第15話 毒の魔術

 さて。

 あなたは、恐ろし……もとい尊敬する先達から杖を向けられたまま詰問される、という状況に陥ったことがあるだろうか。しかもクラス全員で重圧を分かち合う教室でではなく、校庭で一対一、である。


「魔術の速さを決定する三要素を答えなさい、フォニカ・スリーグ」

「そ……想起、発動、投射の三要素です」

「よろしい。授業はしっかり聞いていたようですね」


 白地に赤の蔓模様が刺繍された外套。まっすぐ構えた、右手の短杖。その背筋は凛と立っている。ドロテ先生の立ち姿は、アイリーネ様の次に恰好良い魔術師の姿だった。

 問題はその杖が私に向けられていることだが。


「では、各工程を意識しながら、私に火の魔術を撃ちなさい」

「はい」


 短杖を構え、ドロテ先生へ向ける。

 想起――今から使う魔術をイメージする。ぼんやりと想像するのでは足りない。魔力によって世界の理を乱し、結果として現実をどのように変化させるのか、確固たるイメージを持つ必要がある。

 発動――伝達具である杖に魔力を通し、『鍵となる言葉』を発することで、魔術を発動し、顕現させる。


「火よ!」


 投射――狙いをつけ、魔術を飛ばす。杖先に灯った火は、こぶし大の球形を保ってドロテ先生へと飛ぶ。目で追うのが精一杯、という程度の速度は出ていた。


「よろしい」


 ふっ、と火が消える。

 ……消された? ドロテ先生の魔術か? でも、何も見えなかった。


「速さの三要素のうち、投射の速度を上げることは難しい。理由を述べよ」

「顕現した魔術は……物理法則の影響を受けるから……です」


 特に私のように、概念のみを抽出して扱うのが苦手な魔術師は、現実の法則の影響を受けやすい。火は火として、鋼は鋼としての速度しか出ないのだ。


「よろしい。魔術の特性ごとに投射の速度は変わりますが、その限界を上げるのは容易ではありません」

「その点、宝石魔術の『光』は投射の速度がものすごく速いわ」


 ドロテ先生が小さく頷く。特定の魔術を想定したアドバイスはしてくれないが、外から茶々を入れるくらいは許してくれる……ということだろうか。


「では、投射速度が速い魔術を、遅い魔術で防ぐにはどうするか?」

「それは……ええと。早く発動させる……?」

「三十点」


 ひい。採点が厳しい。


「フォニカ・スリーグ。貴女の左肩を狙います。防御してみなさい」

「は、はいっ!」


 杖を構え直し、防御に使う魔術を想起する。鉄の盾にしよう。速さの問題なのだから、鉄の質も厚さもそれなりでいい。とにかく早く展開できるように構える。

 ドロテ先生の動きや声に即座に反応できるように、こちらに向けられた杖をじっと見つめ――


「ぴぎゃっ!?」


 突然、左肩に痛みが走った。衝撃はなく、ただ貫くような痛みがあり、驚きと痛みでその場にへたり込んでしまう。


「フォニカ、大丈夫!?」

「だ、だいじょ、ぶ、です」


 全然大丈夫ではないが、アイリーネ様の声のおかげで無様に取り乱す羽目にはならなかった。肩を見ると、制服に針の先ほどの穴が空いている。

 ドロテ先生は杖を真っ直ぐ私に向けたままだ。魔術の発動に必要な『鍵となる言葉』もなかったはずなのに、どうして……?


「『鍵となる言葉』に関しては、考えなくてよろしい。貴女には不要な技術です。問題は、貴女の魔術では今の速さに対応できないこと」

「は、はい……」

「どうすれば受けられると思いますか」


 無理です、と喉元まで出かかった言葉を、何とか飲み込む。せっかく時間を割いて教えてくれているのだから、私が先に諦めるのはダメだ。……不用意なことを言ったらもう一発魔術が飛んで来そうだし。

 痛みはすぐに和らいだ。立ち上がり、杖を構え直しながら考える。

 発動を早くする、では間に合わなかった。

 では、その前。想起を早くする。違う。想起はすでに済んでいた。鉄の板を想起するのに時間などほとんどかからない。

 時間。

 時間。

 攻撃を受けるまでの時間――


「……先に、出しておく?」


 ぽつりと呟く。

 ドロテ先生は動かないが、アイリーネ様が頷くのが見えた。……ドロテ先生の視線を受けて、そ知らぬふりで視線を逸らすのが可愛らしい。


「解答は明確に」

「は、はいっ。ええと……魔術を撃たれてから防御の魔術を展開するのではなく、先に防御の魔術を展開して、攻撃を待ち受けることで、速さの差をなくします」

「六十点です。貴女の魔術は概念抽出が甘い分、がある。顕現時間を長めに設定すれば、防御しやすくなるでしょう。〈盾と槍〉戦法においては重盾スクトゥムと呼ばれる技術です」


 うう、採点が厳しい。でも先ほどより点数は取れている。

 思いついたのはアイリーネ様のおかげだ。イオカヴ家の秘伝、金城鉄壁たる防御魔術〈金床インクス〉は、たったひとつの魔術の盾であらゆる攻撃を打ち払う。その様を想像したから出せた答えだった。


「やってみましょう。今度は右肩を狙います。構えなさい」

「はっ、はい!」


 慌てて短杖を握りなおす。先ほど受けた左肩の痛みを思い出して、背筋が粟立つ。絶対に受けたくない。


「鉄!」


 精錬をしていない、ただの鉄の板。薄いが、金属だからそれなりの強度はある。鉄板を右肩の前に浮かべて構えて待ち受ける。

 ……。

 ……。

 来ない……?


「ぴぎゃっ!?!?」


 鉄板を維持する集中力が切れた瞬間だったか。キンと高い音を立てて何かが当たった音がして、その直後に右肩に鋭い痛み。警戒していたからこそ痛みは強い。浮かぶ涙をこらえつつ、腰が抜けて座り込んでしまう無様は何とか堪えた。


「フォニカ・スリーグ。術式が綻んでいますよ」

「う、うう……」

「重盾戦術の難しさは、今のように、防御の魔術を維持するために集中力を要することです。防御の魔術は片手間で展開し続けられるほど習熟するのが望ましいでしょう。無論、どうしても強度や操作性は下がりますから、その分元々の完成度を上げることも忘れずに」

「は、い……」

「ねえ、フォニカ?」


 厳しい指導にうなだれる私に、アイリーネ様が声を掛けてくる。

 私は知っている。楽しそうな笑みを無理やり隠したような、口元を緩ませた表情。あれは面白いことを考え付いたという顔だ。『フォニカに勝ったかたと決闘します』と宣言した時もそうだった。

 恐怖半分、期待半分で続きを待つ。


「はい、アイリーネ様」

「煉瓦は使わないの?」

「煉瓦……ですか」

「スリーグ家の耐火煉瓦は質が良いと聞くわ」


 仰る通り、スリーグ家には耐火煉瓦の製法と術式が伝わっている。炉を作るのに必要な材料だ。高温で焼いた煉瓦は、鋼を熔かす炎にも耐える。

 とはいえ。


「あくまで煉瓦ですから……決闘に使うような魔術ではないのです」


 アイリーネ様に曖昧なことを言うのは気が引けるが、諸事情で秘するところがあった。実際、ただの煉瓦を決闘の場に持ち込んでも無礼というものだ。


「そう、残念ね」

「……フォニカ・スリーグ。その、耐火煉瓦を使ってみなさい」

「え……? 使って、というと」

「防御のために、です。次は左肩を狙いますよ」

「ちょっ、と、待ってください!」


 慌てて杖を構える。左肩。煉瓦。集中力が切れかけだったとはいえ、鉄を貫く魔術を煉瓦で止めろというのか。恐ろしい。恐ろしいがドロテ先生の指導に逆らう方が恐ろしい。

 ええい、ままよ。


「耐火煉瓦!」


 左肩の前に耐火煉瓦をひとつ出す。焦げ茶色で四角い、何の変哲もない煉瓦だ。スリーグ家の子女は土を捏ねる段階から自らの手で作るのが伝統であり、私も幼い時分から、何個も何個も何個も何個も作ってきたものだ。

 その煉瓦に、ガッと何かが当たる音。

 恐れていた痛みは……来ない。


「……止め、た?」

「煉瓦を見てみなさい」


 宙に浮いた煉瓦を取り、興味津々で楽しそうなアイリーネ様と一緒に覗き込む。透明な紫色の針が煉瓦に突き刺さり、半ばまで溶かすように貫いて、だが止まっていた。見つめる視線の中で、蒸発して消えていく。

 この紫の針がドロテ先生の魔術なのか。

 アイリーネ様が、ほう、と熱っぽい吐息をこぼした。


「早撃ちドロテの、〈紫の銃弾〉。素晴らしい業を見ましたわ」

「当たれば、死ぬ?」


 二回当たったのですが。

 ドロテ先生はため息をこぼすと、杖を振って懐に収めた。


「大袈裟ですよ。観衆を盛り上げるための謳い文句でしかありません。……ともあれ。鉄や鋼を顕現させても、保たないのであれば防御としては使いにくい。煉瓦の方がスムーズに顕現できたようですし、密度も十分。そちらを選択肢としても良いでしょう」

「あ、ありがとうございます」

「宝石魔法の『光』には、耐火煉瓦は相性がいいと思うわ」


 頷き合う。少しだけ、光明が見えた。

 決闘は一週間後。それまでに、どこまで対策できるだろうか。そんな不安を振り払う。アイリーネ様もドロテ先生も協力してくれたのだから、今は必死に頑張るだけだ。


「今日の指導はここまでとしましょう。万が一、肩に痛みが残る場合は相談するように」

「「ありがとうございました、ドロテ先生!」」


 微笑むこともなく、ドロテ先生は校舎に戻っていく。

 その背中が消えるまで見送った後、私はアイリーネ様に尋ねた。左右の肩を指さす。


「……二回当たりましたけど、死にませんよね?」

「ふふ、フォニカったら。大丈夫よ。〈紫の銃弾〉は決闘士ドロテ・クブルプスの創作術式。思考できないほどの激痛を与え、一撃で戦意を刈り取る――故に、決闘士として『当たれば死ぬ』。それを最速と名高い速度で撃つのだから恐ろしいわ」


 本当に恐ろしい内容を、アイリーネ様はどこかうっとりと、熱っぽく語る。

 昔から、決闘について語るとこうなのだ。私は苦笑しつつ、そんな魔術を二発も撃ち込まれたのかと今更震え上がる。もちろん、手加減はされていたのだろうけれど。


「……でね、あまりにも早く決着するものだから決闘が盛り上がらなくて、観客からも決闘相手からも嫌われていたのですって。本人は全く気にしていなかったというのがまた素敵だわ」

「はぁ……今更ながら、すごい方に指導を受けていたのですね。私たち」

「そうよ! ふふ、これはますます負けられなくなったわね」

「なんでそんなに楽しそうなんですか、もうっ」


 情報収集、作戦、そして特訓。

 一週間は瞬く間に過ぎた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る