当たりをつけただけだ。今聞いた条件は必ず守る。それなら、入ってもいいか」


 しばらくの間を置いて、頷きが返ってくる。俺は彼女に頭を下げ、竜の巣に渡る岩の道に踏み出していく。


「……できれば、死なずに戻れ」

「ああ。ありがとう、あんたがそこにいてくれて良かった」


 そういえば、互いに名前も名乗っていない――ここで死ぬつもりはないので、戻ってから話せばいいことだ。






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