出会いそのさん
女の子が取りに来るまで鞄をここであずかってほしいと店にお願いをしたら、知り合いならそっちが持っておくべきだ、と言われた。知り合いではないと言ったが、一緒に食事をしていたならば知り合いだろうと押し切られ、俺は女の子の荷物を持って会社へと戻った。善意で居酒屋で吐いていた子を介抱した結果がこれとは、あまりなもついていない。自分で善意とか言うからだめなのか? だとしたら理不尽すぎる。本当にこの荷物、どうしたらいいんだ……。
荷物は警察に届けるか、それとも彼女が取りに来るまで俺が待っているか、その二択を選べずに仕事をしていたらいつの間にか定時になっていた。女の子のことを考えながら仕事をしていたせいでほとんど業務は片付いていないが、どうせ残業をしても進まないだろうし、今日はもう帰ることにした。こういうときホワイト企業に勤めてよかったと就活時代の自分に感謝する。
そう言えば、この鞄の中に彼女の連絡先がわかるものはあるだろうか。ロビーまで着いてから、俺はそんなことを思う。連絡先がわかれば、鞄を持っているのが俺ということと、鞄を取りに来るよう伝えることができる。鞄の中を漁るのは気が引けるが、背に腹はかえられない。心の中で謝りながら鞄を開けて、ロビーのソファーに中身を出していく。参考書、ノート、財布、スマホ、定期券、学生証。なくしてはいけないもののオンパレードだ。貴重品はすぐさま鞄に戻し、学生証で女の子の名前を確認する。
「い、しょ、く……いや、いっしきか? いっ、し、き、や、え」
一色八重、名前まできれいな子だ、と俺は感嘆する。名は体を表すというけれど、まさに彼女のことを示すことわざだと思ってしまう。スマホで大学名を検索すれば、私立のお嬢様大学で、場所はここから電車一本ではいけない距離だった。
「どうするかな……」
本音を言えばもう家に帰りたい。無事免許証と社員証が戻ってきたことに祝杯を挙げたいぐらいに帰りたい。しかしきちんと保管し、返しに来てくれた恩人の女の子――そもそもの原因はこの子にあるが――の荷物を雑にも扱えない。できれば今日中に彼女へ荷物を返してあげたい。俺は頭を悩ませながら、会社を出た。
荷物を忘れたことに気付いて、店に戻っているか、会社に来てくれれば助かったんたんだがな。そんなことを考えていると、「大和さん!」と女の子の声がした。
「あ、いた」
女の子が会社の前に立っていた。女の子の鼻先や頬は赤くなっており、長時間外にいたことがそれだけで伺える。
「あの、あのあのあの」
「忘れ物」
彼女が言いたいことはすぐにわかった。俺はずしりと重いリュックサックを女の子へと差し出す。女の子はリュックサックを受け取ると、勢いよく頭を下げた。
「すいませんすいません。何度も本当にすいません」
「預かってただけだから……そんな気にやまなくていいぞ」
さらに女の子が謝りそうなので、荷物のせいで仕事が手につかなかったことは黙っていよう。リュックサックを背負い、また頭を下げる女の子のつむじを見ながらそんなことを考える。
「あー……、本当に気にしてないから。だから顔上げてくれないか?」
周囲を見回せば、道行く人間が全員俺たちを見ていた。中にはまるで俺をゴミを見るような目で見ている者もいる。今日一日で何度視線が痛いと感じなければならないんだ。
「大人のくせに女の子を謝らせてる」「ずっと外で待たせてたくせに」「恩を着せて脅してるのかも」「おい、あれ人事部の大和だぞ」。耳を澄まさなくても俺のことを悪く言う発言は全部聞こえているし、会社の人間にもこの光景を見られていた。今この瞬間、俺は『女の子を外で待たせた末に荷物を預かっていたという恩を着せて彼女を脅し、謝らせてる人事部の大和という男』であることがこの場にいる人間に認識された。半分嘘で半分本当だから達が悪い、もうおしまいだ、明日は休ませてくれ。
「でも、私、大和さんに迷惑をかけてばかりで……」
ずっ、と女の子が鼻をすする。おい待て、ここで泣かれたら追加で『女の子を泣かせた男』になってしまう。それを避けるためには、まずなんとかこの場から穏便に立ち去らなくては。だが女の子を放置して駅へ向かうことは俺の名誉だけでなく、この子に対しても失礼でそんなことはできるわけがない。そして何よりも最低な男のレッテルを剥がさなくてはならない。
目が回りそうなほど思考を巡らせるが、何もいい手は思い付かない。それに俺たちの周りにどんどん人が集まってきている気がして、余計に頭が混乱してきた。どう、したら……。
すると女の子が顔を上げて、潤んだ瞳で俺を見た。
「ごめんなさい、大和さん……」
――もうだめだ。視線に耐えられん。
女の子の涙声の謝罪で限界を感じた俺は覚悟を決めた。一度深呼吸をして、もう一度深く吸う。
「待たせてすまなかった! 約束通り、飯食いに行くぞ!」
そして周囲の人間に聞こえるように今さっきでっちあげた嘘をわざとらしく言って、女の子の氷のように冷たい手を掴んで歩き出す。
「えっ、えぇ、え?」
「一色さんが行きたいって言ってたファミレスでも行くか!」
しまった。なんとかこの場をしのぎたい一心から勢いあまって女の子の名前を呼んでしまった。しかも行きたいって言ってたファミレスってなんだ。いつでも行けるだろ。冷静だと思っていたが、だいぶ混乱しているようだ。
「はぇっ。やえって。え、えぇ?」
女の子のほうもありもしない約束を出された挙げ句、こんなおっさんに手を掴まれたせいで戸惑っていた。
「変な場所には連れていかないから。頼む」
「は、はい……」
我ながら怪しい発言だと言うのに、女の子は俺を疑うことなく控えめに俺の手を握り返した。本当にこの子の防犯意識は大丈夫なのか、俺は不安になった。
手を繋いだまま大通りを歩いて、駅前のファミレスにたどり着く。店内に入る前に手を離そうとしたのだが、女の子のほうが離そうとしなかったため俺は自分から手を離すタイミングを逃してしまっていた。このままでは店内で席を待っているときまで繋いでいないといけないのでは……? と不安に思っていたが、店は空いていたためすぐに案内された。しかし席に座るまで女の子は俺と手を離そうとせず、結局俺たちは手を繋いだまま店内を歩くことになった。そしていざ席に座ったところ――
「……向かいに座ってくれ」
「えっ? あ、はい」
女の子はそれでも手を離さず、俺の隣に座ってきた。なんなんだ、何がしたいんだ。女の子が心なしか落ち込んだ様子で俺の向かいに座り直したところで、俺はメニューが載っているタブレットを女の子へ差し出す。
「今回も俺が出すこら好きなの選んでいいぞ」
まさか一日で二回、同じ子に飯をおごることになろうとは思いもしなかった。姪っ子ですら甘やかすことはせずに一回だ。その分高いパンケーキやらパフェやらをおごらされてるが……。
「そんな、またご馳走になってしまう大和さんに悪いです。むしろここは私に出させてください。……いえ、お昼ご飯も支払わせてください!」
「いいよ。昼は免許証とかの礼だし、今回は……まあ、うん」
今回はなんと言えばいいのだろうか。はっきり言ってしまえば俺の都合でしかなく、俺は言葉を濁してしまった。
「そうだな……うん、あれだ、あれ。あれだって……」
「……」
「……」
上手い言葉が出てこないのは年のせいだろうか。形容しがたい沈黙が俺たちの間に流れる。じっとこちらを見る女の子の視線に耐えきれなくなり俺が彼女から目を逸らすと、女の子が鞄から財布を取り出した。
「やっぱり私にはら――」
「とにかく、一色さんはまだ学生なんだがらおっさんに奢られてろ。このステーキセットなんてどうだ? 美味そうだぞ」
押しきられる前に押しきれ。沈黙を破って金を払おうとした女の子の言葉に被せるようにそう言って、俺は強引に女の子へタブレットを寄せてメニューを見せた。
「デザートと食べていいからな。やっぱり女の子はパンケーキか?」
姪っ子はここのファミレスのパンケーキが好きだったことを思い出す。
「え、あ、あぅ」
「ドリンクバーも頼むか? 全部俺が払うから腹いっぱい食っていいぞ」
「あの、え、その」
何やら戸惑っている女の子を他所にタブレットを操作して先ほど言ったステーキセット、パンケーキとドリンクバー、それと自分のぶんのステーキセットとドリンクバーを注文する。
「ちょっと量が多かったか? 残したら昼のときみたいに俺が食べるから気にするな」
そう言えば昼のサンドイッチは結局残りは俺が食ったな。昼の話を出すと、女の子が口を薄く開けてぽかんとした。そして少し経ったあと、火がつくような早さで顔が真っ赤になった。
「ひや、」
今までの経験で、次に女の子が何をするか俺はすぐにわかった。俺は女の子が叫ぶより早く立ち上がり、退路を塞ぐように女の子の隣に座った。
「もう注文したから、せめて食ってから帰ってくれ」
「はいぃ」
さすがに丸々二人ぶんの食事は食えない。女の子は赤くなった頬を手で隠しながら、うつむきがちに頷いた。女の子の承諾を確認した俺はそさくさと向かいの席へ戻る。その際に女の子が名残惜しそうに俺へと手を伸ばしたが、それは気のせいだろう。
特段話すこともないので無言で料理を待つが、ステーキセットを二つ注文したせいかなかなかこない。烏龍茶でも取りに行くか……。俺が立ち上がろうとしたとき、女の子が身を乗り出して俺の腕を掴んできた。
「行かないで……」
ドリンクバーに行くだけだけど、とも言えない俺は「わかった」と言って座り直す。俺が完全に座っても女の子は俺の手を柔らかく握っていて離そうとしない。女の子の気が済むまでこのままでいようと思いながらうつむき気味な女の子の顔を眺める。そしてじっと女の子を見ていると、女の子がきれいな顔をまっすぐ俺へと向けて口を開いた。
「私、大和さんが好きです」
「……はぁ?」
女の子からの唐突な告白に、俺は店内に響くぐらい大きな声を出した。俺の声のせいで、ファミレスにいる人間の視線が一斉に俺たちに向けられる。視線の刺すような痛みは今日一日で慣れてしまった。
それよりも何がなんだかわからないが、嫌な予感がする。俺は一時的な避難でもいいからトイレに逃げ込もうとしたところ、女の子が俺の手を握る力を強くした。嫌だ、嫌な予感がするんだ。頼むからもう黙ってくれ。
しかし俺の願いも空しく、女の子は目を潤ませて言葉を続けた。
「だから、お付き合いしていただけませんか?」
――本当に何やらかしてくれたんだよ、過去の俺!
心の中で俺は過去の自分へ向けてそう叫ぶ。何がどうして俺は惚れられたんだ? いや、おっさんをからかっているのか?! 絶対にそうだ。じゃなきゃこんな美人が俺に告白なんてするはずがない。
「こ、ことわ……」
断る、と言おうとしたところ、女の子が泣きそうな表情をした。別に告白を振ることは罪じゃないというのに、謎の罪悪感を覚える。そんな目で見ないでくれ。
涙目の女の子と数秒見つめ合う。
「…………友人からで頼む」
「! ありがとうございます!」
根負けしたのは俺のほうだった。
ほらな、やっぱり厄介なことになった!
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