第21話 月下の決闘
「アイリーネ様。折り入ってお願いがあります」
「どうしたの、改まって?」
一週間ほど悩んでから、私はアイリーネ様にお願いをしてみることにした。
慎重に言葉を選ぶ。
「私と、決闘……の、模擬戦をしていただきたいと思って」
「まあ!」
花が咲くように、アイリーネ様が笑った。眩しい。
「もちろんいいわ。……ん? 模擬戦、なの?」
「は、はい。正式な決闘でお手間を取らせたくなくて……練習試合と言いますか……軽くお手合わせ願えれば、と」
「ふぅん……? ……いいわ、やりましょう」
何やら言いたげな表情で、頬に手を当てて考える仕草もまたかわいらしい。どういう思考を経たのか、ともあれ頷いてくれた。
決闘場は、誰もいない夜の第三校庭。冴えざえとした白い月だけが私たちを見下ろしていた。
「「魔力は青き血に宿る」」
私とアイリーネ様の声が重なった。少しひそめた声が互いの耳にだけ届く。
「鋼のごとく精錬した術式の硬きを杖に賭す」
「鉄を灼き鋼を熔かす術式の熱きを杖に賭す」
宣誓を終え、呼吸をはかる。立会人の合図もない決闘は、しかし、当然に全く同じタイミングで術を撃って始まった。
「火よ」
「火よ、連なれ!」
巨大な火球を打ち出すアイリーネ様。私の方は六つの火球を放つ。ひとつはアイリーネ様の火へと飛び込んで誘爆させ、残りの五つは斜めに飛んでアイリーネ様を狙う。
ぶつかり合って熱波を撒き散らす火球の向こうに、アイリーネ様の少し意外そうな、愉快そうな微笑みが見えた。
「貴女は複数顕現が得意ね。私も見習ってみましょう」
大杖〈
「追い詰める火」
「耐火煉瓦!」
小さな火が十個ほど、〈熔鉄炉〉の周囲に浮かぶ。熱源を追うように設定された火は鋭く飛び出して、私の火を迎え撃つ。余った二つがこちらを目がけて飛んでくるのに対して、耐火煉瓦を呼び出して防ぐ。
〈盾と槍〉戦法は私に合っているようだった。耐火煉瓦はアイリーネ様の魔術でもしっかり防げるだけの強度を保てている。
問題は槍、つまり攻撃の魔術の方だが。
「鋼の、槍!」
「鋼の槍」
杖を叩きつけるような仕草で顕現させた槍を放つ。アイリーネ様が突き出した大杖の先からも、同じように鋼の槍が放たれる。
黒鉄の塊が正面からぶつかり合う。耳をつんざく金属音。私の槍は粉々に砕かれ、アイリーネ様の槍は多少欠けた程度でこちらへと飛んでくる。
重い槍は耐火煉瓦では防げない。慌てて校庭に身を投げて槍を躱す。ごう、と槍が風を貫く音が耳元を通り過ぎていった。怖い。
制服につく砂を払う間もなく、急いで立ち上がって杖を構える。互いに向け合った杖の向こうに、アイリーネ様の楽しそうな笑顔。
「裂け、回転する剣」
「鋼の盾! 打て、鋼の槌!」
アイリーネ様が放つ巨大な剣が、凄まじい勢いで回転しながら迫る。私のお腹など枝のように切り裂いてしまいそうだ。
鋼の盾を顕現させて阻みつつ、鋼の塊に柄を付けただけの戦鎚を打ち出す。
盾が軋む。金属が擦れ合う激しい音。アイリーネ様の剣の刃は重く鋭く、鍔には精緻な紋様が刻まれている。
「くっ……!」
「ふふ、良い重さだけれどもう少し、ね」
ばぎん、と鋼が割れる音。
防ぎきれなかった鋼の盾が割り裂かれ、回転する剣がわずかに勢いを落としながらも私に迫ってくる。鋼の槌の軌道をぎりぎりで操作し、上から叩き落とすようにぶつける。
ぎゃぎゃが、と削れる槌と剣。長い一瞬ののち、二つとも砕けて鋼の破片を撒き散らし地面に落ちる。
アイリーネ様の攻撃魔術ひとつに対して、私は防御と攻撃のどちらの魔術も使ってようやく相打ちだ。〈盾と槍〉、〈弓と矢〉、いずれの戦法にも一長一短はあるにしても、魔力と技量に差がありすぎると戦法どころの話ではない。
「こういうのはどうかしら。追い詰め、貫け。〈蛇行する槍〉」
必死に凌いだ私と違い、アイリーネ様には即座に次の魔術を撃つだけの余裕があった。二節の詠唱によって顕現したのは、手のひら大の槍の穂先を連ねた異形の槍だ。巨大な鱗を持つ蛇のようにも見える。回転する剣よりは遅い速度で打ち出された槍は、名の通り、ぐねりと蛇行して迫ってくる。
ものすごく怖い。
「は、鋼の、盾」
絶え間ない魔術の攻防に、頭の中が熱を持つ。自然と息が上がり、喘ぐような声で『鍵となる言葉』を囁く。何とか顕現させた盾を、〈蛇行する槍〉は身をくねらせて巧みに避けて迫ってくる。
この鋭利で狡猾な魔術を防ぐためには。
「鋼板!」
細長い鋼の板を三枚、杖を掲げて頭上に顕現させ、斜めに落とす。〈蛇行する槍〉の頭、胴、尻尾をそれぞれ打ち据えて地面に叩き付けた。尻尾の部分は避けられたが、二か所を打たれて歪んだ槍は動かなくなる。
そして、この恐ろしい魔術さえもアイリーネ様の布石。
視線と意識を奪われた隙に、アイリーネ様は既に次の魔術の詠唱に入っていた。〈熔鉄炉〉を突き出して、『鍵となる言葉』を唱える。
「火の波よ、加速せよ」
人を覆うほどの炎の波が顕現し、後ろにも火を噴いて加速する。クレア様の光ほどは速くないが、鋼と炎の魔術の中では間違いなく最速だ。
炎の波に見惚れる。
(ああ……)
恐怖と、恐怖など塗りつぶしてしまうほどの感嘆を覚える。
同じ火の魔術を使うからこそわかる、強大な魔力と繊細な技術。
(やっぱり、アイリーネ様は、すごい)
炎の波が届くまで、一瞬。
〈火防りの砦〉ならば対応できたかもしれないが、魔術に見惚れていたせいで、その一瞬は過ぎ去ってしまった。
元々、勝てると思って挑んだ模擬決闘ではなかった。経験を積んで、アイリーネ様にどのくらい近付いたか知りたかったのだ。実際は……まだまだ測れないくらい、遠い。
「ひ」
私の吐息が触れるほどの距離で、炎の波が停止する。じり、と顔を炙るような熱気が一瞬で弾けて消えた。
熱波に髪を揺らされながら、揺らめく夜気の向こうに視線を向ける。杖を構えたアイリーネ様の、表情のない、顔。
「フォニカ」
「……アイリーネ、さま?」
「なぜ、手を抜いたの?」
その問いに、喉が詰まった。
手を抜いたわけではない。全力だし、本気だった。
そう答えようとして、だが声が出ない。問いの意味がわからないわけではなかった。
最後の一瞬、私は……圧倒され、感嘆し、――諦めたのか?
「フォニカ」
アイリーネ様が杖を高く掲げる。その顔は、無表情なのに、なぜか泣きそうに見えた。儚い月光に、美しい。
「残念だわ」
冷たく囁いて、大杖〈熔鉄炉〉が振り下ろされる。
月光にきらめく刃が顕現し、私の短杖を叩き折った。
杖が折れる感覚は、刃の鋭さを証明するように軽かった。
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