第13話
いわゆる、お見合いとも呼べる顔合わせの日。
お父様と同乗していた馬車を降りて案内の者に従って歩き、お父様と謁見の間に待機していると、国王夫妻と立太子されたばかりのウィリード王太子殿下が厳かに入室して各々の席についた。
私は最上級の礼儀でお辞儀をして、玉座から声をかけられるのを、かしこまって待つ。
国王陛下は想像していたよりも親しみをこめて語りかけて下さった。
「そなたは商いで得た収益で孤児院に多額の寄付を行なっていると聞くが、その若さで大した才覚だ。今後の展開はどう考えておるか?」
「恐縮でございます。幸いにも販路は順調に広まっておりますので……今後は貧民街の救済院へ寄付をし、就業支援に着手しようと考えております」
「慈善事業も、そこまでゆくと国政で対応するような領域だな。民を案じる心根は美しいと見るぞ」
「誠にありがたいお言葉と存じます、国王陛下」
すると、王太子殿下が苦々しい口調で水を差したわ。
「慈善事業を理由としても、貴族の令嬢が商いで稼ぐ事を考えるなど、少々品位に欠けると思われるが。しかもまだ齢十四にすぎない少女の考える事となると、早熟に過ぎる」
なるほど……と私は思った。前世ではダリアが殿下を誑かしていたけれど、そうなる素養が殿下にはあるのだわ。
どうやら私は、ダリア抜きにしても殿下から好意的には見られないようね。
そこに落胆と諦念、そして達観を交えて無難な言葉を探していると、国王陛下が先に殿下へ問いを投げかけた。
「そのように言うお前は、王家の者として民の為に力を尽くした事があるのか?」
もっともな言い分だわ。けれど、王太子殿下はつまらなさそうに言い捨てた。
「今はまだ力及ばずとも、いずれ王位を継げば私は国を治める為に尽力致します。それで十分でしょう」
王妃陛下が扇子で溜め息を隠すのが見えて、私は国王夫妻の苦労を垣間見た気持ちになったわ。
仮にも立太子された身なのだから、王太子として国を案じなさいよ。
まあ、実際に貧しい国民へ施している私を、身分や性別と年齢にそぐわないと言って蔑む時点でお察しだけれど。
「ウィリード、お前はまだ青い。しかし王太子となったからには、王子だった頃のように城を抜け出し、平民を装って市街を見て歩く事は許されなくなる事は覚えておくように」
国王陛下が苦虫を噛み潰したような面持ちで告げると、王太子殿下はあからさまな不満顔になった。
「市街を見て歩く事で、世論に直接触れられるのは得がたい経験であり、王城では得られぬ情報というものです」
今度は国王陛下が溜め息を堪えて口を固く引き結んだわ。
これは先が思いやられるわね……でも、待って。市街を見て歩いていたならば、平民の暮らしぶりにも詳しいのではないかしら?
それを聞き出せれば、今後の慈善事業にも役立つわ。
一応、私は聖女として目覚める事になっている訳だけれど、この聖女というのは国が危機に瀕した時に現れる救国の乙女でもある。
何しろ、滅びそうな国土に豊かな土壌や清流をもたらすのだもの。つまり今、国は問題を抱えているはずなのよ。
私が力を発揮出来る頃には、それも深刻になっているでしょうが……目先の事も考える必要があるのではなくて?
まだ聖女でなくとも、人望という土台を築くのは一朝一夕で為せる事ではないと思うし。
──王太子殿下から話を聞きたいけれど、許しを得ていないのに発言は出来ないのが、ここではもどかしいわね。
「ガネーシャ、それを王太子に聞いても無駄だよ。屋台と街並みを眺めて遊んでただけだからね。近年の穀物の不作や、水源地の水質汚染は君の父親の方がまだ詳しい」
内心で焦れていると、不意にベリテが声をかけてきた。突然の声で、驚きが顔に出そうになったけれど、うつむいていた事もあって何とか誤魔化せたわ。
──王太子殿下では役に立たないのはともかく、ベリテ、お父様ならご存知という事は、本当に国に危機が迫ってきているのね?
「神殿では覚醒した乙女が居ないか血眼になって探している程だよ。それを公表しないのは、他国との関係性が原因だろうね」
──確か、ここ数年で南北の隣国が強国に支配される事になったのよね。前世での私は我が身の事ばかりを考えていたから、特に関心は抱かなかったけれど……これは、よろしくない状態なのでは?
「そう、大変よろしくない。だから、尚さらガネーシャと王太子の婚約が必要なんだよ。君は知識の抜きん出た家庭教師を呼んでもらって諸外国の言葉を覚えただろう?更には国内外の歴史や文化も学ばされたし、今は国の情勢にも関心があるよね?」
──国内の問題解決を探る役割に、外交の架け橋としても王太子妃となれ、という事なのね?
こんな理由、前世にはなかったはずよ。私の働きが前世と違う運命を作っているのかしら。
「あと、忘れちゃいけない。マストレットとダリアが書庫にいる。ダリアが召喚の魔法陣を書き終えようとしてる」
──今すぐ、この無駄な時間を終えて帰りたいけど……この後は記憶の通りなら、王太子殿下と二人にされるのよ。
「ダリアが血を垂らすのに、傷をつける物がないと喚いてるよ。──あ、魔法陣を描いたペンで指を刺した。それじゃインクが混ざらないかな?」
──不純物の混ざった血で召喚する事になるじゃない。悪魔が怒りそうだわ。いっそ怒りでダリア達を滅ぼして欲しいものよ。
「ダリアの持つ憎悪と加虐感情は、悪魔にとって相当に魅惑的だから、多分怒っても許すと思うけど……ああ、やっぱりベリタだ」
──天使には召喚された悪魔が見えるの?
「いや、互いに見えない。ダリアが言ったんだよ。無礼をお許し下さい、ベリタ様って」
私がかしこまりながら黙っている間、国王陛下達はお父様と会話を交わしている。私はそれも聞き逃せないから、頭の中がかなり忙しい。
でも、ダリアが悪魔を召喚してしまった事に、いつかはと覚悟していたつもりでも、改めて恐ろしさや悔しさを味わわされているのよ。
一方で、公爵家の書庫では忌々しさをあらわにした悪魔がダリアの眼前に佇んでいたようだった。
「こんな汚れた血で召喚しやがって、姿に穢れが生じたじゃねえか。──そこの娘、貴様か?この人心を司る悪魔、ベリタ様を無作法に呼ばったのは」
ベリタの顔、額の半分に黒い痣が浮かんでいたらしい。これがどれだけの過ちかを、ダリアは知らずにベリタへ擦り寄った。
「無礼をお許し下さい、ベリタ様。穢れを負わせてしまいました事、心よりお詫び申し上げます。ですが、あなた様のお力が必要なのです。私の憎しみだけでなく、魂を捧げてでも地獄に落としたい者がいるのですわ」
「気色悪い、縋るな。距離は保て。お前の魂の醜さと心臓の黒さに免じて命は助けてやる。俺と契約を交わしたいんだな?」
「はい、……はい!ベリタ様!何とぞお願い申し上げます!」
恍惚としたダリアに反して、マストレットは禍々しい悪魔の姿と声に腰を抜かしていたそうだ。
「まあ、良かろう。ただし、お前に従う訳じゃない。力は貸してやるが、契約は従属じゃねえんだ。それは忘れるなよ。──あとは、憎い奴を地獄に落とすさまを見せて俺を楽しませろ。いいな?」
「はい、かしこまりました。ベリタ様……!」
そうしてダリアは穢れを帯びたベリタと契約を結んだのだった。
その経緯、詳細を私とベリテでは知る事が叶わなかったけれど……後に、ベリタは穢れを負った事実が、運命を更に変えてゆく事に繋がる。
「──では、ウィリードとガネーシャの二人で対話する時間を用意させてもらった。婚約する二人だ、親睦を深めるといい」
「ありがたき幸せに存じます、国王陛下……」
半ば呆然としながら答える私の声は、張りもなく、呟きのようなものだった。
「ガネーシャよ、そこまで緊張しなくともよい。歳もそう離れてはおらぬゆえ、気の置けぬ者同士となれば嬉しく思う」
「……はい」
今となっては、王太子殿下に小さく舌打ちされた事も気に病む余裕さえない。
──どうせ歩み寄る気のない相手なのだ、殿下にとっての私は。生意気にしか見えてはいない。
それなら、愛情など求めずに──私は女性が得られる地位の最高位だけを求めればいい。こんな愚かしい王太子ならば、将来は逆に手綱を握ってやる。
湧き上がる熱い感情は何だろう?
王太子殿下への憤りだけじゃない。ベリタを召喚された事への衝撃だけじゃない。
私を引きずり落とそうとする運命に逆らうには、欠かせない熱であり今を生きる証でもある──命からの叫びだった。
──ベリテ。私はとことん悪女として勝ち抜いてやるわよ。それが生きるという事でもあるの。
「うん。──僕が傍に居るよ、可愛いガネーシャ」
それから私は二人きりになった時、王太子殿下から「互いの利害が一致しただけの婚姻に愛など不要だろう、下手に動くのはやめておくように」とだけ言われても、その冷たさに傷つきはしなかった。
「万事分かっております、この婚姻の意味を理解しておりますゆえ、殿下は殿下の思うようになされて下さい」
そう答えて、私は一瞬だけ殿下の瞳を見つめてから目をそらし、うつむいて黙り込んだ。
「まこと、お前は気に入らぬ目をしている。こうしているのも嫌だが、父上から週に一度必ず茶を共に飲めと言われては仕方あるまい。その間、お前は一言も話すな。よいか?」
「はい、かしこまりました。仰せのままに」
「では戻るぞ。茶番なぞ時間の無駄遣いだ」
悪夢のような一日が流れて、終わる事で始まろうとしていた。
──どこまでも善良な令嬢として正しく生きる私の、悪女としての快進撃が。
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