終末を生きる植物人間は世界を眺めて花になりたい

あずま八重

終末の花

 この世界には、誰も居ない。静謐せいひつの中に、ただ風が吹き、ただ雨が降り、ただ虹の橋を架ける。

 ――生きているのはワタシだけ。




   1


 何処から出しているのか、甲高い悲鳴のような音が響く。いつもは入念な準備をした上でこちらから仕掛けるのに、うっかりヤツの〝つる〟を踏んだがために急襲されてしまった。


「日陰に居るなんて反則だろ!」


 遠くから眺める限り、のほほんと日向ぼっこしている個体ばかり見てきたから安心しきっていた。もう、次は絶対ない。

 駆けたスピードをなるべく殺さぬよう、見通しの良いT字路を右に跳び進む。


「そいッ!」


 後方を通り過ぎた〈シード〉がコンクリの廃墟に着弾して瓦礫の山を築くのを尻目に、気合いを入れなおし、そこからさらに距離を稼ぐ。


「――んなところで死ねるかよっ、とお!」


 振り向きざまに二丁の〈蓄光型光線銃ソーラーガン〉を構え、こちらはこちらで劣化した路面のコンクリを抉りながら足を止めた。


 チャージを始め、巻き上げた土煙の向こうから伸び迫るのノーコン攻撃を最小限の動きで避ける。1つ、2つ、3つ……。8つめが束ねていた長髪に掠ったのか、摩擦で焼けたらしい臭いが口布ごしに鼻腔をくすぐる。


 地響きが近付き、本体――ヒトの背丈の二倍はあろう巨大な〈狂乱花クレイホア〉が姿を見せた。丸い三つ葉を二重ふたえにしたような形状の花弁は毒々しい赤紫色で、本来は花粉を帯びた柱頭があるべき真ん中には黒々としたシードが寄り集まっている。つるを太く編んだ真緑色の足で器用に最短距離をコーナリングしてくる様は、蜘蛛を思わせた。


 またあの奇声が響く。幾分か背筋は泡立つが、スリルをじっくり味わっている場合ではない。

 もう少し。あと、少し! 焦れる気持ちを抑え込み、出力を2目盛りツークリック上げてチャージの完了を待つ。


 大きな花弁を、嘲笑うように揺らしてクレイホアが迫る。最大火力を発揮できるラインを越え、脇への回避限界も越え。キンキンと銃が輝き鳴ったのは、あと数秒で衝突、という距離まで詰められたときだった。


「フッ!」


 短い呼気とともに軽く腰を沈め、強く地を蹴り跳び上がる。天地が完全に逆転する直前、真下に来たクレイホアに向け躊躇ちゅうちょなくトリガーを引いた。


 銃口から放たれたまばゆい二筋の光を、片や右から、片や左からそのまま横に振れば、十字に走る軌跡上の真黒い種は次々に弾け、分厚い花びらは四方に焼け裂けていく。断末魔的な叫び声が上がらないことだけが、ちょっぴり耳に救いだろうか。


 クルリともう半回転を済ませ着地した背を、轟音と熱風が撫でつける。あとに残るのは、甘ったるい蜜の匂いと、舞い上がった粉塵ふんじんのカビっぽい臭いだった。


「ふう。――許せよデカブツ。これも生きる為なのさ」


 立ち上がり、嘆息のあとで意味もなくカッコつける。独りの生活が長いと、つい変に口数が増えて困る。

 まだ銃口が熱いだろうことには構わず、スリットから覗く両腿のホルスターにソーラーガンをガショリと納めた。土煙が収まるのを待って乱れた髪を雑に整えて口布とゴーグルを外せば、さあっと吹きわたる風が心地いい。


「はぁー、今日も生きてるーぅ」


 パンッと小気味よい音を二度たてて口布の埃を払い、ゴーグルをサッと拭く。今回はクレイホアの体液を浴びずに済んだので、すぐキレイになった。


 嫌でも目につく、今では見慣れてしまった両腕の〝緑〟。それも軽く手入れしながら崩れたビル群の向こうに目をやれば、溜め息が漏れた。


「……近いようで案外遠いなぁ」

 沈み始めた陽をバックにそびえる、大きな電波塔タワー。その存在感ゆえに近く感じていたが、もう半日はかかりそうだ。




   2


 事の始まりは、隕石の飛来だった。

 もたらされた最初の形状が、種だったのか花粉だったのか、はたまた菌やウィルスだったのかは定かでない。けれど確実に言えるのは、そのせいで花はクレイホアばけものに変わり、ヒトの身に植物が〝生える〟ようになったことだ。


 生きた依り代のから芽を出し、上肢と胸につるを巻き、死期が近付くと胸元につぼみを一つつけ、命尽きるときに咲く。生きていたものだけでなく、無機物にさえ寄生し花をほころばせ、その形が消えて無くなるまで周囲に根を広げ続けた。


 花の周囲を緑が飲み込んでいく。文明は徐々に枯れゆき、命の輪へと還っていく。


 学者たちが神に祈り始める中、ある詩人は「惑星ほしの浄化措置なのだろう」と歌った。自らのおわりに、この身を糧とし生きる花を手向ける。――せめてもの救いは、そんな最期が用意されたことなのだと。

 そうしていつしか、死せるものは全て花になっていった。


『こちら、サラ=イ=エール。旧・トオキタワーを目指し、日照時のみ前進中。この声が届いた者は応答ねがう。常時受信チャンネルは87.3――』


 クレイホアたちが大人しくなるのをいいことに続けてきた通信機での呼びかけを、今夜も変わらず行なう。何度か交信できたヒトからの折り返しは、ふた月前を最後に途絶えていた。期待する気持ちなどとうに枯れている。けれど、習慣づいたことを今さらめて、それで調子を狂わせるのもバカらしくてできなかったのだ。


 同じ文言を、チャンネルをズラして何度か発信する。それから87.3ホームに合わせて、咳払い1つで気持ちと口調を軽くした。

『探検家サラ=イ=エールのぉ、サラっとチャンネル~!』

 インカムのマイクアームを気持ち離して、「いよっ」だの「待ってました!」だの自分ではやし立てる。虚しく夜の闇に吸われるだけと理解していても、拍手まで付けて。


『ついに来たよ、旧・トオキタワーのお膝元! この辺りは元々緑もあったからか、他の市街地域に比べると人工物の砂塵化は進んでるけど、クレイホアは少なめかな。この分なら明日の昼過ぎには着けそうで安心したよ。だから、明日の配信がなかったら「ああ、サラちゃんもお花さまになっちゃったのか」と冥福をお祈りしてね☆』


 極力そのままのノリで明るく言い切る。寿命は延びたが、全うできる保証はどこにもないし、いつか死ぬという事実だって変わらない。ならばその終わりを少しでも楽しく飾ってやろうと、私のように好き勝手生きた人は多い。

 そして、好き勝手に生きたがゆえに早く咲いてしんでいった。


『今日は2週間くらい前に見つけた植物図鑑を読み返してるよ。せっかくだから、何か紹介しようかな』


 電力インフラの絶えた今となっては、紙製の本は貴重な情報源だ。地上の本はとっくに食いつぶされているから、今でも比較的に無事な地下から見つけてきた。明かりはないし、クレイホアとは別のバケモノの巣窟になっていたから大変な目にあったのだけれど。


『っても、私の寄生植物はまだつるしかないからツル科のとこ限定ね。変異種だからか、ほんとならつる巻かないのも咲くらしいんだけど、他のとこも見てたらキリないし』


 ゆっくり着実に滅びていく世界に娯楽は少ない。誰かがこれを聞いているとも限らないが、彼らのそれになれたなら嬉しいし、かつての私に「まだ一人じゃないよ」と届けばなおのこといい。


『アサガオ、ヒルガオ、ヨルガオが気になったから紹介するよ。どれも見た目はほぼ同じで、花開く時間が違うだけみたい。花言葉は――』


 〈夜行蟻ジャイ・アント〉がキシキシと歯を鳴らす音が近くなった気がして、き分けておいたクレイホアの花弁をいくつか焚火にくべる。火気が盛り返すのに合わせ、気配は遠ざかった。

 一匹一匹は大したことのない相手だが、一人で、しかも陽のない時間帯に手を出すのは自殺行為だ。奴らの体液を遠くの群れが嗅ぎ付けないよう焼き殺そうにも、肝心のソーラーガンは日中にしか使えない。集団に勝るには相応の装備と頭数が必要になるのだ。


『あら失礼! ジャイ・アントに水を差されちゃって。それで――そうそう、花言葉ね。アサガオは「はかない恋」、ヒルガオが「絆/情事」で、ヨルガオは「夜の思い出/妖艶」って……やだ、アサガオ以外えっちじゃん』


 きゃー、などとひとしきりキャラキャラ騒ぎ立てたところで心が飽きてしまった。


『ああー、誰かとおしゃべりしたいよー。この声が届いてるなら返事の1つぐらいしてくれたっていいのに。ほらっ遠慮しないで! 恋バナとかしよーよ!』


 返ることのない一方通行いったっきりの叫びに、虚しさだけが降り積もる。


『……ごめん、ちょっとセンチになっちゃった。それじゃあ、お腹も空いてきたことだし今夜はここまで! 今まで聞いてくれたアナタ、ありがとね。バイバイ』


 インカムの電源を切って、盛大にため息をこぼした。


 花弁の焼ける甘ったるい匂い。そこに混じり始めた香ばしい薫りを嗅ぎとって、火中に置いていた物――握りこぶし大の種をかき出す。少し冷ましてから、破裂を防ぐために入れたヒビ部分に指を差し込んだ。殻はパキリと剥がれ、白い実が姿をみせる。


 植物化が進み、水さえあれば生きられるようにはなったが、まだヒトであるのだと確認したくて食べ続けてきた。

「はふっ、ほふ……ンマイ!」


 熱々のそれを一口、また一口と頬張る。久々にして最後の食事は、涙が出るほど身にしみた。




   3


 隕石がもたらした病は、当初、死期を早める類のものとされた。根を引き抜けば絡みつかれた自らの〝神経〟をも傷つけ激痛が走り、伸びゆくつるを千切り捨てることを繰り返せば、血液を失い死相が強くなる。それらに誤りは無かったが、傷つけないよう注意してさえいれば、元々の寿命をまっとうできると結論づけられた。


 十数年が経った頃。新・人類と言うほどの劇的な進化を遂げたわけではないものの、老い方の遅い者が現れ始めた。そういう人の中には、私が高く長く跳躍できるのと同じように、運動能力が飛躍的に伸びる者も出たらしい。巨大化の進んでいた花が自立歩行しだしたのは、若返りの可能性に世間が浮かれていた、まさにそのときだった。


 それからは、競うように大きな虫型のバケモノが現れた。蝶、蜂、カメムシ、みみず――そして蟻だ。


「ウソでしょ……?」

 翌日。辿り着いたトオキタワーの足元を見て、生唾が喉を鳴らした。電波塔を取り囲むように無数のジャイ・アントの巣が寄り集まって、コロニーを形成していたのだ。


 夜行性の蟻であるジャイ・アントは、日の出とともに活動を停止し、昼間はそのままピクリともせず眠りについている。ただし、近くで仲間の体液が流れたり少しでも触れるものがあると覚醒し、襲いかかってくるからたちが悪い。


 ――気取られさえしなければ何とかなるかな?

 ジャイ・アントの居ない巣の外殻を跳躍で渡り歩き、電波塔に4つある脚のうちの1つに飛びつけそうなところまでなんとか辿り着けた。問題は、ジャイ・アントが1体、活発に動き回っていることだった。


「どうして……まぁ、1体だけならどうにかなるでしょ」


 ソーラーガンの充電を始め、頃合いを見て間合いを詰める。ジャイ・アントたちによって砕かれた瓦礫に足を取られないよう、跳躍で届くギリギリを見定める。眠っている他の個体に当てないために、攻撃要領は昨日のクレイホアと同じでいいだろう。


 出力は、広がりすぎない1目盛りワンクリック。呼吸を整えて跳躍、ターゲットの真上を捉えてすぐにトリガーを引いた。

 光線は狙いどおり頭部を焼き切り、着地も問題なく達成。よし完璧! と喜んだのも束の間、倒れたジャイ・アントが小さな瓦礫を弾いた。カラカラと転がる先を目で追えば、眠っている別個体が1体。


「うそうそ、まずい!」


 対処しようにもチャージが間に合わない。咄嗟に逃げようとするも、焦れば焦るほど良さそうな着地点は見当たらない。

 ひたすら回避してチャージの完了を待つしかないと踏んで、瞬時に腹を決める。


「キシキシキシ……キシャーッ!」

「やれるもんならやってみなさいよ!」


 黒光りするジャイ・アントの口鋏くちばさみが噛みつきにかかるのを右に左にかわす。棘のある両前足の抱き込みは下がって回避。別の個体への影響がないかどうかも確認しつつの立ち回りを演じ続ける。

 が、疲れが出たのか油断をしたのか、体当たりを避け損ねて両手に持って充電していたソーラーガンを取り落としてしまった。


「――ざっけんな! 死にばなくらい、静かに咲かせろよッ!」


 迫るジャイ・アント。その後方に転がっている唯一の武器。

 もうダメだと諦めかけたその瞬間、目の前を熱光線が通り過ぎた。反射的に閉じた目をおそるおそる開けば、頭が焼け落ちた個体が倒れている。


 まさかと振り仰げば、「大丈夫かい?」と声が降ってきた。

 驚きのまま電波塔に飛びついて登っていくと、たくさんの花が咲いた一角に彼は居た。


「届いてよかった。距離がありすぎて助けられないかと思ったよ」


 キミも此処を墓標にしに来たのかな。笑声えごえでそう言うも、その顔は無表情だった。




   4


「……どうして知ってるの?」

 助けられ、促されるままソーラーガンも無事に回収した後。名乗る前にかけられた「もしかしてサラちゃん?」の言葉に戸惑った。


「そりゃあ、あれだけ熱心に毎夜レポートしてるんだから、嫌でも覚えちゃうさ」

「聞いてたなら、返してくれたらよかったのに」

「あいにく、発信するすべがなくてね。でも、君のお蔭で毎晩楽しかったよ。まるで話してるみたいで」


 思わず口をとがらせてしまったが、聴いている誰かが居たこと、娯楽になれていたことに頬がゆるむ。

 受信するアンテナ等の道具を何も持っていない様子なので問えば、電波塔と長く繋がっていたせいか勝手に聴こえてくるようになったのだそうだ。


「僕がここに来たときは先客が何人か居てね。当時は受信機もあったし、君みたいに発信している人も多かったよ。それが、僕一人になってしばらくした頃に落として壊れてしまってね。聴こえるようになるまで、本当に孤独だった」


 君の声に救われていたんだ。

 表情こそ変わらなくても、柔らかく微笑んでいるように見えた。


「そういえば、植物の本を持っているんだろう? 僕のがどんな花なのか見てみてくれないかい」

「ああ、うん。もちろん!」


 鞄からくだんの本を取り出す。ポケットサイズながら内容はそこそこ充実していて、写真も解説も面白い。ただ、必ずしも蕾の状態が載っているわけではないから、結局は咲いてしんでからじゃないと知り得ないのが最大のジレンマだ。


「蕾が大きくなるまで何の花が咲くか分からないでしょう? だから、ここに来るまでに図書館跡をいくつか巡って、やっとこの花言葉の本を見つけたの。咲くまでどのくらい掛かるか分かんないし、いい時間つぶしにもなっていいかなって」


 色から探すことにして、何度もページをめくる。ああでもない、こうでもないと、久しぶりに誰かと話し合うのは楽しかった。ねぇ、と話しかけて言葉が返ることが、こんなにも嬉しいものなのかとしみじみ思う。


 あれだけ求めていたヒトに出会えたのが、最後の最期というのは口惜しい。だがそれと同時に、これで良かったのだとも思えた。下手に早く見つけていれば、こんなにも穏やかな気持ちで死を受け入れることなんて、到底できなかっただろう。いいじゃないか。孤独なまま命を明け渡すよりも、墓標を共にし、一つになれる相手が出来たのだから。


 ねぇ、と投げた何度目かの呼びかけに、返る言葉が潰える。見れば、彼は花になっていた。

 月の光をうけて浮かび上がる真白の花弁。その身にまとう、甘い香り。


「……なるほど。これは確かに〝妖艶〟だわ」


 ヨルガオの花言葉を口にする。きっと私の花は、夜明けとともに咲き、昼にはつぼむのだろう。短い時間ときを寄り添う姿は、まさしく――

「〝はかない恋〟ね。いのち短し恋せよ少女おとめ、か」

 柄にもないことを呟いて、くすりと笑った。


 私の蕾があとどのくらいで花開くかは分からない。彼のように、段々と表情が消えていくのかどうかも分からない。けれど、今までと違って隣には彼が居るのだから、これほど安心できる場所は他にないだろう。周りを囲む先人たちだって居る。


「おやすみ。いい夢を」

 彼の柔らかな花弁に触れ、目を閉じるようにそっと撫でた。




   *


『こちら、サラ=イ=エール。旧・トオキタワーの中腹にて、滅びゆく世界を見下ろしながら発信中。これを聴いている見知らぬアナタ。私はここに居ます。命尽きても、花になってアナタを待っています』


 この世界には誰も居ない。静謐せいひつの中に、ただ風が吹き、ただ雨が降り、ただ虹の橋を架ける。

 ――生きているのはワタシだけ。



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終末を生きる植物人間は世界を眺めて花になりたい

2024.01.29作


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