第12話 杖払い②

「あら、何かしらその眼は。まさか?」

「……いいえ」


 クレア様の笑みが深くなる。のしかかるような重圧プレッシャー。大貴族ともなればその気位は神殿の鐘楼より高い。連なる火のように脳内で燃え上がる反論と罵倒を、何とか飲み込んで俯く。無礼を働けば、スリーグ家はさておき、アイリーネ様に迷惑がかかる。

 いや、それこそが狙いか?

 迂闊な侍女に粗相をさせて、無礼を口実にアイリーネ様に何らかの譲歩を求める。私はあくまでスリーグ家の娘ではあるが、アイリーネ様に仕えていることは周知の事実だし、優しく気高いアイリーネ様は要求を受け入れてしまうかもしれない。


「あのように品も技術もない魔術を乱れ打ちして」


 耐えろ。


「跳ねまわるだけの獣も仕留められず」


 耐えろ。


「あれが火と鋼の魔術というなら、貴女の家もイオカヴ家も無駄な努力をしているようね」


 耐え――られるわけがなかった。私だけならまだしも、血筋を、イオカヴ家すら巻き込まれては。

 立ち上がり、真っ直ぐにクレア様を見つめる。


「撤回して下さい」

「撤回の必要があって? 何より……貴女は、私に命令できる立場かしら?」


 取り巻きがざわつくが、クレア様は愉快げに微笑んで私を見つめる。謝罪以外の言葉を口にすれば、相手の思惑にハマることになる。たった一つだけ、アイリーネ様に迷惑を掛けずに済む方法はあるにはあるが……流石に使えない手だ。

 歯を噛み締めて、唇を閉じる。

 視線を逸らし、床を見つめる。杖を握り締めたままだった手に力が入りすぎて、少し震えていた。

 頭を下げ、謝罪の言葉を口に――


「全く。魔術も礼儀もなっていない傍系と同じ血筋なのだから、アイリーネの格も知れたものね」


 カンッ、と乾いた音が教室に響いた。

 クレア様も、取り巻きの令嬢たちも、聞き耳を立てていた級友たちも。……偶然その瞬間に面談から戻ってきたアイリーネ様も。その音の正体を理解するのに、しばらく時間がかかった。

 当の私すら他人事のように思ったものだ。杖と杖を当てると、こんなにいい音がするものか、と。

 乾いた音は、私の短杖が、クレア様の腰の片手杖を打った音だった。


「杖払いだ……」


 講堂の片隅で誰かが呟く。


「フォニカさんが……?」

「あ、あのミナセタ家のクレア様に、杖払いを」


 杖は魔術を行使する者の象徴だ。杖を杖に当てることは最大級の無礼に当たる。

 、これ以上ないほど明確な意思表示になる。

 杖払い――由緒正しき、今はもうほとんど行われなくなった、決闘の申し込みの作法である。


「クレア・ミナセタ様。貴女は私の莫逆の友を侮辱なさいました。杖を地に置いて謝罪するか、私と決闘なさいませ」


 クレア様の、青き血を象徴するような白皙は、赤に染まっている。碧眼を飾る睫毛が震えていた。美しい方が怒りに顔を歪めるのは何とも迫力があるものだ。下級貴族の娘から杖払いを受けるなど想像もしていなかったのだろう。

 怒りながらも喚き散らさなかったのは、それもまた貴族の気位ゆえか。


「い、意味を分かって言っているのでしょうね」

「無論です」

「……結構」


 クレア様が腰に提げた杖を抜く。細身でシンプルな白木の片手杖。先端には透明な宝石が嵌まっている。揺れて煌めくオールドマインカットの金剛石ダイヤモンド――ミナセタ家に名高き宝石杖〈清明ラ・クラルテ〉が、私にまっすぐ突き付けられた。


「覚悟しているならば、お望み通り……叩き潰してさしあげますわ。決闘は一週間後としましょう」


 言い残し、クレア様は制服のスカートを翻して講堂を出ていく。取り巻きの令嬢たちがこちらを睨みつけながら後を追い、入れ替わりにアイリーネ様が駆け寄ってきた。

 いつもならばアイリーネ様に嫌味のひとつふたつ投げかけるクレア様は、一瞥しただけで唇を引き結んだまますれ違う。よほど怒っているのだろう……アイリーネ様の従者としての私ではなく、個人としての私に。


「フォニカ、大変なことになったわね。何があったの?」

「アイリーネ様……」


 握り締めていた杖を、ゆっくりと懐に戻す。手が震えていて、一度失敗した。張りつめていた緊張が解けていき、腰が抜けたように椅子に座る。

 視界が歪む。アイリーネ様の顔が見えにくくて目元を拭い、濡れた感触で涙があふれていることに気付いた。


「や、や……やっちゃいました……」


 どうしよう。


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