第7話 お部屋探し

10分ほどして、マネージャーさんとの通話を終えた萌ねえが戻ってきた。

ぶつくさと文句を言っている。


「ほんっと、苺谷いちごたにさんってば融通が効かないにも程があるわよ! ふんっだ! 頭、固いんだから! 何もあんなに本気で怒ることないじゃない」


ぷりぷりしながらスマートフォンの電源をオフにする。


「……ぃよし……これでもう、誰からも電話は掛かってこない……」


萌ねえは満足気に頷いた。

オレと差し向かいになり、改めてテーブルにつく。


「ごめんねたっくん、待たせちゃって」

「いや、それは構わないけど……。コーヒー冷めちゃったね。温め直そうか?」

「ん、ありがと」


オレたちは朝食を再開しながら、会話する。


「あのね。今日の予定なんだけど、朝ご飯を食べ終えたら不動産屋さんに行こうと思うの。たっくんも一緒に来てくれる?」

「不動産屋さん?」

「ええ、そう。たっくんと一緒に暮らすための、新しいお家を探そうと思って」


オレは首を捻った。

新しい家?

てっきりオレは、今後はこのマンションに住まわせてもらうのだと思っていた。

だが萌ねえは首を横に振る。


「いいえ、ここは近い内に引き払うつもりよ」

「なんでまた?」

「……ぶっちゃけちゃうと、ここってお家賃がかなり高いのよね。賃貸だけど高級なマンションだから」


まぁそうだろうなぁ。

とはいえ今までもそのお高い家賃を毎月払ってきたのだろうに、なぜ急にそんなことを言い出すのか。

オレの疑問に萌ねえが答える。


「えっとね、実は私、たっくんが成長して独り立ち出来るようになるまで、仕事はお休みしようと思ってるの」

「仕事って、たしかモデルさんだっけ?」


オレはモデル業についてあまり詳しく知らない。

だからピンとこない。

どんな仕事なのだろう。

たとえば衣料品店の広告チラシとか、そういうののモデルになるのだろうか。

今度また聞いてみよう。

オレは話の続きに耳を傾ける。


「モデルをやってて売れちゃうと、どうしても生活リズムが不規則になっちゃうのよ。でもそうしたら拓くんのお世話をちゃんと見れなくなるじゃない? だからしばらくモデルの方は活動休止しようかなぁって」


萌ねえは人ひとりを引き取って養育するということについて、彼女なりに真剣に考えてくれているらしい。


……オレの面倒をみるため、か

そのために仕事まで休職するなんて、頭が下がる思いだ。

でもそこまでしてもらう必要はあるだろうか。

疑問は残るものの、ひとまず最後まで聞くことにする。

萌ねえは話を続ける。


「でもお仕事を休むとなると収入が途絶えちゃうでしょ? あ、だからって心配はしないで? お金の蓄えはまだ沢山あるから大丈夫。とはいえ、やっぱり早いうちから節約は考えておいた方がいいかなって……」


なるほど。

休職しても困らない程度のお金はある。

けれども余裕綽々という訳ではない。

だから家賃の安い部屋に引っ越すのか。


「それにこのマンションはたっくんの通う高校からも遠くて不便でしょ? だから今日は一緒にお部屋探しをしましょうね」


オレはオレのせいで萌ねえの生活レベルを下げさせてしまうことに心苦しさを覚える。

だからこれから始まる萌ねえとの生活については、せめて協力的であろうと思った。



マンションから出ると、外の天気は雲ひとつない快晴だった。

春めいた陽気に軽く気分が高揚する。

それはオレのすぐ隣で、カジュアルな私服姿のサングラス越しに紺碧こんぺきの空を見上げている萌ねえも同じらしい。

にこにこしながら話しかけてくる。


「晴れて良かったね! そうだたっくん。せっかくのいいお天気なんだし、お部屋探しにいく前に、少し散歩しようよ」


ちょうどオレもそうしたいと思っていた。

頷いて同意する。


「じゃあさ、萌ねえのおすすめの散歩コースに連れてってよ。オレはこの街のこと全然知らないしさ」

「いいよー! ここは静かで緑も多くて住みやすい街でね、少し歩けば公園や河原があるし、その先にはおしゃれなショッピングモールなんかもあって、私のおすすめは――」


萌ねえが自然に腕を絡めてくる。

オレたちは寄り添いあって歩きながら、ぽかぽか陽気の下で散策を楽しんだ。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


日が暮れてきた。

午前のうちに散歩を終えたオレと萌ねえは、午後からは真面目に不動産屋さんを回っていくつかの賃貸マンションを見てきた。


けれどもさすがにそう直ぐ良い物件には巡り会えず、今は棒になった足の痛みを堪えながら帰宅しているところだ。


「あー、たくさん歩いたねぇ。オレ、お腹が空いたよ。萌ねえは?」

「私もお腹ぺこぺこぉ」

「じゃあ帰ったら、オレ晩ご飯作るよ。何か食べたいものある?」

「……えっ⁉︎ たっくんってば、もしかしてお料理できるの⁉︎」

「簡単なものならね」

「すっごーい! 私なんてこの歳になっても簡単な料理ひとつも満足に出来ないのに。尊敬……!」

「あはは、んな大袈裟な。でも味の方は保証できないよ? あ、それはそうと、明日は良い物件が見つかれば良いねぇ」


とりとめのない雑談をかわす。

そうこうしている内にマンションが見えてきた。

エントランスに辿り着く。


そこにスーツ姿の見知らぬ女性が立っていた。

庭木に身体をもたれ掛けさせながら、腕組みをしている。

つま先を忙しなく地面にとんとんさせて、苛立ちを隠そうともしていない。


オレに腕を絡めていた萌ねえが、その姿を見てビクンと背筋を震わす。


「……ぅげえ……!」


ササッとオレの背中に隠れる。


「……ま、まさか苺谷いちごたにさん……マンションまで押し掛けてくるなんて……」

「えっ? 誰? 萌ねえの知り合い?」

「……う、うん。私の……モデルの、マネージャーさん……」


萌ねえはオレの背後で縮こまりながら、小声で呟いた。

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