第8話 マネージャーさん来訪

スーツ姿の女性がオレたちの帰宅に気付いた。

ゆっくりと腕組みを解く。

それからギンとこちらを睨んで「……ぺっ!」と地面に唾を吐き捨てた。


「……萌華もえか……! 貴女あなたねぇ……」

「あわわ……」


萌ねえはビビっていた。

ぶるぶる震えながら、オレの服を後ろから引っ張る。


「……た、たっくん……! 逃げましょうっ。はやくっ、はやくっ……」

「どこに逃げるつもり? 逃がさないわよ」

「ひぃ」


腹の底から湧き出す怒りを押し殺したような声色。

オレは改めてスーツの女性を眺める。

年齢は多分三十路くらいだろうか。

でも歳の割になんかめちゃくちゃ迫力がある。

というか怖い。

美人だけどそれ以前に醸し出す雰囲気が怖い。

これは萌ねえがビビるのも無理なかろう。


彼女はヒールをカツカツ鳴らしながら歩いてきたかと思うと、オレの目の前で立ち止まった。

じろじろと観察してくる。


「……ふぅん、キミが……。今朝、電話で聞いたわ。小鳥遊たかなし拓海たくみくん。萌華が引き取ったっていう従兄弟の子ね?」

「あっ、はい。そうですけど――」

「私はこういう者です」


すっと名刺を差し出してくる。

受け取った名刺に目を落とすと、そこには、

『株式会社ストロベリープロダクション

 代表取締役社長

 兼チーフマネージャー 苺谷いちごたに 詩葉うたは

と書かれてあった。

名前はともかく、本人から受ける印象と違って随分と可愛い苗字である。


「……えっと、萌ねえの仕事関係の?」

「ご理解頂けたみたいね。それじゃあキミの背中に隠れているそこの無責任女を、少しの間、貸してもらってもいいかしら? じっくり話したいことが山のようにあるの。うふふ……」


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


拓海と萌華は、詩葉をつれてマンションの部屋に戻った。

そしてリビングに陣取った女性たちは、拓海を寝室においやり、ふたりで仕事の話を始める。


「……萌華。貴女あなた、よくも昨日は仕事を途中ですっぽかしてくれたわね?」

「し、仕方がなかったのよぉ」


萌華はしどろもどろになりながら、言い訳をする。


「だってここ数日、親戚からのメールが沢山来ていてね。でも私アイツらのこと嫌いだからずっとスルーしていたんだけど、あんまりしつこくてスルーし切れなくなって、撮影の合間にメールに目を通してみたの。そしたら! たっくんが大変なことになってるじゃない⁉︎ それで私、大慌てて飛び出して――」

「――ええい、お黙りっ!」


詩葉が一喝する。


「だからって何も撮影衣装のドレスのまま、現場を飛び出していくことないでしょう! せめて私には一声掛けて行きなさい!」


詩葉は眉間に皺を寄せた。

それを指で押さえながら、盛大にため息をつく。


「……はぁぁぁ。ったく、あの後、私がどれだけ頭を下げて回ったか分かってんの⁉︎」

「……ぅ。ご、ごめんね?」

「はぁ? ごめんで済んだら警察いらんでしょ!」

「け、警察は、いまは特に関係ないんじゃないかなぁ……?」

「なんか言った⁉︎」

「い、いえぇ? なぁんにもぉ?」


萌華は口笛なんか吹く素振りを見せつつ誤魔化そうとしている。

悪びれた様子のないその態度に、詩葉の怒りのボルテージが上昇していく。

そしてついにはブチ切れた。


「大体アンタ! 今日だって朝に電話一本したきり仕事全部ほっぽりだして遊び回って! 更にはスマホの電源まで切って! ふざけんじゃないわよ!」


詩葉の怒りは収まらない。

続け様に叫ぶ。


「今日予定していた分のスケジュール調整がどれだけ大変だったか分かる⁉︎ 貴女、自分が押しも押されぬ大人気トップモデルだって自覚、ちょっとはあるの⁉︎」


あまりの迫力に萌華はたじたじだ。


「……あ、あるような無いような?」

「ええい、無いに決まってるわ! じゃなきゃいきなり『モデル活動を休止する』なんてとても言えないわよ!」


そう。

萌華は今朝の通話で前触れもなく詩葉に活動休止を申し出た。

それは詩葉にとって寝耳に水だった。



「……ふぅ……」


深いため息をついてから、詩葉の雰囲気が変わる。

さっきまで怒りの表情を浮かべていた彼女は、打って変わって鎮痛な面持ちだ。

力無い声で問いかける。


「……ねぇ何が気に入らないの? 今までずっと貴女と私の二人三脚でがんばってきたじゃない。それが相談もなしに、急に活動休止だなんて……」


株式会社ストロベリープロダクションは、詩葉がまだ二十歳はたちの小娘だった頃に立ち上げた芸能事務所だ。


詩葉が会社を立ち上げたきっかけは萌華との出会いである。

まだ少女だった頃の萌華に出会い、その圧倒的な天稟てんぴんに惚れ込んだ詩葉が、自らの手で萌華を育て上げるために作った会社なのである。


以来、詩葉は萌華をトップモデルにするために手を尽くしてきた。


初めてメディアに露出するまでに一年。


そこから実力を伸ばして、三大ファッション誌の表紙を飾れるようになるまでに、三年。


更にはメジャーなファッションショーやテレビCMへの出演依頼などが引っ切りなしに舞い込んでくるようになるまで、もう三年。


萌華と詩葉はともに力をあわせて業界の荒波を乗り越えてきたし、詩葉は自分たちが公私を通じて信頼しあえているものと思っていた。

少なくとも今朝までは――


「どうしてなの……ねぇ萌華。私って事前に相談もできないくらい信用できない?」

「マネージャー……」


肩を落として項垂れる詩葉を前にして、萌華は申し訳なくなった。

おちゃらけた態度をやめる。

そして話し出す。


「ごめんなさい。マネージャーにだけはちゃんと話しておくべきでした」


深々と頭を下げる。


「本当にごめんなさい。遅くなったけど、今更だけど、聞いて欲しい。私がモデル活動を休止する理由を。そしてどうして私がたっくんを何よりも大切にしているのか。その理由わけを――」



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