バレンタインの準備(side桜)

 俺は人生で始めて恋人にチョコをあげるため、デパートの催事場に来ていた。

 チョコのことはよくわからないが、ある程度の目星はつけてはいる。恋人である八重が俺の自宅に置き忘れたところ狭しとチョコの写真が載ったカタログ、こいつがあるからだ。最近の女の子は自分用チョコを買うとテレビで言っていたし、八重も自分用としてこれを見ていたに違いない。現にカタログにはふせんがついていたり、メモがされており、八重がどれを欲しがっているのかを俺に教えてくれている。なのでここは社会人らしくあるもんは片っ端から買おうとしたのだが――

 「えっ、品切ですか」

 仕事終わりに来たのが悪かったのか、ことごとく品切を起こしていた。

 俺はため息を吐いて、次に行く店の場所を地図で確認した。次はここから一番近いところにしようか。仕事終わりのOLが来ているのかだんだんと混んできて、女性が多くなってきたため居心地の悪さを感じる。いつもなら心が折れて帰るのだが、あの八重はあんなに熱心にこのカタログを見ていたのだ。ならば恋人としてプレゼントをしたいと思うのは当然なことだろう。

 なんでそんな買えてるんだ?! と聞きたくなるほど両手に紙袋を持った女性にぶつからないようにしながら、俺はカタログの一ページ目にある店へ向かった。


 ショーケースの前で『本日分完売』の札を空っぽの感情で見る。本日分ということは、明日もあるのだろうか。こういったものに初めて参加したので、さっぱりわからない。それに明日行けるかどうかもわからない。いっそ有休を取るか迷ったが、こんな急な申請はできないことに気付き諦める。

 カタログにマークされている店はほとんど巡った。回る順番が悪かったのか、それとも単純に運が悪かったのか、俺は八重がマークをつけたチョコを一つも買うことはできなかった。そう、ほとんどは、だ。

 「ここは……、いや……、だけどなぁ」

 唯一行ってない店がある。そこは日本酒のボンボンを売っている店だ。できればこれを買うのは控えたい。なぜならば、八重は酒にめっぽう弱いからだ。しかも普通に酔えばいいのだが、すぐに吐く。二日酔いの酷さもさることながら、飲んだそばから吐いていくのだ。だからボンボンだろうが口にさせることはできない。しかも八重もそのことはわかっているはずなのに、なぜか八重はこの店のところに『購入必須!』とメモ書きをしていた。恋人として買ってあげたい気持ちと、大人としてそれはだめだろという感情がぶつかり合う。

 「…………」

 かなり悩んだが、ひとまずこのチョコを扱っている店へ向かうとしよう。売り切れている可能性もあるし、もしまだあったらその場で購入するかを考えればいい。

 「慣れないことはするもんじゃないな」

 だからと言って諦めるつもりはないのが、我ながらに厄介な感情である。仕方がないだろ、それぐらいには彼女のことを愛してるんだ。

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