第24話・アイスコーヒーとヘッドセット

 魁隼人は、相馬航海と古河龍二が開発ルームを出たあと、剣聖リヒトのログデータの解析を続けた。剣聖リヒト、魁がテストで作ったキャラクターだった。チュートリアルとして、プレイヤーに操作方法・特に戦い方を教える担当キャラクターとして開発したはずだった。実際のところは大学生アルバイト数名に作らせたキャラクターで、プログラミングコード自体も簡単だった。その剣聖リヒトが暴走している。自立型AIとなり、ラルフォンを崇拝している。もしかしたら、誰かが操作しているのかもしれない、AIとは考えにくい不自然さがログからも伺えた。


「魁さん、やっぱりリヒトは、人なのでは?」

 航海と龍二が出て行ったことを確認したあかねが隠れていた別室から出てきた。

「突然、脅かすなよ」

 魁の手が止まった。あかねが魁のモニターを覗き込む。二人の距離は近い。

「魁さん、いずきこのままじゃ、死んじゃう」

「あぁ、あいつをゲーム内で死なせちゃ、会社は終わっちまう」

 魁の手が動き始めた。剣聖リヒトの過去ログが画面を覆い尽くす。

「不規則な時間帯に行動している。特に、このジャンヌをおびき寄せるように、なんだ、このサインは」

 

 あかねは息をのんだ。人間の動きだった。このログデータのなかには、一部人間の行動規範のようなルールのような動きがあった。「道に迷っている」

 リヒトが隠れ住む村、隠遁村は簡易ダンジョンを抜けなければ、ガダルニア王国へは行けない。簡易ダンジョンは分岐が少ないものの、この時点での開発データであれば整えるのは後回し。目印が少なく、分岐を間違うと同じ場所をグルグルとループする。剣聖リヒトがやたらと簡易ダンジョンをループし、滞在時間の長いログデータが出てきた。朝の十時から正午まで。あかねは魁のマウスを奪い取った。

「これって、めちゃくちゃゲームが下手な人」

「剣聖リヒトを乗っ取ったってことだよな。だれかが、こんなチュートリアルキャラを。しかも、どうやって」

 

 魁は床にこぼれた飲みかけのアイスコーヒーを近くのティッシュペーパーで拭っていた。

さっき、航海と龍二がこぼしたアイスコーヒーだ。そばに、溶けかけの氷たちが連なってなにか一つの生き物のようになっていた。大学生たちにプログラミングさせたあとのチェックが抜け落ちていたのか。

―鍵のかかっていない家みたいなもんだ、出入り放題。ちょっとした知識があれば、乗っ取りもできる。魁はまだ床に残っている氷を蹴とばした。

「あかね、このあとどうするんだ?」

 魁はあかねの手を取った。

「いずきを助けなきゃ。でも、彼女はそれを望んでいない。あの不正ログインの少年、魁さんの息子さんでしょ」

「知ってたのか」

「うん」

「血は争えんというか、俺の会社のパソコンごとハッキングしてやがった。悟は」

 きつく拳を握る手が震えている。

「この、剣聖リヒトはいったい誰が?」


 魁の見立てでは、剣聖リヒトは悟の母、優子だ。優子とはもともと、前職のゲーム開発会社で出会った。俺よりも、優秀なプログラマーでありエンジニアだ。だが、ゲームは下手。平日の午前十時から正午までのログイン時間は、どれも水曜日と土曜日。今の優子の勤め先は、水曜日と土曜日が休みだ。

「おそらく、剣聖リヒトは元妻だ」

「優子さん?」

「あぁ」

「でも、ゲーム内ログじゃぁ、あの言葉、変ですよ」


 これか、魁はログデータを拾いだした。確かに、説明的過ぎる。偽装しようとしたのか。ゲームエンジニアなのにゲームは下手。そもそもゲーム自体をしない優子なら、合点がいく。このセリフめいた言いっぷりも自分たちをかく乱させようとしたとしたと考えるのが合理的だ。剣聖リヒトがジャンヌから、クリスタルボールを使って経験値を移し替えたシーンを再生した。



―――「ジャンヌ、すまない。君の経験値がこの世界を救うんだ。そして、君は再びただのNPCに戻り、死ぬ。NPCにも死ぬ概念はあるからね。君みたいなクエストでフラグ立たなきゃ動けないキャラ風情が、ここまで大きな物語の中心になれたんだ。あの方に感謝こそすれだな。じゃぁ用無しには死んでもらおう」―――



 あかねはもう一度再生した。オンラインゲーム内でプレイヤーはこんなセリフめいた発言はしない。これじゃぁまるで「自分はNPCです」と言っているかのような、でもNPCにしても不自然な言いっぷりだと感じていた。

「剣聖リヒトが優子さんだとして、目的は?」

「悟の救出、だろうな」

 魁は頭を掻きむしりながら続けた。風呂に入っていない頭皮からは嫌な臭いがした。

「ジャンヌから奪い取ったのは経験値と見せかけて、ジャンヌ内に眠る悟のデータだな。それをラルフォンとなった悟に移植する」

「でもそれだけじゃ、悟くんは植物人間から戻れませんよ」


 妹いずきも悟と同様に植物人間化している。意識体をログイン時の初期キャラクターに戻すだけで、現実世界の肉体が目覚めない。そのためには、ゲーム内蘇生【エイム・リバウム】の詠唱が必須だとあかねは調べ上げていた。


「あかね、このバージョンでのゲーム内死亡。それに伴う現実世界での植物人間化。そこからの、現実世界での肉体覚醒・復帰は、ゲームの再構築が必要だ」

「それって、【エイム・リバウム】だけじゃだめってことですか?」

 あかねが魁に喰ってかかる。当然だ、再構築はリスクが大きい。再構築、つまり初期化。すべてのAIたちは一旦、無の白紙状態に。自立したAI型のNPCはもとのNPCへ。

いずきが目指している理想の形、NPCの解放とは真逆だった。


「いずきが、あれほど解放しまくったNPCたちが元に戻る。それは、いずき、反発するだろうし。それならこのままにしておけば」

「それはダメだ。いずきの現実世界での肉体のケアをするためにも、【ウッドバルト・オンライン・ワールド】はリリースしないと。会社が倒産しちゃぁ、いずきのケアができない。無い袖は振れない」

 俺だってそんなことは言いたくない、と渋い顔が物語っていた。



―――初期化されるくらいなら、肉体を捨てるといずきは言うに決まっている。今のキャラクターを殺害して、安置しているキャラクターを【エイム・リバウム】で蘇生。そのあと、ゲーム自体を初期化。プロゲーマーのいずきを殺すなんてこと、誰ができるんだろうかとあかねは半ば諦めに近いため息をついた。―――



「あかね、いずきの今のキャラクターは、やっぱりアイツだったのか?」

 魁は初期化の段取りを考えている。あかねのように諦めるわけにはいかない。悟を同様に植物人間から復活させるには、ラルフォンにジャンヌの中に残っていた意識体を移植。そのまま初期化で、強制的に現実世界の肉体は復活するはずだと考えていた。殺害しなくてもいい分、いずきの復活よりはハードルは低いもののどうやって悪の化身となり果てたラルフォンに意識体を移植すればいいのかと。あかねとはまた違う諦めが魁のなかでうごめいていた。


「剣聖リヒト、優子と協調するしかないな」

「私のバルス・テイトだと、目立ちすぎます」

 あかねは難色を示した。

「わかってる。航海と龍二に指示を出す」

 魁の表情が急に変わった。吐く息は黒く、淀んでいる。

「最悪、アイツらは死んでもいい。あかねも同じ考えだろ?」

 魁のこういう人間外の外道なところが、好きだ。あかねは、魁の右手を優しく撫で、指を絡めた。


***


 航海と龍二は開発ルームを出たあと、大急ぎでデバッグルームへと向かっていた。


 ログインスタンバイしていた二人は、さっきの開発ルームに溶けていない氷が入ったアイスコーヒーの存在を疑問に思っていた。あきらかにあの部屋には、誰かがいた。


 おそらくあかねだ。魁はなぜあかねを隠したのか?航海は考えるのをやめて、戦闘のシミュレーションに集中した。相手は二人、強敵だ。戦いの中でこの小さな疑問は、いずれ解決できるはずだと。龍二が新しいヘッドセットを航海に渡した。無線好きの龍二がカスタムしてくれた。ゲーム内通信機能をメンテしてくれたと言った方が正しい。先週あたりから、開発ルームとの通信も途絶えがちだった。


 二人は新しいヘッドセットを装着した。開発ルームから何か聞こえる。周波数が合わず、はっきりとは聞こえないが魁が誰かと会話している様子はうかがえた。

「龍二、メンテなおりきってないぞ」

「いやぁ、大丈夫。本部に繋いでるから、そっちでマスタリングしてるよ。ノイズ取りも」

 ログイン確認画面が二人の目の前に表示される。航海と龍二は【エイム・リバウム】を習得していない。死ねば、どちらかが担いで待合ロビーに移動しなければならない。でないと、現実世界で植物人間化する。相手はどのキャラクターかまだわからない【いずき】と誰が操作しているのか、または自立型AI化したNPCのラルフォン・ガーディクス。死と隣り合わせの緊張感が二人に走る。


『いずきの捜索とラルフォンの捕獲または殺害』を目的に二人は再び【ウッドバルト・オンライン・ワールド】にログインした。

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