第15話

真っ白な空間で戸惑っていると、光と共に美しい女性が現れた。


「新しき導きの星の光に選ばれし乙女、ガネーシャ。私はあなたをずっと見てきたわ」


「あの、お美しいお方……あなた様はどなたですか?」


躊躇いがちに問いかけると、彼女はふと微笑んだ。


「私は先代の聖女だった者であり、輪廻転生から解脱し女神として天界に迎え入れられた者」


言われて良く見てみると、波打つ淡いブロンドの髪とラベンダーアメジストの瞳をしている。これは私も同じだわ。聖女の特徴なのかしら?


「ここは天界と下界の狭間にある世界。あなたには苦労をかけてきたもの、今生こそ覚醒出来るよう手助けするわ。──ご覧なさい」


女神様の言葉と同時に、私達の足元は鮮明な下界の姿が見えるようになった。


「ダリアと……これはどういう事でしょうか?黒い羽の……禍々しい者が見えます。これはベリタでしょうか?」


「ええ、そうよ。ここでなら下界で見えない悪魔の姿も見えるし、ダリアとベリタのやり取りも聞き取れるわ。相手に気取られる心配もなく」


それが本当なら、ベリタの謀略もダリアの言動も全てお見通しになる。有利に事を運べるわ。


私が下界の様子を注視すると、ダリアとベリタが話しているのも明確に聞き取れるようになった。


「ベリタ!ベリタ、どういう事なの?!なぜティーポットにガネーシャの血が混ざってるのよ!それにガネーシャの血であなたの力が無効化するなんて聞いてない!」


「ガネーシャは普通の人間ではないらしいな。本人からも周りからも尋常じゃない気配を感じる。おそらく、これからもお前の血を使ってみたとしたところで、何らかの手を打たれるだろう」


「それじゃ動けないじゃないの!何の為にあなたを召喚したのよ!」


「召喚した時はベリタ様と呼んで崇めていたのに、打って変わった態度だな。傲慢な人間の醜い感情は見物するには面白いものだが、それを俺に向けられるのは業腹だ」


「あの、ごめんなさい……でも、あなたの力が役に立たなかったのは事実じゃないの。血の他に使えるものはないの?」


ダリアの高圧的な態度が、指摘されて萎れる。ベリタは少し間を置いてからダリアに言った。


「何か青い石はないか?アクセサリーがいい。それも王太子の瞳の色と出来るだけ似ている色だ」


「王太子殿下の?お会いした事もないわ。何色なの?青と言っても色々あるじゃない」


「そうだな、透明感のあるスカイブルーに似た色の宝石を出せ」


「それなら、──お母様の形見のアクアマリンがあるわ、ネックレスよ!」


形見ね……自分で母親を死に追いやったくせに、よくぬけぬけと言えるものだわ。


ダリアは鏡台にある宝石箱からネックレスを取り出して、ベリタに差し出した。


「色味も濃いし鮮やかだ。これなら効果も大きく出るだろう。──これに俺の魔力を注いでやる」


企みの成功を予想してか、満足げにベリタが頷き、アクアマリンに手をかざして黒いもやのような魔力を仕込むのが見えた。


あんな黒いものを注がれても、アクアマリンは濁るどころか、その輝きを妖しく増している。


「いいか?まずは婚約披露のパーティーに何としても参加しろ。王太子の好みの女は、甘え上手で時には頼ってきて、男に従う非力で庇護欲を駆り立てる女だぞ。それを演じろ」


「まあ、ガネーシャとは正反対ではないの!」


「ああ、だから王太子がガネーシャを愛する事はないだろう。かと言って、王太子好みの女なんて掃いて捨てるほど存在する。先手を打て」


「このアクアマリンで王太子に影響を与えられるの?」


「アクアマリンと同じ瞳の色をした者に、魅惑の力を使えるようにした。見つめ合ったらアクアマリンに触れて念じろ。この力は人間で言うと一年に一度、対象は一人に限られるから、仕損じるなよ」


「分かったわ。でも、魅惑の力は一年に一度しか使えないの?それでは宝石を集めて令嬢達とかを味方にするのは無理じゃない」


「贅沢言うなよな。令嬢達には、これから血を使える機会があるだろう。ガネーシャは王太子妃教育で忙しくなるし、お前の動き全てに対応は出来なくなる」


「それもそうね……」


ベリタは殿下と対話した事などないはずなのに、好みの女性まで把握しているなんて。人心を司るという力は侮れないわね。


それに、ベリタの言った通り、婚約披露の後には王太子妃教育で家から離れる機会も増えてしまう。ダリアを監視しているのは不可能になるのも事実だわ。


──と、思案していると足元は再び真っ白になった。もうダリア達のやり取りは見えないし聞こえない。


「これで彼らの計画を知る事が出来たわね?あなたの天使にも話して対策を講じなさい。──それと、こちらを渡しておくわ」


女神様は話しながら小さなお菓子を私に差し出した。女神様の手から直接受け取っても良いものなのか迷いつつも、そっと手を伸ばしてお菓子を手にした。


「砂糖菓子でしょうか……?」


「そう。この世界に来たい時には、これを口に含みなさい。そうすれば、いつでも道は開かれるわ」


「……ありがとうございます……心より感謝致しますわ」


「美しく強かに生き直したガネーシャ。あなたには見守ってくれる存在が常にいる事を忘れないで。──さ、朝になるわ。目覚めなさい」


「あっ……あの──」


私はそこで、はっきりと目を覚ました。夢というには鮮明すぎるものだった。


「何か……握っているのかしら」


片手に違和感を覚えて見てみると、真っ白な世界で渡された物と寸分違わぬ砂糖菓子で、私はとにかくベリテに話さないとと考え、真っ白な世界の事を心の中でベリテに語った。


ベリテは最初こそ驚いていたけれど、私が受けた女神様からの加護とも言える出来事を「これで敵の動向が知れて、もっと動きやすくなる」と喜んだ。


「──ガネーシャお嬢様、お目覚めでしょうか?」


そうしているうちに、ドアが小さな音でノックされた。控えめに問いかけてきたのは、珍しい事にメリナではなくミーナだった。


「ええ、今起きたところよ。入っていいわ」


「失礼致します、おはようございます」


ミーナがメリナと共に入ってくる。二人の様子はどことなく固く、ミーナはぎこちない。


「ミーナ?どうかしたの」


いつも通りに洗顔のお湯や目覚めの紅茶も用意しているようだけれど、ミーナは日常と違う何かを伝えがって見えた。


「はい、あの……私めはお茶会の日にダリアお嬢様が、不可思議な悪事を働くのを見てしまったのです」


あの血を仕込んだ事だと、瞬時に分かった。ミーナ達に説明は出来ないので、代わりに話の続きを促す。


「不可思議な悪事とは、ダリアは何をしていたの?」


「はい、お茶会が始まる前に、きちんと準備が整っておりますか確認に行ったところ、ダリアお嬢様がいらして……私めは咄嗟に物陰へ隠れたのですが……見ていましたら、ダリアお嬢様が何かで指を刺して、おぞましい事ですがティーポットに血を垂らして……」


「まあ、皆様が頂くお茶のティーポットに?」


「はい。そして「これでガネーシャの破滅が始まるわ」と呟かれて……私は恐ろしさのあまり、隠れたまま気を失ってしまいましたが……」


という事は、その後の私を見ていないのね。それなら問題ないわ。


「ガネーシャお嬢様が心を尽くして催して下さったお茶会ですのに、酷い仕打ちです!お茶を血で穢すなど考えられませんわ!」


「落ち着いて、メリナ。結果としてはダリアがした事も失敗に終わったのだもの」


「いいえ、冷静ではいられません。ガネーシャお嬢様がダリアお嬢様に何の悪い事をしたと言うのですか?むしろ親切に接して差し上げていたではないですか!恩を仇で返すだなんて!」


メリナはたいそう憤慨している。古くから私に仕えてきてくれていたもの、その誠意は分かるわ。


それにしても、私以外にも目撃者がいたなら好都合ね。これは後で利用出来るわ。朝から気の良くなる話を聞けた事だわね。これには褒美を与えたいわ。


「落ち着いて、メリナ。ミーナも、この事はまだ誰にも話さないでちょうだい。私に考えがあるのよ。──メリナ、明日宝飾店のオーナーを呼ぶ手配をしておいてもらえる?」


「はい、かしこまりました。取り乱してしまい申し訳ございません……新しいアクセサリーを作らせるのですか?」


「ええ。メリナとミーナに、小指に着けていられる金細工の指輪を、お揃いで作らせて贈るのよ。私に真心で仕えてくれているのだもの、信頼の証を与えたいわ」


「そのような……ガネーシャお嬢様、身に余る光栄でございますが……見返りを求めてお仕えさせて頂いているわけでは……」


「その謙虚な献身が私には嬉しいのよ、メリナ」


「私などお仕えして日も浅いですのに……よろしいのでしょうか?」


「もちろんよ。あなたは、もう私に誠心誠意仕えてくれている事なら伝わってきているもの」


「本当にありがとうございます、ガネーシャお嬢様……!この命ある限り、私達はお嬢様に全てを捧げてお仕えさせて頂きます!」


メリナとミーナが感極まって更なる忠誠を誓う言葉を聞きながら、私は朝の日課を済ませた。


その日、昼間は何もなく、そのまま晩餐の時間になり、食堂へ向かうと、お父様から晩餐後に執務室に来るように言われた。


「ガネーシャ、お前の未来に輝かしい吉報だ」


その時のダリアの顔ときたら、パーティーで殿下を籠絡するつもりのくせに、冥い眼を鈍く光らせて歪んでいるのだもの。


公に祝われる私の事が、よほど憎いようね。


晩餐を澄まし顔で済ませてから、お父様の言いつけに従って執務室を訪れると、「王太子との婚約を公に披露するパーティーが王宮で再来月に執り行われる事になった」と厳かに伝えられたわ。


その後は王城にて王太子妃教育が始まるとも正式に知らされて、ダリアの思惑もあるし後には引けない心持ちになった。


でも、気になる事があるのよ。


それは、庶民の暮らしが今どうなっているかよ。私達のような高位貴族ならともかく、毎日のパンの為に働く庶民は生活苦に悩まされているのではないかしら。


私は王太子妃教育が始まる前に、不作続きと水質汚染も気になる事だし、お忍びで庶民の暮らしを見に行っておこうと決めた。

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