第15話 M・O・E

上園さんは小さく唇を開いてサンドイッチを一口齧る。

もぐもぐ口を動かしながら、時折り横目でこちらを見ている。


オレに何か話でもあるのだろうか。

沈黙していると、彼女から話しかけてきた。


「……あ、あのさ。クラスの子に聞いたんだけど、アンタって、両親をその……何というか――」


いきなりデリケートな話題を振ってきた。

陽キャ特有の遠慮のなさ。

どういうつもりでそんな話をするのだろう?

もしただの興味本位だったら、ちょっと嫌だな。

オレが黙ったままでいると、


「あー、その、さ。何て言えば良いのか……」


上園さんが口篭っている。

どうやら言葉を選んでいる様子だ。


「えっと、ご愁傷様って言うの? あーし、こんなとき、どんな風に言うのが正しいのか全然分かんないけど、……とりま元気だしなよ!」

「あ、うん。そうだね」


上園さんはそれ以上、話を深掘りしようとはしなかった。

単にオレを元気づけたかっただけで、興味本位ではなかったらしい。

そうとも知らず、警戒してしまった。


しかしこの上園沙耶香というクラスメート、痩せた猫への餌やりといいオレへの気遣いといい、案外良い子なのかもしれない。



変に気を遣って照れたのか、上園さんはそっぽを向いてサンドイッチをはむはむんでいる。

ハムスターみたいでちょっと可愛い。

でも会話は続かない。

校舎裏に静寂が訪れる。

どことなく気まずくなってきたオレは、さっき考えていた話題を振ることにした。


「あ、あの……上園さんってモデルを目指してるんだって?」

「そうだけど、何で?」

「実はさ。オレの従姉いとこが仕事でモデルをやってるらしくて、ストロベリープロダクションって事務所に所属してるんだけど――」

「――マジで⁉︎」


めっちゃ食いついてきた。

上園さんはお尻を横滑りみたいにスライドさせて距離を詰めてくる。

肩と肩が強くぶつかった。

しかし興奮中の彼女には気にした様子も見られない。


「苺プロだよね⁉︎ それ、あーしがオーディション受けてるとこだし!」

「うん。休み時間に隣りで話してるの聞こえてたよ。だからちょっと気になって――」

「――誰⁉︎ そのモデルのいとこって、誰⁉︎ 男? 女? 何て名前なん⁉︎」


上園さんがオレの肩を掴んだ。

ぐいぐいくる。

オレは揺さぶられながら、よほど興味を引いたらしいと思う。


「な、名前は⁉︎ 勿体ぶってないで教えてよ!」

「えっと『瀬戸せと萌華もえか』って言うんだけど……」


上園さんが止まった。

そして小首を傾げる。


「……知らない。誰、それ?」

「聞いたことない?」

「うん。瀬戸萌華なんて名前のモデルさん、聞いたことない」

「そうなの? でも従姉とマネージャーさんとの話ぶりでは、なんか有名モデルって感じだったんだけど」

「でも聞いたことないなぁ」


オレを押し倒さんばかりに身を乗り出していた上園さんは、掴んだ肩を離して静々しずしずと元の場所に戻る。


「あーし、これでも一応マジでモデル志望な訳。だから有名なモデルさんなら名前くらいは知ってんだよね。そのあーしが知らないってことは、アンタの従姉さんそんな有名じゃないと思うよ?」


そうだったのか。

道理でオレが前に『瀬戸萌華』でWEB検索をかけた時もヒットしなかった筈だ。


「まぁプロのモデルってもピンキリだしね。あ、でも勘違いすんなよ? 苺プロに所属してるって、それだけでもめっちゃ凄いことだし」


上園さんが彼女らしい優しい気遣いでフォローしてきた。

しかしその様なフォローは無用である。

何故ならオレはこれっぽっちも落胆していないからだ。

正直オレにとっては萌ねえが何者かなんてどうでもいいこと。

萌ねえが何者であっても、オレは萌ねえのことが大好きなのだ。



「しっかし、ガチびびったわぁ。アンタの従姉があーしの推しモデルだったらどうしようって。んな訳ないのにねー」


そんなことを笑いながら言って、上園さんは昼食を再開した。

オレは少し気になって聞いてみる。


「上園さんの推し? それってどんな人?」

「んっとねー。色々いるけどやっぱ最近の一推いちおしは『八車やぐるま塔子とうこ』ちゃんっしょ!」

「誰、それ?」

「――はぁ⁉︎ アンタ塔子ちゃん知らないん? ストロベリープロダクションの若手No. 1! あーしらと同じ高一で雑誌モデル以外にドラマにもCMにもバンバン出てるのに?」


胡乱げな目を向けられた。


「ごめん。知らない」


呆れたとばかりに盛大にため息を吐かれる。


「……はぁぁぁ、チー牛丸出しじゃん。せっかくアンタってば可愛……顔してんのに……」


いやいやチー牛とか言うな。

それは宣戦布告と同義だぞ。

なんて思ってはみるものの、言葉にはしない。


「……じゃあさ。まさかとは思うけど、『M・O・もえE』まで知らないなんて言わないよね?」

「M・O・E? いや知らないけど」


上園さんが口を開いて絶句している。

オレはそんなに変な事を言っただろうか。


「ないない! M・O・Eを知らないとか絶対ないし! だってあの塔子ちゃんですら足元にも及ばないガチのトップモデルだよ⁉︎」


そんなことを言われても困る。

知らないものは知らない。

だってオレの趣味は基本二次元の方を向いているせいで、リアルには疎いのだ。

オレの鈍い反応に上園さんがイラつき始めた。


「あー、もうマジあり得ないって! 一万歩譲って名前は知らなくても、絶対顔は見た事あるから!」


上園さんはスマートフォンを取り出したかと思うと、WEB検索サイトを開いた。

手早く『M・O・E』と打ち込んで、検索結果を見せつけてくる。

画面には理知的なのにどこか妖艶で、更にはミステリアスな空気を醸し出す、美人としか表現しようのない女性の画像が羅列されていた。


「どうよ! ものすっごい美人っしょ!」


上園さんが自慢げに鼻を高くする。

しかしオレはそれどころではない。

画面の女性を食い入る様に見つめる。


「M・O・Eは経歴とか一切公表してないんだけど、それもミステリアスで良いんだよ。ガチであーしの推し中の推し……いや、それ以上! モデルとしての最終目標で崇拝対象。絶対的な憧れなんだから!」


オレは上園さんの長台詞を右から左に聞き流しつつ、誰にも聞き取れないほどの小声で呟く。


「これ……萌ねえだ……」


オレの知っている萌ねえとは雰囲気がまるで違う。

似ても似つかない。

けれどもたしかにそのモデルは萌ねえだった。

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