第25話・【呼吸】する人間

 しかし、邑先いずきはいまどのキャラクターとなってゲーム内に潜んでいるのか?航海はログインしたのちも考えていた。リグレットというゲーム名は航海をワタルと呼ばずに、「コウカイくん」と呼んでいた、いずきとの会話をヒントにした。コウカイ・後悔・リグレット、このメッセージに気づけばもしかしたら。いずきはリグレットが航海だと気づくかもしれない。龍二とともに、格闘ゲームの全国大会でいずきとは何度も戦っていた。ゲーム仲間、ただ楽しかったあの頃。今や、命をかける戦いにまで発展するとは。航海は今の状況を後悔していた。


「集中しろよ!リグレット!」

「あぁ、ガルフ」

 新調したヘッドセットの調子がいい。龍二がヘッドセットをメンテナンスした理由は単に開発ルームとの交信クォリティを上げるためだけではなかった。ゲーム内のノイズ、人間特有のノイズを探し出すためだった。


呼吸ブレス


 ゲーム内のキャラクターは溺死しない。首を物理的に締め上げても、死なない。肺呼吸という機能自体を備えていないのだ。このことに気づいたのはリグレットだった。湖近辺での戦闘、ゴブリンたちを橋から落として溺死させようと試みた。だが死なない。巻き込まれた村人NPCたちも湖に落ちても死ななかった。試しに、村はずれのクエストのNPC・盗賊の首を締めあげたが、死ぬことはなかった。


 リグレットたち人間がログインしてキャラクターを操作している場合、同じく首を絞められて窒息することはない。だが、苦しさを感じる。水に顔をつけると、息が苦しくなる。これは人間としての名残だった。おそらく、いずきも【呼吸】の名残はあるはずだ。あのラルフォン・ガーディクスも、他にもゲーム内に侵入している人間も。



 ウッドバルト王国、ラルフォン・ガーディクスは圧倒的な強さに酔いしれていた。元四天王、ゴード・スー、セイトン・アシュフォードに加えて、病み上がりのルイ・ドゥマゲッティは瀕死の状況だった。セイトンの傷は深く、回復魔法を施すよりも一度死んでから蘇生する方が復活の程度はいいのではとルイは思っていた。同じくルイも【死の誘惑クライレイド】を詠唱する前に、赤土のウッドバルトの大地に頬をこすりつけ、空を仰いでいた。


 強い、強すぎる。ルイの率直な感想だ。武人としてネクロマンサーとはいえ、武器の扱いについてはそれなりに心得がある。別格だ。この男は別格。NPCから解放されていたルイはセイトンと同様に自立型AIによる行動が可能だったが、基本はオートNPCモードで機能制限していた。自立型AIでの行動は自然と魔力を使い果たしがちなのだ。この男はもちろんオートNPCでもなく、自立型AIでもない。これが、ゴード・スーの言っていた人間なのかと。


 人間というタイプは、異世界から操作しているとゴード・スーに訊いた。特長は【呼吸】。戦いは呼吸で間合いを取るらしい。息を吸う、吐く、は我々も行動としてはする。が、生命維持のためではない。人間タイプも同様に生命維持のために、【呼吸】をしているわけではない。名残、その名残はクセとなり、戦闘で踏み込む前にリズムを【呼吸】でとっているらしい。


 ルイは見逃さなかった。ゴード・スーが戦いの最中に見せる特徴的な動き。防御する、攻撃を受ける際には、必ず左肩でリズムを取っている。かすかに。以前、ウッドバルト王国に侵攻した際、ゴード・スーの動きだけが少し違ったことにルイは気づいていた。戦いが終わり、降伏したのち、ゴード・スーは気を許したのか、【呼吸】について説明してくれた。それは、「私は人間だよ」と伝えたかったのか。ゴード・スーが人間だと気づいたルイは戸惑った。だが、それはゴード・スーからの遺言だったのかもしれない。


「お前らはクズで弱虫で、弱小で、若輩で。紫イカヅチという女がいれば、サッサと俺の前に出せ」

ラルフォン・ガーディクスは勝利を確信しながら、ウッドバルト王国城前での自身の蛮行に酔いしれていた。『勝利の確信は、敗北への第一歩』。ウッドバルト王国の格言だ。ログイン転送してきた、リグレットとガルフは再びラルフォンと対峙した。


「おやおや、クソデバッガーたちか?」

「よくお気づきで。ラルフォン殿」


 リグレットは余裕の表情で、ラルフォンの前に現れた。【明鏡止水の槍】を投げ捨て、戦闘の意思がないことを伝えた。そして核心に迫った。


「ラルフォン殿、いや、キミは悟くんだろ?立花悟。さきがけさんのご子息」

 ラルフォンに動揺が走る。

「うるせぇなぁ。お前たちなんか皆殺しにしてやるよ」

「待て待て、俺たちはキミと戦いたいわけじゃない。紫イカヅチこと邑先いずきの帰還を目的としているだけだ」


 ラルフォンがにやりと笑う。

「それは無理だよ。だって、あの女は俺が完全にブチ殺すって決めたんだから」

「やっぱり、ダメか」

「カッコ悪いね、オッサン」


 リグレットは両手を上げて降伏する。

「ダメだって言ってんだろ、お前みたいなクズゴミはここで死ねばいいんだから。オッサン」

 ラルフォンは【破骨の刀ボーン・ワイルド】を振り上げた。リグレットが投げ捨てた【明鏡止水の槍】が自ら、意思を持つかのごとくラルフォンに向かって照準を合わせた。


 ラルフォンと【明鏡止水の槍】の距離は約八メートル。ラルフォンに向かって槍が跳馬のようにしなり、まっすぐ進む。空気を裂く、ラルフォンの眼前にまで迫る。

 ラルフォンは【破骨の刀】をゆっくりと振り降ろす。衝撃波で【明鏡止水の槍】が真っ二つに割れた。粉々になった槍の破片が円状にラルフォンの周囲に散った。ラルフォンを取り囲む形になった【明鏡止水の槍】の破片。


 デバッガーたちは基本的に通常武器と秘匿武器の両方を装備する。この槍は秘匿武器だ。特殊スキルは爆発。ラルフォンを取り囲んだ破片が一斉に爆発した。直径十メートルほどの爆炎にラルフォンは包まれた。大気の塵が燃える。黒煙のなかから、球状に防御魔法が発動したラルフォンの姿が見える。

「ハハハハ!バカか!こんな怪しいフリ、レジストするに決まってるだろ!」

 ラルフォンのオートレジストにより渾身の爆破攻撃も無に帰した。

「無傷…」

 ルイ・ドゥマゲッティが己の無力さを悔いるように、呟く。

「ははは」

 リグレットは笑った。腹を抱えたかったが、両手は上げたままだ。


 リグレットは降伏のために両手を上げたのではない。ひそかに解呪の魔法を詠唱していた。ガルフの小龍の呪いの解除。ガルフは小さなドラゴンの姿から、巨大なドラゴンに姿を変えていた。氷龍・アイスドラゴン、全身が氷の結晶に覆われている。鱗から突き出た無数の氷柱。ガルフは雄たけびをあげる。

 両翼を震わせるとその氷柱たちはラルフォンめがけて飛んで行った。巨大なミサイルのように、刀や魔法では防ぎきれない。絶望的な被弾をするしかなかった。同時に、リグレットは【凍土襲来ヴィスターシャ】を簡易詠唱していた。


 ラルフォンを氷漬けにするという算段かと、ルイは薄れゆく意識の中で戦闘を見守っていた。セイトンは絶命していた。ゴードはかすかに【息】があった。やはり【呼吸】していた。


いや、違う、ゴードは詠唱していた。肉体再生の【次再生の栄光】と高度回復の【高回復の誉】、再生と回復魔法を同時に。ゴードは魔法は使えないはずだったのに、なぜ?ルイはみるみる回復していった。セイトンはもともと失われた右手こそ再生はしなかったものの骨折した両足が回復していた。だが、絶命したままだった。



 ラルフォンに飛来するガルフからの無数の氷柱たち。オートレジストではじくものの、いくつか被弾した。完璧ではないのだ。被弾した箇所から凍結が始まった。同時に、リグレットは上位氷系魔法【凍土襲来】を放つ。オートレジストの隙をついた。左脚が瞬時に凍結した。通常なら全身凍結による即死のだが、なんとかオートでレジストしている。


 レジストも万能ではないようだ。先ほどの【明鏡止水の槍】の爆破攻撃で多少弱まっている。だが多少だ。ラルフォンの魔力の底知れぬ大きさにリグレットは、舌なめずりした。強い相手ほど燃える。だが、燃えて尽きて欲しいのはラルフォン自身だった。


「これしき!」

ラルフォンは【大火ブエン】を簡易詠唱し、自身に放った。氷を強制的に火炎魔法で溶かしたのだ。凍り付いていた左脚は自由になり、被弾した身体の氷柱は溶けた。被弾を免れた無数の氷柱たちも同じく溶けた。

【明鏡止水の槍】による爆発効果により発生した直径十メートルのくぼみ。そこに、溶けた氷が水となって流れ込んだ。ラルフォンの周囲一帯は直径十メートル程度の巨大な水たまりができていた。

「愚かなヤツラだ。無策すぎるんだよ!それでも大人なのか?クソデバッガーたちよぉ。オッサン、ブツブツ言ってんじゃぁね…え?」

 ラルフォンの罵倒のあとの「え?」がウッドバルト王国に響く。ラルフォンは見た。リグレットが完全詠唱で高位呪文を詠唱しているのを。

「そういうところ、やっぱり、子どもなんだよな」


 リグレットは【焦土の獄門ガ・ヌゥル・オグ】の詠唱を始めていた。ヌーヴォル・聖霊よ・地底の御霊よ。うち焦がれし、かの地、導かれし慙愧の念たちよ。いま、開くぞこの門!

 地上の水分が一瞬でなくなるほどの高熱。火は炎となり、炎は爆炎となる。爆炎と爆炎が融合し業火となる。業火は業火と結びつき業炎となった。


 ラルフォンの周囲十メートルが業炎に包まれた。どうみても消炭になるしかない。ラルフォンは業炎をレジストしている。耐えていた。次から次へと襲い掛かる炎の塊をはじき返していた。オートレジストではない。自らも炎を作り出し、業炎を取り込み、はじき返した。


「焼き尽くすのが目的じゃないよな、オッサン。炎で酸素を奪うのが目的だろ?【呼吸】の名残を狙った」

「惜しい!」

 リグレットはラルフォンに背を向けた。

「何が惜しいんだよ!!【呼吸】はしても、酸素なんていらねぇ。ポーズなんだよこれは!!!」

 ラルフォンは攻撃の体制に入った。【息】を吸い込む。人間の名残、クセだ。本人も自覚している。


 溶けた氷たちは大きな水たまりとなり、それは小さな池のようでもあった。ラルフォンの周辺の水はリグレットが放った【焦土の獄門】により沸騰し、蒸発した。ただしここはゲームの世界。水を沸騰させるというのは、チートなのだ。自然科学をそのまま採用することの不合理さやゲームを進めるうえでの不都合さを優先させたため、水は沸騰するものの沸点は一万度という設定だった。デバッグレポートには敢えて書かなかった、リグレットとガルフがデバッグ中に発見した自然法則のひとつだった。


 ラルフォンの周辺の水たまりは、蒸発を始める。踏み込もうとしたラルフォンは無意識に【呼吸】をしていた。息を吸い込む。水蒸気化した水が一気にラルフォンの肺に入り込む。だが、肺の概念はない。呼吸の概念もない。そうはいっても、人間の名残はそう簡単になくならない。無意識残る。霧状の水蒸気がラルフォンの体内に入り込む。意識しなければ問題はない。意識しなければ。


 ラルフォンはもがき苦しんだ。肺があるわけじゃない、窒息の概念がないため死ぬはずはなかった。だが、ラルフォンはそのまま絶命した。


 ウッドバルトの赤土には大量の蘇生魔法がしみ込んでいた。いずきがウッドバルト王国中に蘇生魔法【エイム・リバウム】を放ったこと、先のリム王国との戦闘により、ジャンヌたちが何度も放った【エイム・リバウム】。この蘇生魔法の残骸が赤土に混じり、高熱の業炎とその蒸発効果により、ラルフォンの体内に取り込まれたのだ。


 生きているものに、蘇生魔法効果が取り込まれるとどうなるか?リグレットもガルフもまだ検証したことはない。だが、何らかの反動効果はあるはずだと踏んでいた。


 ―――航海はデバッグ・レポート作成のため、過去ログを読み込んでいた。そのなかにジャンヌとラルフォン、十二聖騎士団団長ギャザリンが行った、アンデッド退治。ルイの侵攻を止めるためにアンデッドたちに【エイム・リバウム】を3人で5回放った。ウッドバルト王国全土にその効果は広がり、墓地から死者も蘇生したほどだと言う。余りある蘇生の力は、ウッドバルト王国の赤土に還り、魔力を含んだ土になっていた。局所的な大雨のあと、魔力が弱まっている土地があった。一方、上空を飛ぶ飛行種のモンスターたちの死骸がたくさん転がっていた。航海はここに一つの勝機、強大な敵と戦う場合にはこの蘇生魔力を含んだ赤土は何かに使えると考えていた。―――


「イチかバチかにしては、うまくいったね」

 ミニドラゴンに戻ったガルフがリグレットの肩で身体を休めている。

「計算だよ、そこまで大胆で横着じゃないさ」

リグレットは続けた。

「【呼吸】が確認できないな。ラルフォンは死んだな」

「そうみたいだね。立花優子、母親が回収しにくるよ。剣聖リヒトがさ」

「それよりも、いずきを捕獲しないとだな」

「もうひとつの【呼吸】気づいてただろ?」

「あぁ、ガルフがヘッドセット改修してくれたおかげで、ノイズの違いもよくわかるよ」

「【呼吸】の主がそろそろお目覚めだ」

 リグレットは絶命しているセイトンと瀕死のルイの間を割って歩き、息を潜め倒れ込んでいたゴードを見下ろした。


「いずき、起きろよ」

 リグレットはゴードに手を差し出した。セイトンは蒸気に含まれていた高濃度の【エイム・リバウム】により蘇生した。ルイとゴードはガルフの【高回復の誉】により回復。ゴードは自分の名を名乗った。その名に、リグレットもガルフも耳を疑った。


 ゴードは確かに言った。

「私は、あかねだ」と。

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