第12話

──気を揉んでいるうちにも季節は移ろい、夏を迎えようとしていた。


私が考えた洗髪粉と石鹸は貴族の間で定着し、廉価版が庶民にも広まりつつある。おかげで慈善事業も順調だ。私の名声は称賛をもって広まっていた。


その間にも、ダリアは何とかして私に害をなそうとしていたものの、ベリテの力と私が持つ前世の記憶で防げていた。


ダリアにはマストレットの他にまだ味方がいないから、出来る事は悪戯じみた悪さだけだ。前世を憶えている私を超える程の知識も経験も持たないダリアでは、太刀打ち出来ない。


失敗する度に癇癪を起こすダリアはお父様にとっても頭痛の種ではあったものの、私のお母様を差し置いて愛した、愛人の子が残した娘だ。邪険には扱えないようだった。


マストレットといえば、使用人にも卑屈な態度をとっていたが、お父様には誰に対しても謙虚で気遣いある接し方をする息子と捉えられていたらしい。


あばたもえくぼとは、この事だ。


そうして、ある日の朝餐で、ついに恐るべき時が来た。


「マストレット、朝食を終えたら私の執務室に来なさい」


「はい、父上。分かりました」


二人のやり取りを見たベリテが難しい面持ちで私に告げた。


「ガネーシャ、父親はどうやら書庫の鍵をマストレットに渡すつもりらしい」


──鍵を?ついにこの時が来てしまったの?出来るだけ先延ばしにしようと頑張ってきていたのに。


「マストレットはダリアに自慢するよ。何しろ公爵家の子息として認められたって事を意味するからね」


──そんな事をしたらダリアが黙っていないわ。


「だろうね。羨むだけじゃ済まない」


ダリアも禁書のある書庫に入りたがるはずよ。公爵家の一員として、堂々と。


これまでダリアは知り合いも作れずに引きこもっていたけれど、おとなしくしていてくれる訳がないわ。


果たして、私が危惧する事は現実となった。


その日の晩餐、ダリアが口を開いた。


「お父様、マストレットお兄様が書庫の鍵を頂いたと聞きましたわ。ガネーシャお姉様もお持ちですし、私だけ頂けていないのは家族として認められていないようで悲しいです」


「ダリア、お前にはまだ難しい書物や扱いの難しい物が多いんだ。理解しなさい」


お父様はたしなめたけれど、ダリアは黙らなかった。


「ですが、鍵のいらない書庫にさえ私はガネーシャお姉様に同伴して頂かなくては入れないままなのですもの……」


ダリアがカトラリーを置いてうつむく。涙なんて少しも滲んでいないくせに、目元を拭う仕草を見せたわ。


けれど、こんなわざとらしい泣き真似にお父様は騙された。


「ダリアの気持ちは分かった。ならば、これからは一人でも書庫に入る事を許そう。鍵の必要な書庫には貴重な家系図や史書も保管されているから、公爵家についての学びを深めてからにしなさい」


「はい……ありがとうございます、お父様……」


──ベリテ。ダリアが一人で出入り出来るなら、マストレットから鍵を借りれば……。


「マストレットなら貸すだろうね……」


朝餐後に受け取った物を、さっそく妹にひけらかすマストレットの軽率さにも腹が立つけれど、怒りに心を乱していては駄目だわ。感情に任せた言動が呼ぶのは破滅よ。


「マストレットは、まず一人で書庫に入るだろうね。初めて許されたものだから、ダリアに対しても優越感に浸りたいはずだ。そこまで身内贔屓はしない」


──歪んでるわね……。


「問題は、悪魔を召喚出来る書物を見つけてしまう事だ。それをダリアに吹聴したら、ダリアは何としても鍵を借りるだろう」


──いつかは起こる出来事だと分かっていたけれど、まさかこんなに幼げな頃から悪魔と繋がりを持っだなんて……恐ろしい子だわ。公爵家の内部でも馴染めずにいるのに。


「君も十四歳で悪魔を召喚しようとしたけどね。まあ、それは切羽詰まっていたから仕方ない」


──闇に葬りたい過去を言わないでちょうだい、結果として天使を召喚したじゃないの。


ちょっと待って。私は聖女になるから、悪魔は召喚出来ないと説明されたけれど……出来ないなら、なぜ一度も十七歳を迎えられなかったのかしら?


その疑問には、ベリテが答えてくれた。


「覚醒すれば、天使も悪魔も精霊も、思いのままに召喚出来るようになるんだよ」


──すごいわ、十七歳になれた私って無敵ではなくて?


「そうだろう?そんな超越した存在を覚醒させようとはしないよね、敵なら。だからまずは、出来るだけ不穏な芽を摘んで、根回しもして──十七歳になる事だね」


まだ十四歳の終わり頃だわ。この先の苦労を考えると、先が長くて思いやられるわよ。


とりあえず、その日はダリアに自慢するだけだったマストレットも、翌朝の朝餐を終えると、待ちきれない様子でいそいそと書庫に向かった。


そして、昼餐にも姿を見せない程に熱中して、書庫にあった書籍について興奮を混じえてダリアに語ったらしい。


私はその話を、ベリテから聞かされた。


「ダリア、書庫には悪魔召喚の書物まであったんだ。お前は精霊を召喚出来ただろう?精霊の力をもってしても母上を病から救えなかった事は惜しまれるが……何しろ悪魔だ。お前が召喚出来れば、僕と二人で公爵家を意のままに出来るんじゃないか?」


「悪魔召喚……本当ですか?お兄様」


初めて知ったふうを見せていたそうだけれど、ポイズニーとかいう闇精霊から聞かされていたでしょうに、周りをとことん欺こうとするのね。


「僕が読み間違えるものか。確かにあった。もう愛人の子扱いなんてさせるものか。二人で公爵家を乗っ取ろう」


──マストレットまで、そんな考えを持っていたなんて。


鬱屈しているにも程があるわ。けれどダリアも乗り気だった。


「悪魔を召喚出来れば、ガネーシャお姉様を出し抜いて陥れられるわ。いい気味よ、いつも偉そうに振舞っていたのを腹立たしく思っていたの。もうやられっぱなしでなんて、いるものですか。報復してやるわ」


私はダリアが害をなそうとするのを防いできただけよ。裏では地盤を固めようともしていたけれど、まだ直接的にはダリアに手出ししていない。


──第一、母親に手をかけたのは他でもないダリアよ。闇精霊を使役したじゃないの。マストレットはダリアが契約していた精霊が闇精霊だと知らないの?


「ダリアは腹黒い。自分がのし上がる為なら母親も殺める程にね。そして、そんな不都合を実の兄に打ち明ける訳がないよ」


──前世を思うと納得がいくわ……。


「ダリア、父上が王城に呼ばれている。近いうちにガネーシャと赴くはずだ。その時に二人で書庫に行こう。物事は秘密裡に行わないと。誰にも見られないように気をつけるんだ」


「ええ、お兄様。でも、なぜガネーシャお姉様まで王城へ行くのかしら?」


「父上が話してくれた。どうも第一王子の立太子が決まるらしい。ガネーシャは王子の……王太子妃として選ばれたという事だ」


「まあ、王太子妃ですって?」


まなじりを吊り上げたダリアをマストレットが宥める。


「むきになって憤る必要はない。まだ単なる婚約でしかない。結婚までは十分な時間があるんだ。お前が悪魔と契約して力を使えば、ガネーシャも婚約者としての立場を失う程度には、評判を地に落とせるだろう」


「ええ、……ええ、お兄様。私はやってみせますわ」


そこで、二人は冥い笑いを交わしたらしい。想像するだけで身の毛がよだつ。


ベリテから、話をあらかた聞いたところで、誰かが部屋の扉をノックした。応えると相手はお父様の執事長だった。


「一体どうなさったのかしら?」


「王城より、旦那様と共に来るよう招待が届いております。明後日の朝餐後に馬車を出しますので、詳しくは旦那様からお聞き下さい」


ベリテから聞いた通りね。繰り返した前世では、この時もう私の評判は芳しくなかったから、立太子する王子からも冷ややかに見られていたのよ。


でも、今生ではどうかしら?


私は今までとは全く違う動きをしているわ。


王太子……ウィリード殿下は、それでもダリアに惑わされるのかしらね。


「ガネーシャ、これから事態は大きく動く。注意を怠らないで」


──分かったわ、ベリテ。


私は心の中でベリテに力強く頷いた。


おそらくは、私が国王夫妻とウィリード殿下に謁見している間に、ダリアはマストレットの手引きで悪魔召喚を試みるだろう。


「ベリタは召喚した人間が闇を抱えていればいるほど喜ぶ。きっとダリアは契約相手として受け入れられるだろうね」


──何もこんなに大事な時に王城へ呼ばなければいいものを……。


私は王太子となるウィリード殿下を少し恨めしく思わずにはいられなかった。


そして私は翌日、お父様から「家格や教養などを鑑みて、お前が王太子妃候補として婚約する事が決まった」と聞かされた。


事後報告なのは、元より王太子妃になれそうな令嬢はかなり限られている。その中でも最も家格の高い令嬢は私なのだから、ほぼ幼い頃から決まっていたようなものだからだった。


そこに私の否やなど存在しない。


私は落ち着いた雰囲気で上質なコバルトブルーのドレスで着飾られ、定められた時にお父様と王城へ出向いた。


内心では気が気でない思いで。

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