第18話 秘密の同棲生活
玄関前の廊下で上園さんと別れてから、オレたちは303号室に戻った。
萌ねえはまだ殺虫剤を握って身構えている。
Gへの警戒を解いていないのだ。
「……ぅう……駆逐……。駆逐してやるぅ……」
物騒な呟きを漏らしつつ、すべての部屋を隈なくチェックしながら、至る所に殺虫剤を噴射して回っている。
オレはそんな姿に苦笑しながら、萌ねえに代わって苺谷さんをリビングに通し、お茶を淹れた。
改めて切り出す。
「さっきの話。萌ねえとの事を知られたら一緒に居られなくなるって、どういう意味ですか?」
「言葉通りの意味よ。M・O・Eは正真正銘のトップモデルなの。それが従兄弟とはいえ男と同居を始めたなんて誰かに知れたら――」
苺谷さんは考えたくもないとばかりに、首を振った。
眉間に皺を寄せる。
「マスコミに嗅ぎつけられたら最悪ね。すぐにマンションの周り中、ゴシップ記者で溢れかえっちゃうわ」
「うーん。もしそうなっても無視したら良くないです? しばらく放っておけば、自然とほとぼりも冷めるでしょうし」
「――甘い! 甘いわよ拓海くん!」
苺谷さんはお茶を置いて立ち上がり、ずびしとオレを指差した。
熱弁を続ける。
「キミは記者やパパラッチの嫌らしさについて何にも分かってない! アイツらゴシップ記事のためなら何でもするわよ? こんなセキュリティーの手薄いマンションなんて侵入し放題! 生活風景を丸裸にして全国のお茶の間にお届けされちゃうんだから!」
「え、えええ……」
それは嫌だなぁ。
「そうなればファンの子だって押し寄せてくるでしょう。中には危険人物もいるかも知れない。拓海くん、キミはそんな相手から四六時中、萌華を守り通せるの?」
少し考えてみる。
……無理だ。
いくらオレがこの身を盾にする気概を見せたとしても、四六時中萌ねえを守るなんて現実的ではない。
第一、昼間は学校に通っているのだし。
「……本当はね。もっとセキュリティーのしっかりしたマンションに住んで欲しいのよ。でも会社の方で住む場所を用意するって言っても『拓くんの世話は私がする!』って聞きやしない。ほら萌華って、なにかと適当に見えて、その実、頑固なところあるでしょう?」
ふむ、話は理解した。
この件については苺谷さんの言い分が全面的に正しい。
「分かりました。オレ、萌ねえのことは誰にも言いません」
「ええ、そうしなさい」
苺谷さんは少し冷めてきたお茶をぐいっと飲み干した。
席を立つ。
「それじゃあ私は行くわ」
「え? もう帰るんですか? まだ来たばかりなのに、少しゆっくりしていけば……」
「ごめんなさい。萌華の様子も見れたし、実はこう見えて多忙なの。さっきの話、拓海くんから萌華にもしっかり言い含めておいて」
それだけ言い残して、苺谷さんは出て行った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
事務所に戻った
自身の仕事場である社長室を見回し、感慨に耽る。
なんとも立派な社長室だ。
思えばこの十年は、萌華とともにがむしゃらに駆け抜けてきた
株式会社ストロベリープロダクションは、詩葉がまだ若干
当初の資本金なんてわずか50万円。
本店所在地だって賃貸マンションの住所で登記して法人設立したほどの弱小プロダクションだった。
所属モデルも萌華ひとり。
そこからモデルとして成長する萌華とともに、会社も規模を拡大した。
この十年で本店移転も三度も経験して、いまでは名実ともに中堅プロダクションだ。
事務所だってオフィスビルのワンフロアを丸々借り切っているし、所属モデルやタレント、彼らをマネージメントする裏方の人員や総務も合わせれば従業員は百人近くにも及ぶ。
詩葉は思いを馳せる。
ずいぶんと長く全力疾走してきたものだ。
いまや会社は頑強。
弱小プロダクションだった頃とはまるで異なり、現在のこの会社はスタッフみなの力で運営できるまでに育っている。
誰かひとりが倒れても、それですぐ立ち行かなくなるような脆弱な体制ではない。
多大な影響を及ぼすとしても、それは社長たる自身や所属モデルトップのM・O・Eが抜けたとしても同じこと。
だったらここらで少し、あの子は足を休めても良いのかもしれない。
ただ走り続けるだけでは、いつか力尽きてしまう。
詩葉はそんな風に思いながら、デスクチェアに深く身をもたれ掛けさせた。
◇
詩葉はぼんやりと考える。
数週間ぶりに顔を見たが、萌華は元気にしているようだった。
それは良いことである。
だが問題はこれからだ。
株式会社ストロベリープロダクションは、M・O・Eの活動休止をまだ公にしていない。
しかし現在、M・O・Eは予定していたスケジュールのうちキャンセル可能なものについて片っ端からキャンセルしている。
そのせいで業界では「M・O・E引退か⁉︎」との噂がまことしやかに囁かれつつあった。
こうなるともう黙っているのは無理だ。
そう遠くないうちに、M・O・Eの活動休止について公表せざるを得なくなるだろう。
そうなったとき会社への影響を最小限に留められるよう、いまから入念に準備しておかねばならない。
そんな事を考えていると――
トントンと社長室のドアがノックされた。
ついで呼びかける声。
「社長ー。帰ってきたの? ちょっと話があるんだけど」
詩葉はデスクチェアの背もたれから身体を起こして、来訪者に入室を促す。
「いるわよ。どうぞ、入りなさい」
「はぁーい」
ドアを開けて細身の少女が入室する。
目つきは鋭くパッと見では少し冷たい印象を受けるものの、病的とすら言えるほど透き通った粉雪のように白い肌をもつ美少女だ。
眉のあたりで前髪を切り揃えたセミロングの黒髪が良く似合っている。
この少女こそは『
株式会社ストロベリープロダクションが現在最も注力して売り出している所属モデル、その人だった。
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