第4話 江ノ島
あの時の莉菜はいなかった。あれだけ、いつも天真爛漫に笑顔ではしゃいでいた莉菜とは別人に見えるぐらい。私のせいだと思う。だけど、今更、私が、あなたの婚約者だとは言えない。
1週間ぐらい経った頃、英語の授業で、莉菜が、なんか結婚生活の小説を生徒に読ませている最中に、目が涙で溢れたの。莉菜は、ごめんなさいと言って、すぐに普通の顔で授業を進めたけど、みんなは、どうしてこんなに情緒不安定なんだろうと噂していた。
そのあと、莉菜の婚約者が亡くなったと生徒の間で噂になっていた。そんな中、私は、莉菜に話しかけてみた。
「桜井先生、さっきの授業で読んだ、ここなんですけど、現在完了形になっていますけど、過去形じゃダメなんですか?」
「過去形でもいいんだけど、意味が変わるのよ。現在完了形だと、行ったということだけでなく、行ったことがあるという感じかな。でも、頑張ってるわね。江本さんだったわよね。」
「はい。ところで、先生は、お休みとか何かしてるんですか?」
「部屋でぶらぶらしているだけかな。江本さんは?」
「私も似たようなものです。でも、外に出てみようかなと思い始めて、今年は、9月末なのにまだだいぶ暑いんですけど、江ノ島に行こうかなと思ってるんですよ。ただ、一緒に行ける人がいなくて。暇だったら、どうかと思って。」
「江ノ島か。懐かしいわね。今度の土曜日は暇だし、一緒に行こうか。」
「嬉しい。先生はどこにお住まいなんですか?」
「最寄りの駅は、品川だけど、江本さんは?」
「私は、白金だから、品川で待ち合わせましょうよ。10時でいいですか?」
「じゃあ、そうしましょう。品川駅の東海道本線のホームで、江ノ島の方に向かって一番後ろで待ち合わせましょう。」
「わかりました。楽しみにしていますね。」
土曜日、品川のホームで、莉菜は、学校では見ないカジュアルな服装で待っていた。そして、江ノ島につき、二人とも、秋なのに暑い、暑いと言いながら坂を登っていった。
「先生、いつもより若い感じで素敵。」
「10歳近く若い女子高生と一緒に歩くんだから、少しは合わせないと。」
「先生、そんなこと考えなくても、とっても若くて可愛いのに。ところで、今日は、先生のこと莉菜先生と呼んでいいですか?」
「先生というのも、周りからなんなんだろうと思われるから、莉菜さんと呼んでよ。江本さんは、聖奈さんでいいわよね。」
「そう呼んでくれると嬉しい。でも、夏も終わったのに、まだだいぶ暑いですよね。秋はいつ来るのかしら。」
「そうね。ところで、江ノ島は、昔、付き合っていた人と最初にきたところなの。懐かしいわ。」
莉菜の目が少し潤んでいた。
「あの、その方って、みんな噂してたんですけど、今はいないとか・・・。」
「そうなんだけど、気にしないで。もう亡くなって半年ぐらい経つから、少し、気持ちも楽になってきたけど。」
「そうなんですね。でも、ずっと想い続けるなんて、とってもいい人だったんですね。」
「そうね。いつも、私のことばかり見てくれて、私が病気とかすると、いつも、仕事とか関係なく、ずっと看病もしてくれたわね。だから、彼の前では、悩みとか弱音とか吐けなかったけど。それでも、いつも笑顔でいられたわ。」
「そうなんですね。憧れます。ところで、わからないですけど、弱音を吐いても、付き合ってくれたんじゃないですか。」
「そうかもね。でも、当時は、そんなことできないって思っていたのよ。」
「大人の恋って複雑ですね。いずれにしても、彼は優しかったんだし、普通の人じゃあ一生かかっても味わえない楽しい時間を過ごせたってことですよね。」
「そうなの。そんな彼だから、初めてデートしたこの江ノ島でも、ずっと、私のことを見ててくれた。私がはしゃぎすぎちゃって、初めての靴ということもあって、足を捻挫しちゃったの。でも、彼って、私が行きたいと言っていたカフェには、せっかくだから行かないとと言って、肩を貸してくれて連れて行ってくれた。そして、帰る時もずっと私を支えてくれたの。大変だったと思うけど、頼もしかったわね。」
「そんなことがあったんですね。なんか素敵。」
「ありがとう。私の話しばっかりじゃ、いけないわね。ところで、今日はだいぶ歩いたけど、疲れたでしょう。大丈夫?」
「大丈夫ですよ。でも、この辺で、カフェとかで休まないですか?」
「そうね。じゃあ、カフェでも入って、明るい話でもしましょう。」
「甘いもの食べたい。」
そう言って、エアコンで涼しいカフェの席で、2人でレモンケーキを食べた。まだ、本当に夏って感じで、目の前の海で海水浴でもしたい感じだったわ。
太陽の光と波でキラキラと輝く海では、サーファーが大勢、波に乗って楽しんでいた。海って、こんなに美しかったかしら。莉菜と一緒だから、莉菜を再び、輝かせたいから、そう見えるのかもしれないわね。
そして、浜辺では、強い日差しのもとで、お母さんが子供と砂場を歩いたり、休んでいるサーファーたちが集まって楽しそうにしている姿が見えた。
そう、みんな楽しそうにしている。私たち2人は、過去に生きていて、昔に黄昏ているのに。あんなふうに、今を楽しく過ごせたらいいのにね。深みのあるレモンケーキだけが今を感じさせた。
私は、悲しみを隠し、明るく振る舞う莉菜の顔を見るのが辛かった。海を見ながら、莉菜が語る昔の私が、幸せにしようとしてきたけど、結局、莉菜を不幸にしたのよね。
「あら、聖奈さんまで泣かせてしまったわね。私の暗い話しで、ごめんなさい。迷惑だったと思うけど、聖奈さんに話したら、気持ちが落ち着いたわ。ありがとう。」
「迷惑だなんて。莉菜さんが少しでも、落ち着ければ、それだけで嬉しいです。」
「聖奈さんって、私が言うのも変だけど、本当にいい子ね。」
学校にいるときより、莉菜が笑顔で接してくれたから、少しは、私といて、穏やかな気持ちになれたんだろうと思う。今日は、江ノ島に来て良かったわ。
2人は、ずっと黙って海を見ていた。
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