第14話

悪魔と契約出来たダリアは、さっそく動き出した。晩餐の席で、「私も友人と呼べる方が欲しくて」と、お茶会を開かせて欲しがったのだ。


お父様も、内心ではダリアの去就に思うところがあったようで、「ガネーシャ、お前が一緒になって開催してやりなさい」と言ってきた。


私が招待でもしてやらなければ、ダリアに人脈などないからお茶会は開けない。


内心では面倒な事を言い出したものだと、ダリアやお父様に舌打ちしたい思いだったけれど、今生では完璧な令嬢を演じなければならないわ。


「はい、お父様。ダリアにも親しみやすい方々を招待させて頂きますわ。友人が出来れば、ダリアも社交界に出やすいでしょう」


従順に頷いた後、お父様が撫でる顎髭を憎たらしく思いながら、ダリアが同席するお茶会の招待にでも応えてくれる令嬢を考えた。


何しろ公爵家に卑しい出自の兄妹が家族として迎え入れられた事は知れ渡っている。本来ならばダリアはそれを逆手に取って哀れに見せて味方を増やすのだけど、そうはさせない。


私を好意的に見ていて、同情してくれている令嬢達を念入りに選んで、私は三人の令嬢達へ招待状を送ったわ。


それを知ってか知らでか、ダリアは「失敗してガネーシャお姉様にご迷惑をおかけする訳にはいかないもの」と、勇んで茶葉や茶菓子に茶器まで、自ら進んで下女へ指示を出していた。


そうして迎えてしまった、お茶会当日。私は何としてもダリアの目論見の通りにはさせまいと思案していた。


「メリナ、今日のお化粧は薄くチークを使ってちょうだい」


「かしこまりました、ガネーシャお嬢様。昨夜は良くお眠りになれなかったのでございますか?顔色が優れませんわ」


「大丈夫よ。心配してくれてありがとう」


気鬱さも感じながら身だしなみを整えていると、仕上げの段階でダリアが私の部屋を訪れた。


「ガネーシャお姉様、失礼致します。お出迎えの場までご一緒なさいませんか?」


「──ええ、もちろんよ」


途中でダリアが何かを企んでも、見落とさないように。けれど、一足遅かった。


「ガネーシャ、お茶会のティーポットにダリアが血を一滴仕込んでる」


ベリテから耳打ちされて私は焦った。


「お嬢様、ご令嬢の皆様の馬車は既に到着して来ておりますので、お急ぎ下さいますように」


そこで部屋に来た執事に告げられて窮地に立たされた思いがした。ここで私が離れてティーポットのある所に行くのは無理よ。


──どうしましょう、ベリテ。悪魔の力が加わった血よね?


「うん。このままでは令嬢達が操り人形になる。──僕の力で時間を十五分前に戻すよ。ダリアが血を仕込んだ直後にね。そこで君がティーポットに自分の血を混ぜれば中和されて無力化する」


──時間を戻す?時空を司る天使とはいえ、そんな力があるものなの?


「それが、君の中に眠っている異能の力を加えれば可能になるんだよ。まだ覚醒していないから、君は生命力を消耗する事になるけど……」


──お願い。迷ってなんていられないわ。


「分かった。──行くよ」


ベリテが輝きを放ち始めると同時に、自分の中に流れる全身の血が熱を帯びるような感覚になってくる。熱い。


同時に気怠さが襲ってきて、めまいがしたかと思うと、私は屋敷の厨房近くにいた。何かカチャカチャと音が聞こえて、物陰に身を隠す。


「これでガネーシャの友人達は、私の駒になるわ……せっかくの晴れ舞台になるのだもの、ご挨拶に遅れたら駄目ね。早く行かなきゃ」


厨房の隣室、ティーポットを含む茶器等を準備する部屋から、ダリアが薄ら笑いを浮かべながら出てきて、足早に去っていった。


──前世でもお茶会でダリアは「可哀想な乙女」を演じて味方を増やしていたけれど……裏では悪魔の力を使っていたのね。


「ああ、主催者なら仕込むのも簡単だからね。──さ、ガネーシャ。時間がない」


──ええ。


私はすぐさま部屋に入り、温められたティーポットの蓋を開けて底を見た。僅かな一滴の赤いものが底に落とされている。


「ここに君の血を数滴垂らすんだ」


──一滴では中和されないのかしら?数滴も垂らしたら、皆がお茶の味に異変を感じ取る……あっ。


「そう、感じ取らせるんだ。そこからは君の働きが大事だよ。出来る?」


──もちろんよ。任せて。それはそうと、傷は残らないように治癒出来るかしら?


「また君の力も借りる事になるけど、可能だよ。君に証拠が残っていたらダリアが見つけようとするからね」


──ありがとう、ベリテ。


そこで私は、フォークを手にして思い切り手のひらに刺した。痛いとか傷が怖いなんていう感覚は前世で捨てているの。


血がぷくっと溢れ出し、垂れて、ダリアの血を覆い隠す。味が僅かにおかしく感じられる程度に血を加えて、私はティーポットの蓋を戻した。


そうしてベリテに治癒してもらい、急いで令嬢達の出迎えに向かう事にする。チークはもうどうでもいいわ。むしろ儚げに見えていいじゃないの。


今のダリアでは、私の友人達を出迎える事など出来ないから、私と合流して共に出迎えなければならないのよ。


「ダリア、先に来てきたのね。待たせてしまったわ」


私は何食わぬ顔でお茶会の席に向かった。時を戻す前とは展開が変わっている。


「ガネーシャお姉様……私一人きりで皆様をお待ちしていて心細かったですわ……」


これも私の落ち度として利用するつもり?そうはさせないわ。


「ごめんなさいね、髪を結うのに時間がかかってしまったのよ。それでも、皆さんが集まるには間に合うように急いだの。まだ誰もお越しになってはいないわね?」


「え、ええ……お見えには……」


「あなたを一人で寂しく大変な目に遭わせはしないわ、ダリア。私はあなたの姉よ」


「……ありがとうございます」


「──お嬢様、ご令嬢方の馬車が到着してきております」


執事が告げに来て、この会話はダリアも私を攻めきれず、うやむやに終わった。私は気持ちを切り替えるように明るくダリアに話しかけた。


「──さ、ダリアの初めてのお茶会だわ。ダリアの準備してくれた紅茶も楽しみね。茶葉の味わいを楽しみたいわ、初めはストレートで頂きましょうと皆さんにもお勧めするわ」


お砂糖やミルクで誤魔化すのは、私の血がもったいないものね。


「え?あの、はい……」


何やら戸惑っているダリアをよそに、歓談しながら歩いてくる令嬢達へ私から歩み寄る。


「ようこそお越し下さいましたわ、皆様。私の招待を受けて下さって、心よりお礼を申し上げます」


にこやかに挨拶すると、まずネイブール伯爵令嬢のアニエス様がお辞儀をして、私に笑顔を向けた。


彼女の母君は社交界きっての情報通よ。今日の事は彼女から伝えられるに決まっているわ。成功すれば心強くて頼もしい存在になってくれる。


「それは、もちろんガネーシャ様からのご招待ですもの。喜んで参ります。しかも本日は、新しく妹君になられたお方もご一緒なのですもの」


「ありがとうございます、アニエス様。皆様も本日はお楽しみになられて下さいませね」


残る二人はフッティス子爵家のナタリア様と、マフカス男爵家令嬢のディアルナ様。


正直に言えば、公爵家の令嬢である私とは簡単にはお茶を共には出来ない家格なのだけれど、これはダリアの顔見せだから十分だわ。


「ナタリア様、ディアルナ様、お二方も本日はお気持ちを楽にしてお楽しみ下さいませね」


私を目の前にして、畏まっている二人にも声をかける。


ナタリア様が頬を染めて口を開いた。


「ガネーシャ様、このようなお席にお招き下さり光栄ですわ。ありがとうございます。そちらのお方が新しい妹君様でしょうか?」


同じ子爵家の令嬢でも、ナタリア様とダリアの境遇には天と地の差があるわね。ダリアの心中は簡単に察する事が出来る。


ダリアは、どこか黒々とした闇を孕んだ瞳をして見せた後、ベリタに何か注意されたようだわ。はっと表情を変えて微笑んだ。


「皆様、初めまして。ガネーシャお姉様の妹としてフォクステリア家に参りました、ダリアと申します。どうか親しくして頂けましたら幸いですわ」


「皆様、ダリアは初めてのお茶会ですのよ。とても張り切って準備に携わりましたの。皆様に喜んで頂こうと努めるダリアは愛らしくて」


「ガネーシャお姉様、そんな……恥ずかしいですわ……」


ここで親しげにダリアを扱うのも計算のうちよ。心を許して接していると見せかけるの。


おかげで、令嬢達はダリアを表向きだけでも受け入れているようね。ナタリア様がにこやかにダリアを見つめた。


「まあ、ダリア様の健気なお気持ち、本当に嬉しく思いますわ」


するとアニエス様も、おっとりと応えたわ。


「これまでご苦労なされたと伺っております。新しい環境でのお暮らしでは、ガネーシャ様より格別に良くして頂いているとお話には聞いておりましたのよ。こうして拝見すると、嘘偽りはなかったと思えますわね。素敵なご姉妹に見えますわ」


私は令嬢達の反応に満足して、次のステップに進む事にした。


「皆様、お席に着かれて下さいませ。馬車でお疲れでしょう。ダリアが直々に手配した紅茶を頂きましょう。きっと美味しいでしょうから、ストレートで味わってみて差し上げて下さいね」


「皆様、恐縮ですが、ぜひ頂いて下さいませ。茶器選びから頑張りましたので……」


控えめを装って主張するダリアに、ディアルナ様が朗らかな様子で喜んでみせた。


「ダリア様がそこまで私達をもてなそうと努めて下さっただなんて、嬉しいですわ」


ディアルナ様は鷹揚な性格の方だから、そこに嫌味など存在しない。でも、それをダリアに教えてやる義理はないわ。


皆で席について、紅茶がサーブされる。


ナタリア様だけは明らかに私の顔を立てて笑顔を作っているけれど、それも好都合だわ。


まず真っ先に私が紅茶を口に含んだ。ダリアは見た目だけ穏やかそうに、剣呑さを隠し、黙って様子を伺っている。


本来ならば、招かれた令嬢達の誰かから先に飲んでくれた方がダリアには好都合だった事くらい知っているわよ。


私は飲み込み、ティーカップをソーサーに戻して微かに表情を曇らせてやった。


「あら……?この紅茶から何かおかしな風味がするわ……私の気のせいかしら……」


その場の空気が硬くなる。令嬢達は戸惑いながら、試すように紅茶を口に含んだ。


そして一様に同じ反応を示して来たわ。


「私も、何か……変わった風味を感じますわ」


ナタリア様が首を傾げると、他の二人も続いた。


「失礼を申し上げますが……塩味とも生臭さともつかぬ風味が混ざっているような……」


「恐れながら、私も同様に感じますの」


ダリアが動揺を隠せない表情を見せる。そこでベリタが気づいて教えたようね。一瞬だけ、憎悪に満ちた目で私を睨んだ。私はお構いなしよ。


「皆様、ダリアが間違った茶葉を気づかず選んでしまったようですわ。私が代わってお詫び致します」


「まあ、ガネーシャ様!頭を上げて下さいませ」


「でも、皆様には申し訳ないわ。──この紅茶は下げて、キーマンのミルクティーをご用意させて下さるかしら?甘い茶葉の香りが、口直しにはぴったりだと思いますのよ」


「はい、それは素敵ですわね」


「あの、私とした事が……その、皆様には申し訳ございません……」


思惑通りにいかなかったダリアは周りへのフォローも根回しも考えが及ばないありさまよ。いい気味だこと。


これでダリアについて流れる最初の噂は、初めてもてなす大事な客人に対して、満足にお茶も出せない無能な令嬢と決まったわね。


私はダリアの肩にそっと手を置いて微笑んだ。


「──ダリア、落ち込まないでね。あなたが頑張った事は私が良く知っているわ」


「ガネーシャお姉様……ありがとうございます」


「良いキーマンの茶葉があるのよ、私のお気に入りなの。ダリア、あなたにも味わって欲しいわ。気持ちが落ち着くわよ」


感情のこもっていないダリアの声は、それだけ申し訳なく思っていると周りには取られたらしい。そのやり取りを見たナタリア様が気を取り直して、私に笑顔を向けた。


「まあ、ガネーシャ様の思いやり深さは素晴らしいですわ。ダリア様を大切に思われておいでですのね」


そこで私は、ダリアへ見せつけるように、格別の笑みを浮かべてやった。


「はい。ダリアは可愛い妹ですのよ。皆様、甘やかしてしまう私をお許し下さるかしら……」


令嬢達は口を揃えて、「もちろんです、ガネーシャ様のお優しいこと」「懐の深く素敵な姉君をお持ちのダリア様が羨ましい程ですわ」と私を称賛してくれたわ。


本来ならば、私が失態を犯して、事態を上手く収拾するダリアが称賛を受けていた場よ。


ダリアにも前世の記憶というものがあったなら、さぞや口惜しさも倍増した事でしょう。


その後、ダリアといえば空気のように存在感が薄れてしまって、令嬢達は私との会話を楽しんでいた。その中でも、私はダリアを気遣う姉を装う事は忘れない。


結果として、令嬢達は私を心優しい令嬢として再認識し、満足そうに帰路へついた。


ダリアは必死に愛想笑いをしていたけれど、目が笑っていないのは誰から見ても明らかだったわ。敏い令嬢達が気づかない訳がないのよ。


「ガネーシャ、これでダリアの出鼻をくじけたよ。この調子で立ち回ろう」


令嬢達を見送って、ベリテから声をかけられた私は、朝とは打って変わった晴れやかな気持ちで答えた。


──ええ。ありがとう、ベリテ。それにしても怠いような眠いような、体が何だか重いわ。


「生命力を使ったからね。晩餐の時間まで、少しベッドで休むといい」


──そうするわね。メリナかミーナに起こしてもらうわ。


晩餐の席には居なくては。ダリアが何の出たらめを言うか分かったものではないから。私は同席しているだけで十分な牽制になるはずよ。


そうして短い眠りに就いて、私は不思議な世界の夢を見た。


太陽もないのに真昼のように明るくて、それでいて優しい明るさの白い世界だった。

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