第22話 とあるモブ女子生徒いわく(後編)

わたしはこう思います。

ご両親を不慮の事故で亡くしたのなら、おそらく拓海くんは親戚に引き取られて転校する事になるのでしょう。

きっともうこの学校には来られない。


……あーあ。

せっかく同じクラスになれたのになぁ。

せめて一度くらい彼とお喋りしてみたかった……。


初日から空席になったままの机を眺めて、わたしはため息を吐きました。

ダウナーな気分です。


けれども予想は外れます。

入学式から1ヶ月が経過し、ゴールデンウィークの連休が明けた日に、拓海くんは登校してきました。

中島先生が言います。


「さ、小鳥遊。自己紹介をしなさい」

「は、はい」


教壇に立った彼の姿を久しぶりに眺めて、わたしはぼぅっとほうけてしまいます。

頬がどんどん紅潮していくのが自覚できます。

脳裏に浮かぶのはこんな言葉。


ああ可愛い。

可愛いなぁ。

うん、やっぱり……凄く……とっても、いい……。

めっちゃ撫で回したい……。


――おっといけない!

緩んだ表情を引き締めます。

そうでもしないと、また鼻血が出てしまいそうなので。

妄想は後の楽しみに取っておきましょう。

今は彼の挨拶に耳を傾けるのが優先。


「あ、あの……オレ、小鳥遊拓海って言います」


ええ、知っています。

もちろん知っていますとも!

きっとB組女子だけじゃなく、学年女子の半数以上が既に拓海くんの名前を把握しています。

入学式での彼はそれほどまでに注目の的で、端正な容姿でわたしたちを見惚れさせたのですから。


――っと、それよりリピートリピート。

わたしは今し方耳にした彼の声を忘れまいと、脳内で無限再生させます。

うん。

いいわぁ。

とっても素敵です。

拓海くんの声は、男子なのにとても透き通っていますね。

まるで浪川系声優さんのショタ演技を聴いているみたいで、わたしの中に秘められたる乙女な部分が絶妙な塩梅で愛撫され――おっと脱線しました。

いえ、わたしは決して声豚などではないのです。

単に声フェチなだけです。



拓海くんが自己紹介を続けます。


「今日からよろしくお願――」


その矢先、突如声が遮られました。

引き戸が乱暴に引かれ、とある女子生徒が教室に飛び込んできたのです。


「やっば! 遅刻遅刻……いや、やっぱこれぎりセーフじゃね? セーフだよね!」


やはり上園さんでした。

拓海くんの自己紹介を遮られてムッとしている一部女子たちの空気も読まずに、男子たちが囃し立てます。


「はぁ⁉︎ セーフな訳ねえじゃん!」

「アウトに決まってんだろ、アウトー!」


上園さんは「たはは」と笑い返して壇上を振り返り、ここでようやく拓海くんに気が付きました。

そして硬直します。


「……かっ、かっ、かわ……! な、何この子……めっちゃ可愛……!」


上園さんがパニックに陥りました。

目を白黒させています。

口をパクパク閉じては開き、何度もまぶたをしばたたかせながら、あわあわしています。


上園さんはスクールカースト最上位クラスの選ばれし民。

そんな彼女のこんな様子は初めてです。

みるみる内に頬が赤く染まり、顔全体に伝播でんぱしていきます。

これではまるで、入学式のあの日、初めて拓海くんを目にして瞬く間に恋に落ちたわたしと同じ――


そこまで考えて、ハッとしました。

なるほど、そうか。

なるほど、なるほど。

理解しました。

いま、上園さんはあの時のわたしと同様、一目ひとめで彼に恋に落ちたのです。


こうしてわたしは、誰かが誰かに恋をする瞬間というものを、初めて目撃しました。



――それからの日々は、クラス女子にとって戦争の毎日でした。

休憩時間になると、誰もが隙をついては拓海くんに話し掛けようとします。

それはわたしとて例外ではありません。

しかし彼の席の隣というこれ以上ない幸運を引き当てた上園さんに、すべてガードされてしまいます。


なんて独占欲の強い女なのでしょう!

いえそもそも拓海くんは先々わたしのものになるとしても、現時点では誰のものでもないのです。

これはいわば不法占拠です。

明確な独占禁止法違反です。


さて、どうしたものでしょう。

上園さんは女子が彼に近付こうとする気配を察すると、まず目線で制してきます。

それでも無視して近づくと、わざとらしく大きな咳払いをして、じろりと睨みつけます。


大抵の女子はそれでノックアウト。

すごすごと退散します。

勝ち誇る上園さんから視線をそらしつつ、未練たらしく彼をチラ見する姿に哀愁が漂います。

ちなみに男子たちは女子の間に漂う異様な空気を察してか、拓海くんに話し掛けようとはしません。


わたしは女子たちに対して思いました。

睨まれた程度で引き下がるとは情けない。

何をしているのですか、まったく。


きっと彼女らは拓海くんを想う気持ちが弱いのです。

だから上園さん如きの威嚇に萎縮してしまう。

でもわたしはこんな負け犬たちとは違います。


カースト一軍、何するものぞ!

わたしは上園さんが警戒網を張り巡らす中、堂々とまっすぐ歩いて拓海くんに近付いていきました。


「――あっ⁉︎ ちょま! 斎藤!」


上園さんが慌てて睨んできます。

こちらも睨み返します。

視線が交差して、パチパチと火花を散らしました。

周囲にはハラハラしながら事の成り行きを見守るクラスメートたち。


いつまでも睨み合っていては埒があきません。

わたしは上園さんから視線を外すと、表情をニコリとした笑みに変えて、机に突っ伏して寝ている拓海くんに声を掛けます。


「拓海――じゃなくて小鳥遊くん?」


おっと危ない。

妄想の世界でのわたしたちは既に若菜わかな拓海たくみと下の名前で呼び合う仲。

ですからつい間違えそうになりました。

気をつけないといけませんね。


「……ん……?」


拓海くんが顔を上げました。

近い。

距離が近いです。

手を伸ばせば届く場所に彼がいる。

わたしは次第に興奮を隠せなくなってきました。

ふんふんと鼻息が荒くなるのを感じます。


「……えっと……」


突っ伏していたせいで蛍光管が眩しいのでしょうか、拓海くんは瞼を人差し指で擦っています。

小さくあくびをして、レアな表情を見せます。


ああ、可愛い……!


そのときふと、わたしの鼻から何かが垂れました。

指で拭います。

すると指先が赤くなりました。

――鼻血だ!

わたしは手で鼻を覆い、バッと顔を背けます。


「もしかして、いまオレのこと呼んだ?」


拓海くんが話しかけてくれます。

何だか期待の籠った声色。


拓海くんとお喋りがしたい!

わたしは思い切り鼻を摘んで、血を止めよう必死です。

しかし鼻血は止まらず、それどころか勢いは増すばかり。

こんな顔、彼に見せられる筈がありません。

ああ……。

ここまで来たのに……。


「な、なんれもないでふ」


わたしは背を向けたまま、何とかそれだけ伝えました。

急ぎ足でその場を離脱します。

そんな惨めな敗北者たるわたしの背中に、上園さんのせせら笑いが届きました――


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


わたしの名前は斎藤さいとう若菜わかな

都立御宿北高校に通う一年生で、同じクラスの男子小鳥遊拓海くんに恋する普通の女子生徒です。

ヤンデレではありません。


先日は鼻血のせいで失敗してしまいましたが、わたしはまだ諦めていません。

何としても拓海くんとお近付きになるつもりです。


そんな事を考えていた、とある日。

朝のホームルームで担任の中島先生が爆弾発言をしました。


「あー、我が校の体育祭では、例年プログラムのフィナーレで男女ペアダンスをやることになっている」


教室中がざわつきました。

男子たちは上園さんを、そして女子たちは拓海くんを凝視しています。


「ついてはお前ら、次の月曜のホームルームまでにペアの相手を決めておけ。あぶれたヤツはオレと組む事になるから、そのつもりでな」


クラスメートたちの間に緊張が走ります。

わたしも例外ではありません。

わたしは小さく拳を握り込みながら、決意します。


拓海くんとペアを組む相手――


わたしはその女子に、絶対なってみせます……!


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