第11話 下手な遠慮は姉を泣かせる。

マネージャーである苺谷いちごたにさんとの言い争い――もとい話し合いのすえ、萌ねえは当面の間・・・・の、モデル活動休止を勝ち取った。


具体的にいつからいつまでと期間をはっきり決めさせなかった辺り何とも玉虫色で、苺谷さんの気苦労が伺える。


こうなるとオレみたいな小心者は「苺谷さん怒ってないかな?」とか不安になってしまうのだけど、当の萌ねえにはそんなことを気にした様子はなく、

「やったぁ! これで拓くんと毎日一緒にいられるぞー!」

なんて無邪気に喜んでいた。

やっぱり萌ねえは大物おおものなんだと思う。



萌ねえはモデル業の残務整理を進める傍ら、オレを伴って引越し先を探すのにも忙しく動き回った。


その甲斐あって何とか転居先が見つかり、いまは二人でそこに引っ越すための準備をしているところだ。

周囲に散乱する荷物を片付けながら、萌ねえが話し掛けてくる。


「いいマンションが見つかって良かったねー。まぁ駅からは離れてるけど、お家賃の割に広さもあって綺麗だし」

「ん。そうだね」


引越し先は築20年の普通の賃貸マンション。

間取りはここと同じく2LDK。

部屋割りは『萌ねえの部屋』『オレの部屋』『共用のリビングダイニング』となる予定である。


「……ん……しょっと。この段ボールはこれで良し!」


萌ねえが衣服の箱詰め作業を一区切りさせた。

休憩がてらオレを呼ぶ。


「拓くん、おいでおいでー! はい、萌華お姉さんの膝枕ですよぉ」


太ももをポンポンしながら呼んでくる。

オレは黙って従った。

ここしばらくの同居生活で学んだことがある。

それは『オレを構い始めたときの萌ねえには何を言っても無駄』ということだ。


萌ねえは一見ぽわんとしているように見えて、その実、押しが強い。

オレみたいな意志薄弱な人間では逆らうのは難しい。

なら最初から素直に従う方がいいのである。


膝に頭をのせると、萌ねえは嬉しそうに微笑んだ。

彼女の細いけど丁度良い柔らかさの太ももは、普段使っている枕よりずっと心地よい。

だけどちょっと気恥ずかしいのが難点だ。


萌ねえはご満悦という顔をして、オレの髪を愛おしげに撫でつける。

割とくすぐったい。


「引っ越し先のマンションって、拓くんの学校まで徒歩20分だっけ。……歩いて通学するにはちょっと遠くない? なんなら私が毎日車で送り迎えしてあげよっか?」

「萌ねえ過保護すぎ。それくらい普通に歩けるって」

「そう? 送り迎え楽しそうなのに……残念」


オレなんかの送迎の何が楽しいのか。

萌ねえの考えはたまに理解できない。


「ね、拓くん。ずいぶん長く休んじゃったけど、ゴールデンウィーク明けから学校に行くのよ? 私、ちゃんと色々手続きを済ませておくから」



「その事なんだけど――」


オレは膝枕から起き上がり、姿勢を正した。

ここ数日ずっと考えていた話を切り出す。


「……あのさ。オレ、学校辞めようかなって」

「えっ⁉︎」


萌ねえが固まった。


「な、なんで⁉︎」

「いや……だって、ほら……。その方がいいかなって……」

「な、何が『その方がいい』の? 拓くん、もしかして学校行きたくないの?」

「いや、別に行きたくない訳じゃないけど……」

「じゃあ! じゃあ、どうして!」


実はオレは、萌ねえがオレと暮らしていくために節約するなんて言い出した時から、ずっとモヤモヤしていた。

果たしてそれで本当に良いのだろうか。


萌ねえは凄くオレを可愛がってくれる。

仕事まで休んで気にかけてくれる。

でもオレはそんな彼女の優しさに甘えてばかり。

それで良いのだろうか。


すでにとんでもなく迷惑をかけているのだ。

これ以上、萌ねえの負担になりたくない。

精神的にも、経済的にも。

だからせめて、学校を辞めてどこか働き口を見つけて、少しでも萌ねえを手伝いたい。

そう伝えると、萌ねえは泣き出した。


「……違う……違うよぉ……ひっく……」


真っ赤になった目から大粒の涙をポロポロこぼしながら、嫌々するみたいに首を振る。


「分かってない! 拓くん、全然分かってない! 私の負担になりたくない? 違う、私がキミを負担に思うわけないじゃない!」

「で、でも、オレ……」

「私はただ、拓くんに幸せになって欲しいだけ! 本当にそれだけなの。ちゃんと高校にいって、大学にいって、素敵な友だちを沢山作って、やりたい仕事を見つけて、素敵なお嫁さんをもらって、暖かな家庭を築いて、そんな幸せな人生を歩んで欲しいだけ……!」


涙で頬を濡らしながら訴えてくる。


「だから、そんな自分を粗末にするようなことは言わないで! 私なんかに気を使わなくていいの。だって私はもう、ずっと昔から拓くんに幸せを貰い続けてるんだから……」


萌ねえが抱きついてきた。

泣き止む様子はない。

震える細い肩を抱きながら、オレは彼女を本気で泣かせてしまったことに呆然とする。

そして思う。


……オレは、思い違いをしていた。


萌ねえの想いを正しく理解できていなかった。

萌ねえを侮っていたと言い換えてもいい。


オレなんて所詮は十年ぶりに会った単なる従兄弟。

本来なら放って置けば良いだけの相手だ。

だけど萌ねえは心根が良いから、両親を亡くしたオレを見て見ぬふり出来ない。

仕方がなく面倒を見てくれている。

オレは心のどこかで、そんな風に考えてしまっていた。


だけど違った。

萌ねえは、本気でオレのことを想って、本気で家族になろうとしてくれている。

ちゃんとオレを見てくれている。


……なんだか胸が暖かい。

身体の内側がむずむずしてきた。

遺体安置所で物言わぬ両親と対面したあの日に、ぽっかりと空いてしまった心の空洞が、萌ねえで満たされていくのを感じる。

自然と謝罪が口をついた。


「……ごめんなさい。本当にごめんなさい……」


オレは胸に縋り付いくる萌ねえの背中に手を回して、ギュッと抱きしめる。


「……ごめん。そして、ありがとう……」


ああ、オレはもう大丈夫だ。


天国に先立った両親に心の中で報告する。

親父、お袋、オレはもう大丈夫。

だって、ほら、ここにオレの新しい家族が出来たから――


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