第6話 夢見が悪くても大丈夫。
気付けばオレは暗闇の中にいた。
ここは?
周囲が見通せずここが何処だか分からないが、ともかく身震いするような肌寒さを感じる。
前後左右どころか上下感覚すらあやふやな奇妙な空間だ。
その真っ暗闇の中で、前に進むことも後ろに戻ることも出来ずに立ち
胸にはいつの間にかぽっかりと大きな穴が空いていた。
その穴からオレという存在を構成していた大切なものがどんどん流れ出していく。
止めようにも止まらない。
奥から奥から、次から次へと止めどなく流れ出していく。
その様子を眺めながら、いつの間にかオレは泣いていた。
嗚咽することもなく、さめざめと涙を流す。
例えようもない喪失感がオレを
そうこうしている内に、身体はすっかりと冷え切ってしまい、オレはますます動けなくなった。
◇
前方の、この暗闇から少し離れた場所に明かりが灯った。
古びた街灯のように頼りない光。
その光の下に死んだはずの両親がいた。
二人はオレに向けて寂しげに微笑んでいる。
その今にも消え入りそうな儚げな笑顔を目にして、オレの胸は狂おしいほどに締め付けられた。
あそこに行きたい。
今すぐ、親父とお袋のもとに……。
二人のいる場所に向かおうとする。
けれども踏み出した足はまるで粘度の高い液体でも纏わせたように重く、一歩として動こうとしてくれない。
両親が背を向けた。
そしてゆっくりと歩み出したかと思うと、名残惜しげに何度もオレを振り返りながら遠ざかっていく。
オレは叫んだ。
「嫌だ! 行かないで!」
無我夢中になって手足を動かす。
追いかけようと足掻く。
けれども澱んだ空気に絡め取られたオレの身体は、どんなに力一杯もがいても前に進んでくれない。
二人が離れていく。
「お願いだから、オレも……オレも一緒に連れて行ってよ! 置いてかないで……!」
両親が立ち止まった。
かと思うとオレの後ろを指差して、何事かを伝えようとしてくる。
オレは二人の指差した方向を振り返る。
するとそこに、さっきまではなかった陽だまりが出来ていた。
随分と暖かそうな場所だ。
何となくオレはその陽だまりから萌ねえを連想する。
二人はオレにあの場所に向かえと言っているのだろうか?
そのことを確認しようとまた元の方向に振り返ると、両親の姿はもう何処にも見えなくなっていた――
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
朝がきて目覚めると、オレは誰かに抱きしめられていた。
突然のことにびっくりしてしまう。
ど、どういう状況なんだ?
「……すぅ……すぅ……」
髪を揺らすこの寝息。
温もりと柔らかさに、なんだか覚えがある。
「……ん、……拓……くぅん……」
やっぱり萌ねえだ!
オレは知らぬ間にパジャマ姿の萌ねえに抱きつかれていたのだ。
というか胸の谷間に顔を挟まれている。
「――あわわわわ。ちょ⁉︎ 何これ! ええええええっ⁉︎」
軽くパニックになりながらも努めて冷静に就寝前のことを思い出す。
たしか昨夜は疲れてるだろうからって萌ねえがベッドをオレに譲ってくれて、萌ねえはソファで寝たはずだ。
なのに何故その萌ねえがこうしてベッドで一緒に寝ていて、あまつさえ抱き枕みたいに脚を絡めて全身でギュッとオレを抱きしめているんだ?
「……あわ……あわわわ……」
あまりにふしだらな展開に目を回していたら萌ねえが目を覚ました。
抱いていたオレを解放して上体を起こす。
「……ふわぁ……、あふ……」
萌ねえは小さくあくびをしてから、ぐいーっと思い切りよく伸びをする。
持ち上がったパジャマの裾から覗く白い肌が眩しく、おへそが可愛らしい。
彼女は一息ついてから、気怠げな仕草でこちらを見た。
「……おはよー、
「あ、ああ。おはよう――って、そうじゃなくて! なんで萌ねえがこっちで寝てるんだよ! たしか昨日、ソファで寝るって言ってたよな⁉︎」
萌ねえはまぶたを指でこすっている。
まだ少し眠たそう。
こっくりこっくり舟を漕ぎながら応える。
「……んっと、それはねぇ。昨晩、
うなされていた?
オレが?
そういえば昨日は朧げな記憶ながら夢見が悪かったように思うけど、そのせいだろうか。
「……安心して、
「いや、そんな欠伸をしながら眠たそうに言われても」
口ではそう反発しながらも悪い気はしなかった。
◇
顔を洗って朝食にする。
メニューは簡単にトーストと目玉焼きとサラダ。
これらはキッチンを拝借してオレが調理したものだ。
「わぁ、美味しそう! 頂きまぁす!」
ようやくすっかり目を覚ました萌ねえがトーストに齧り付く。
口をもぐもぐさせながら話しかけてくる。
「ふぇっとね、
「萌ねえ、食べながら話すのは行儀が悪いよ?」
「ふぐっ。ごめんごめん」
萌ねえは急いでトーストを咀嚼してからコーヒーで流し込もうとしている。
オレはその様子に苦笑しつつも、何とはなしに部屋を見回した。
萌ねえのマンションは2LDKの広々とした間取りをしていた。
築年数もまだ浅そうだ。
それに昨日見たエントランスはカードキーと暗証番号と指紋認証の三重ロックで、随分とセキュリティー対策が厳重だった。
ぶっちゃけ家賃とか高いと思う。
オレは横目で萌ねえをチラ見する。
こんなマンションで一人暮らしをしているだなんて、実はお金持ちだったりするのだろうか。
そういえば仕事とか何をしているんだろう。
今更ながらにオレは、今現在の萌ねえについて何にも知らないことに思い至る。
「んぐ、んぐ――ぷはぁ!」
萌ねえが口の中を空にした。
改めて話を切り出してくる。
「それで話の続きなんだけどね」
丁度そのとき――
ぷるるる、ぷるるる。
話が再開されたのと同じタイミングで着信音が響く。
鳴っているのは萌ねえのスマートフォンだ。
彼女はディスプレイに表示された通話相手の名前を確認して嫌そうな顔した。
軽く愚痴をこぼす。
「ぐぇぇっ⁉︎ マ、マネージャーさんからだ……あ、あはは……」
「マネージャーさん?」
「うん、そう。私のモデルのマネージャーさんなんだけど……きっと昨日スケジュールをすっぽかしたこと怒ってるんだろうなぁ……」
モデルのマネージャーさん?
オレは首を捻る。
「ま、いいわ。私も彼女には話しておかなきゃいけないことが出来たし!
「そりゃあ、構わないけど……」
オレの返事を確認すると、萌ねえはスマートフォンを手にベッドのある部屋へと戻っていった。
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