第23話 アイリーネのいない日
翌朝、私は図書室の片隅で杖の素材に関する本を捲っていた。
普段ならばアイリーネ様の化粧や着替え、髪の手入れを手伝っている時間だ。あの月下の決闘の翌日、アイリーネ様は実家に用があると言って学校を出てしまった。私に、同行は不要と告げて。
寮の私室はアイリーネ様がいないだけでずいぶん殺風景に思え、時間も空間も持て余して、図書室へ避難してきたのだった。
「はぁ……」
手元の本には、杖の素材として使える植物や鉱物の知識が載っている。
「……アイリーネ様の杖にも、紅玉が使われてたっけ」
唯一の主人にして友人の不在に加えて、ルーダ婆さんに杖を仕立ててもらえなかったことも不安の種だ。杖がなければ魔術が使えず、当然、決闘もできない。そもそも決闘できるような精神状態ではないが。
(アイリーネ様。どうして……)
どうして。なぜ。……どうして。
あの夜からずっと、頭の中には、疑問符だけが跳ねまわっていた。
アイリーネ様はどうして『残念』と言ったのか。杖を折るほどの、怒り、悲しみ、あるいは失望を与えてしまったのならば謝りたい。謝って縋りついて許しを乞いたい。けれど愚かな私には、何を謝るべきかもわかっていないのだ。
弱かったからだろうか。
諦めたからだろうか。
魔術に見惚れてしまったからだろうか……?
「おい」
「……はぁ」
「さっきからうざったい空気を撒き散らかしてんじゃねえよ、フォニカ」
ぽふ、と髪を撫でられた。
「!?」
慌てて顔を上げる。いつの間に近付いてきたのか、ベナが苦笑を浮かべて見下ろしてきていた。大きな手が、髪をくしゃくしゃと撫でて離れていく。
「や、止めなさい」
「こっちの台詞だよ。さっきからため息ばっかりつきやがって、空気が重くなるから止めろ」
……そんなにため息ばかりついていただろうか。否定しきれないので口をつぐんでおく。
ベナは勝手に私の隣に腰を下ろし、手元を覗き込んできた。真剣な表情。普段の下品な笑みがないと、中性的に整った顔立ちが強調されて……ほんの少しだけ目を惹く。アイリーネ様の美貌とは比べ物にならないが。
「杖、新しくすんのか?」
「……貴女にはわからないかもしれないけれど。杖の情報というのは、魔術師にとって非常に重要なの。そう気軽に話題にしていいものではないから」
「いいだろ別に。で、何にすんの? ネジで出来た杖とか?」
この女、人の話を聞かないな……。
はぁ、と今度は聞かせるためにため息をひとつ。
「杖をあまり具体的なモノにしてしまうと、その概念に魔術が引きずられる。あくまで杖は魔力の媒介が本懐でしょ」
「はーん。そういやカジナ先生がなんか言ってたな」
カジナ先生は
ちなみに、特定の魔術を強化したり、操作しやすくするために、杖とは別に呪物や触媒を持つのも効果的だ。また別の習熟が必要になるし、希少な呪物は杖以上に高価なものもあるから、一般的とは言えないが。
「んじゃ別の話な。何をそんなに凹んでるんだ?」
「貴女には関係のないこと」
「アイリーネのことか」
「なっ、んでっ、なんのことかしら」
誤魔化せて……いないようだった。ベナがどことなく愉快そうに細めた目で無遠慮に見つめてくる。
「わかりやすいな。何があったんだ?」
「……関係ないでしょう」
「関係ねーから話せるんだろ」
ぐ、ぬ。一理ある……いや、騙されるな。出来事に関係はなくとも二人とも面識があるのだから無関係ではない。
それに、何より。アイリーネ様と私の間のことを知られるのは、何となく嫌だった。
「余計なことを聞かないで。……それにしても、この前も図書室で会ったし。貴女、本が好きなの?」
「好きってわけじゃねーけどな。あたしの魔術は知らねえ獣には変身できないから、調べてんだよ」
「……そう」
予測できていることでも、こうもあっさり魔術の制限を開陳されると戸惑ってしまう。変身魔術は使い手が少なく、今の一言だけでも重要な情報になりかねない。
「故郷の路地裏じゃ、本なんて見たこともなかったしな。それなりに楽しいもんだ」
「熱心なのは良いことね」
「強くなった分だけ、いけすかねえ貴族どもをぶん殴るのもやりやすくなる」
「前言撤回。最低ね」
「は。決闘なんてやってる連中は、皆そうだろ?」
とくんと胸が高鳴った。
確かに、ベナの言葉は……表現はともかく……知識を得て魔力を鍛え、決闘に勝つ、という流れそのものだ。勝ちたいという思いは、決して悪ではない――つい先日、クレア様との決闘を通して私が抱いたように。
今、ベナは『皆』そうだと言った。
アイリーネ様も、そうなのだろうか。
(……決闘が好きなのは間違いない。戦うのも、観るのも、話をするのも好きだ)
決闘ごっこで遊んでいた幼い頃から、それは変わらない。変わらないどころか徐々に悪化、もとい興味を増しているようだ。
でも、シーズンが始まってからの決闘は、どうだっただろうか。
アイリーネ様に匹敵するような相手はほとんどいない。『運命戦』もほとんどが圧勝だ。ドロテ先生の現役時代を語った時ほどの楽しそうな様子で、決闘をしていただろうか……?
(勝ちたいという思い)
記憶をさかのぼり、幼い頃のことを思い出した。
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