第6話 変身魔術③

「変身魔術……!」


 彼女の決闘を見学したことはあるからわかってはいたが、やはり強敵だ。戦う側になってみると、次にどう動くのか全く予測が立たない。

 慌てて数歩下がったそこへ、ベナが襲い掛かってくる。鹿の強靭な脚が、校庭の地面を穿つ。ずどん、と恐ろしい音。当たれば頭蓋が砕かれそうだ。

 変身魔術の効果はそう長くないのか、地面を穿った鹿の脚は砂埃が晴れる前に人のそれに戻っている。杖を構え直す私に向けて、地面を蹴って距離を詰めてくる。

 詰めも甘いまま、慌てて魔術を放った。


「炎の、壁!」

「っこの、あちィ!」


 杖を振り払うようにして、周囲に広がる火の魔術を撃つ。炎で視界をふさがれることを嫌ってか、ベナが跳び退った。

 危なかった。普通、決闘ではあんな風に真っ直ぐ近づいてくる相手はいない……距離を取って魔術を撃つ方が安全だからだ。だが、それゆえに対策が身についていない。

 短杖を握り締める。昨夜、アイリーネ様と語り合った戦術を、目の前で予想よりも数段早く動く相手へと合わせなければ。


「なんだ。追撃はなしか、ヌルいな。次はこっちから行くぜ? ――鹿の脚」

「火よ、連なれ!」


 ベナが踏み出すのに合わせて、火の魔術を複製連続顕現。狙っても当たらないなら、狙い続ける。八つの火球が一秒の半分ほどの間隔で飛び出す。

 それでも、当たらない。ベナは腕を畳んで小さく構え、全身を揺するようななめらかな動きで跳ねるように近付いてくる。この動きは……!


拳闘ボクシング……!?」

「遅ぇ遅ぇ!」


 目にもとまらぬ動きとはこのことか。瞬く間に距離が詰まり、私は必死に後ろに逃げる。杖を胸元に。唱えろ、防御を、はやく――


「狼の爪」

「鋼っ!!」


 ベナの手が狼の前足に変じる。短剣のように鋭い爪。握れるほど短い杖は、まさしく握り込んで魔術を使うためだったのだ、と妙に冷えた頭の一部で得心した。

 その爪が、いっそ美しい姿勢で突き出される。しなやかに伸びてくる刺突の一撃を、胸元に顕現した薄い鋼の板で受け止めた。鋼が割れ、爪の勢いが鈍る。私のドレスの革を裂き、だが肌にはギリギリで届かなかった。

 鋼が狼の爪で割れるはずがない……本来ならば。私の顕現が不十分で、相手の顕現は完全だったということだ。


「っひぎゃ」


 無様に後ろに転がって、そのまま距離を取る。

 拳闘ボクシングの動きで近付き、剣術フェンシングの動きで切り裂く、獣。

 恐るべき敵の強さに、背筋を冷たい汗が流れた。

 追撃が来なかったのは、相手の魔術の顕現時間が短いためか。それとも、ただ……こちらを嬲るためか。


「はッ、良く避けたな。貴族サマを転ばしちまってスミマセンねぇ」


 絶対に後者だ。表情にそう書いてある。必死に立ち上がって杖を構えるこちらを、にやにやと見つめている。

 悔しいが勝ち筋が見つからない。私が勝っているのは魔術の射程だけで、それも鹿の脚なら数歩で詰まる。とにかく、近づけてはならない。


「火よ、連なれ……!」

「またそれか? トロいんだよ。猫の脚!」


 今度は鹿ではなく猫の脚に変身し、打ち出す火球をするするとかわして近付いてくる。時折大きく動き、視界から消えてしまう……砂を踏んでいるはずなのに足音がしない。連なる火は私にとって数少ない『使いこなせる』魔術のひとつだが、これでは追いつけない。

 気付けば、ベナは私のすぐ横に、拳を握り締めて立っていた。


「ひっ……」

「降参しねえなら、飛べ」


 囁くような声が、熊の腕、と告げる。咄嗟に鋼の板を盾として浮かべるが、そのまま腹のあたりを殴られた。鋼の板が紙のように歪んで押し付けられ、衝撃で吹き飛ぶ。

 ふわりと、浮遊感。


「っぎ」


 息が詰まって、悲鳴も出ない。視界がぐるぐると回る。空。校庭。見守る人たち。空。砂。――アイリーネ様の、心配そうな表情。

 ベナの、牙をむき出しにするような笑み。

 吹き飛ばされて浮いた身体が落ちる前に、山羊の脚で跳んだベナが追い付いてきたのだ。そのまま、高々と掲げた脚を私の腹へと振り下ろした。


「が、っづ」


 どさり。蹴りの威力を思い知らせるような音と共に、私は第四校庭の砂に落ちた。

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