姪襲来そのに

 「もぉ~、全然進まない! 桜ちゃん全然駄目じゃん!」

 さすがおっさんというべきか、桜ちゃんはちっとも役に立たなかった。

 「これ英語だよ?! 辞書ここにあるよ?! なんで桜ちゃんわかんないの?!」

 「俺をアテにするほうが悪い」

 「うぎぃい~!」

 あたしもわからないことを棚にあげて桜ちゃんに文句を言えば、呆れ混じりに桜ちゃんは言う。

 「もー、無理! 明日予備校休む!」

 あたしは床に大の字になって叫んだ。宿題はできてないし、講義にはついていけないし、もう行きたくない!

 「ふざけるな。引きずってでも行かせるからな」

 「桜ちゃん、ひどい! かわいい姪っ子の味方になってくれないの?!」

 「勉強ができる環境にいるんだ。だからしっかり勉強しろ」

 「正論は言わないでよ!」

 「お風呂出ました。大和さんもどうぞ」

 桜ちゃんと言葉のドッジボールをしていると、八重さんがリビングへ戻ってきた。あたしは八重さんに泣きつこうとして、彼女の姿に動きを停止する。

 「うっ……わ。美人……」

髪の毛を既に乾かしており、だぼだぼのスウェットを着ている八重さんはそれでも美人さんだった。スウェット着ててもスタイルいいって思っちゃうの何? 体のライン隠れてるじゃん。八重さん、これ素っぴんなの? この肌で? チークとファンデ塗ってないと納得がいかないんだけど。あまりの美しさに、あたしがこれ以上言葉を紡げないでいると、ここぞとばかりに桜ちゃんがお風呂へ行こうと立ち上がった。

 「俺は風呂に入るから、そろそろ寝ろよ」

 桜ちゃんはリビングを出る前にそう言った。桜ちゃん、どんだけあたしに早く寝てほしいの?


 ――八重さんの教え方、わっかりやす……。

 桜ちゃんがお風呂へ行ったあと、あたしは八重さんに教わりながら宿題を解いていた。八重さんは大学で英語をメインに勉強しているらしく、桜ちゃんとは比べ物にならないほど丁寧に、わかりやすく教えてくれた。

 「終わった~! 八重さん、ありがとうございます!」

八重さんのお陰であたしはなんとか宿題を終わらせることができ、今度は別の意味で大の字になる。問題も理解しながら解けたし、やりきった感があって清々しい! 明日予備校行く!

 「お役に立てたのならよかったです。それにやりきれたのは、雪さんが頑張ったからですよ」

 はぁ~、優しい~。八重さんの優しさが身に染みる。寝返りを打って八重さんのきれいな横顔を見ながら、桜ちゃんは八重さんの爪の垢を煎じて飲むべきだと思った。本当に最高のお姉ちゃんができたみたい。宿題が終わった達成感であたしはにこにこ笑っていると、八重が真剣な表情をしてこちらを見てきた。

 「雪さん。ちょっと……聞きたいことがあって……。その……そのですね……」

 そこまで言ったあと、八重さんは続きが言えずにも口をごもつかせる。

 「なんですか? 桜ちゃんのこと?」

 「えっ、あっ。えぇ?」

 なんとなくそう聞けば、八重さんは火が着くように顔を真っ赤にさせてほっぺを手で覆う。なんでわかったのって言いたげな八重さんに、なんとなくとは告げられない。

 「あたしが知ってる桜ちゃんなんて、八重さんも知ってると思いますけど。っても八重さんには勉強教えてもらった恩がありますし、なんでも聞いてください! なんなら桜ちゃんに直接聞きますよ!」

 しょせんは叔父さん、家族よりは遠縁で知らないことは多いしそんなに興味だってないだけど八重さんのためなら一肌脱ごうじゃないか。あたしが意気込んでそう言うと、八重さんが今にも消え入りそうなほど小さな声を出した。

 「大和さんの……、……を……りたくて」

 「ふんふん」

 「その知りたくて……」

 「何を何を?」

 「大和さんの、好きな女性のタイプが……知りたくて……」

 「ごめんなさい、まじで知らないや」

 まさかの微塵も興味のない話をぶっこまれた。どうしよう、むしろ知りたくもないんですけど。

 つい即答してしまうと、八重さんはがっくりと肩を落とした。

 「そうですよね。すいません……」

 「てか、そんなの知ってどうすんですか? 桜ちゃんは八重さんのこと大好きですよ」

 お正月の親戚の集まりでした、桜さんとのやりとりを思い出す。ラインの返信に数時間考えたり、だけど嫌われるかもって思ったらすぐに返信したり、それで明日も会おうなんてあの桜ちゃんが言っちゃうんだよ。あの桜ちゃんがだよ?! それってもはや愛じゃん。

 「だい、す……。でも、私ばっかり好きなんじゃないかって思うときがあって。大和さんは優しいから、私に付き合ってくれてるだけなんじゃないかって思っちゃうんです。せめて見た目でも性格でもいいから、大和さんの好きな女性に近付きたいんです」

 えぇ~、なんでそうなるのぉ~? 八重さんも八重さんで自分に自信なさすぎ。

 つまり八重さんは桜ちゃんと付き合えてるのは好かれてるからじゃなくて桜ちゃんの優しさで同情みたいな感じで? だからちゃんと好きになってもらいたくて、桜ちゃんの好みの女になりたくて? あんな鼻の下伸ばしてでれでれしてるのに、好きじゃないってなんで思えるの? わかんない、あたしわかんなぁい!

 「うーん……桜ちゃんは八重さんのこと大好きだと思うけどなぁ」

 八重さんに応えられる返事が思い付かなくて、同じことを言ってしまう。恋バナは好きだけど、アドバイスは苦手かも。しばらく悩んだあと、あたしは一つの妙案を思い付く。

 「あとは桜ちゃんに直接言ってみたらどうですか?」

 「直接、ですか?」

 「私のこと好きですか? って」

 あたしは人差し指を立てて、びしっと言う。

 「ひゃ」

 どうやら八重さんは恥ずかしくなると「ひゃ」と短く叫ぶのが癖のようだ。かわいい。桜ちゃん、こういうところにキュンですしてるんじゃない? 知らんけど。

 「でもでも、でも、嫌いって言われた、私もう生きていけないです!」

 「いやそんなに?!」

 言っておくけど八重さんにふさわしい男はもっといるからねぇ? それでもあたしは桜さんが幸せになってほしいから、八重さんと結ばれてほしいって思ってるんですけど!

 「そんなにです。そんなになんですぅ……」

 嫌いと言われたことを想像したのか、八重さんは涙目になってしまった。なんで八重さんはそんなに桜ちゃんのことが好きなのか、逆にそっちが気になってしまう。

 しかしそれどころじゃない。あたしには今にも泣きそうになっている八重さんを落ち着かせなければならない。

 「いや、まじで大丈夫ですって。あの桜ちゃんですよ? よく考えてください。相手はあの桜ちゃんなんですよ?」

 「どの桜ちゃんだ?」

 そう言ったところで、リビングの入り口から桜さんの声がした。あたしは夜なので声を押さえめにして「ぎゃー!」と叫び、八重さんの後ろに隠れる。どこから聞かれてたんだろう、『あの桜ちゃん』だけ? 出来ればもう少し前から聞いていてくれてると嬉しいんだけどなー。

 八重さんの背中にしがみついてそんなことを考えていると、桜ちゃんが深くため息を吐く。

 「まだ起きてたのか。いいから早く寝ろ」

 だからどんだけ桜ちゃんはあたしを寝かせたいの? いや、もう宿題もやったし寝ますが?!


 横になってどれぐらい時間が経った頃だろうか。全然寝れない。一瞬だけ落ちるように寝れたけど、すぐに目が覚めてしまった。

 ――あー、体が全然休まらない。

 固くて狭いソファーの上で寝返りを打つ。

 桜ちゃんはベッドで寝るよう言ってくれたけど、あたしが「桜ちゃんのおっさん臭がするベッドはやだ!」と言って、リビングのソファーで寝ることになった。ちなみに家主に申し訳ないからという理由で、八重さんは床に敷いたマットの上で寝ている。あたしよりひどい睡眠環境だが、本人がこれでいいと言ってきかなかったからあたしたちは不本意ながら八重さんの意思を尊重した。ので、結局桜ちゃんのベッドは桜ちゃんが使っている。

 八重さんは寝れただろうか? あたしは体を起こして八重さんが寝ているほうを見れば、そこはもぬけの殻だった。トイレかな? そう思っていると、灯りのついていないキッチンのほうで冷蔵庫が閉まる音がした。あ、水飲みに行ったのか。

 「何してんだ?」

 あたしも水飲もうかな。そう思って起き上がろうとしたらら、桜ちゃんが寝室から出てきた。別になんも悪いことをしてないけど、また「早く寝ろ」と言われるのがいやであたしは寝た振りをする。

 「きゃっ」

 「うおっ、すまん」

 「すみませんすみません」

 桜ちゃんから隠れているあたしは二人ののほうが見れず、それでも何をしていのか気になって会話に聞き耳を立てる。

 「眠れないのか? 今からでも変わるぞ」

 「お気遣いありがとうございます。でも大丈夫です。それに私がベッドに寝たら、雪さんに申し訳ないですから」

 「そうか」

 そうかじゃねーんだわ。悪いどころか事情を知らなかったらびっくりして寝起きで叫ぶ自信あるから。なーんでそういうことわっかんないかなー。あー、今すぐ起きて文句言いたい!

 「……すまなかったな」

 次なんか言ったら起きてやる、そう思いながらも寝ている振りをしていれば、桜ちゃんがバツが悪そうに言った。

 「何がですか?」

 「今日はウチに泊まる予定だったのに、その……、雪が来て。身内のゴタゴタに巻き込んで、あげく勉強まで見てもらって、本当にすまん」

 「気にしてませんよ」

 「そうか」

 二人の会話が途切れて、リビングが静かになる。あたしは桜ちゃんの言ったことを自分の中で反芻して、あたしの身勝手な行動で桜ちゃんと八重さんの大切な時間をぶち壊してしまったことに気付く。

 ――謝ろう。

 朝起きたら、じゃなくて、今すぐに。そう決めたあたしは起き上がろうとする。

 「八重がいいなら、明日も泊まらないか?」

 しかし体に力を入れたところ、桜ちゃんが八重さんとの会話を続けようとしたため、今度こそ邪魔をしてはいけないと思いまただらりと寝転がる。あぶねぇ、今完全に起きるタイミングじゃなかった。

 「観ようって言ってた映画は観れてないし、雪がいるなら朝飯も約束してたとこに行けないし、まあ、その、今晩もだし……。八重さえいいならだぞ。無理強いはしないからな」

 桜ちゃんの言い淀んだことがなんなのかちょっとわかり、こういうところがはっきり言えないの、やっぱ桜ちゃんはおっさんなんだなと改めて思う。恋人同士なのに、そういうこと言うのはセクハラになるんじゃないかとか思ってるんだろうな。

 「ひゃ」

 あ、八重さん、照れたな。部外者のあたしですら桜ちゃんの本音がわかったので、そりゃ八重さんなら当事者なのでもっとわかるだろう。

 「すまん。嫌だよな。悪い、忘れてくれ」

 「ひゃぅ、あ、ちがっ……」

 「本当にすまん。おやすみ」

 しかし八重さんの反応に気付いていないのか、拒否られたと思ったのか、桜ちゃんは勝手に自己完結をして会話を終わらせようとした。おい、ちょ待てよ! ここはさすがのあたしも我慢の限界。ついに起き上がって二人の元へ行こうとしたのだが、

 「嫌じゃないですっ」

 八重さんが桜ちゃんを後ろから抱き締めている光景が目に入り、動きが止まった。

 「大和さんの家に、明日も、明後日も、ずっと泊まりたいです。大和さんがいいって言ってくれるなら、私……私は……!」

 八重さん、本音なんだろうけど勢い余ってすごいこと言っちゃってる。あたしがこのやりとりを一部始終見てたと知ったら恥ずかしくて死んじゃうんじゃないかな。せめてバレないように隠れとこ……とあたしは結局ソファーの背に隠れる。さて、桜ちゃんはどう返すのか。暗闇の中、目を凝らして桜ちゃんの次の行動を待つ。

 「なら――」

 桜ちゃんは一呼吸置いてから体勢を変えて、八重さんを手を取るのが見えた。

「一緒に暮らすか?」

 エンダァアァアイヤァァアオゥルウェイズラブユウゥゥウ~ウゥ~!

 頭の中で例のあの曲が流れる。なんなら歌って二人を祝福したい。エビバディクラップヨアハンズ。心の拍手が止められない。桜ちゃん、アンタってすごい男だよ。

 「ひゃ……え、あ、あぅ」

八重さん、「はい」って言っちゃえ!

 「……嫌か?」

 あたしがわくわくしながら八重さんからの返事を待っていると、桜ちゃんが言った。

 それはずるいよ、桜ちゃん。好きな人にそう聞かれたら、女の子は嫌だなんて答えられない。暗いから桜ちゃんの顔は見えないが、声から察するにきっと優しく微笑んでいるに違いない。それぐらい桜ちゃんの声色は優しいものだった。

 「迷惑じゃありませんか?」

 「迷惑なもんか」

 「でも引っ越し費用とかないですし、引っ越すなら親に事情説明しないといけませんし」

 あー、そうだよね。引っ越すとなると親に事情の説明は必要だよね。どうするんだろう。同棲するので引っ越します? こんなおっさんと? これ結婚しないと許されないよね。

 「……」

 桜ちゃん黙っちゃった。気まずい沈黙を味わっていると、桜ちゃんがぼそぼそと喋りだした。

 「親への挨拶は……その……うん。さすがにだな、今は八重の負担になるだろうし。まだというか……もう少しというかだな……」

 わかるよ、その気持ち。てか桜ちゃんってばそこらへんなんも考えないで同棲の提案したんだね。カッコ悪。

 「まだ」

 桜ちゃんのちっさい声をちゃんと聞き取れたのか、八重さんがそう言う。

 「期待してもいいですか?」

 「え? 何を?」

 サイテー。この流れでわかんないとかある?

 「一緒に暮らすことは、とりあえず、そうだな……悪いが一旦保留にさせてくれ」

 ほんとサイテー。自分から言っておいて保留とかなに? 八重さんは一回桜ちゃんをひっぱたく権利がある。

 「明日は?」

 「ん?」

 「明日も泊まっていいですか?」

 「ああ。俺が一緒にいてほしい。八重が嫌じゃないなら、泊まってくれ」

 「嫌だなんて……。そんな、嬉しいです」

 あーっ、二人の影が、一つに!

 これ以上見てはいけないと思いながらも、あたしは二人を凝視してしまう。抱き付いたのは八重さんのほうで、桜ちゃんは抱き締め返したいのだろう、腕を八重さんの体に回しているが宙に浮いている。それでもできないなんて、桜ちゃんの行き場のない手がかわいそうだ。

 「大和さん、大好きです」

 「……ありがとう。俺もだよ」

 Chu! 見ちゃっててごめん。

 あたしは二人を眺めながら、そんなことを考えた。

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