第11話
部屋で休んでいると、メリナが控えめに声をかけてきた。
「ガネーシャお嬢様、ミーナがお嬢様に呼ばれたと訪れておりますが……」
「ミーナ?」
「はい、食堂でガネーシャお嬢様にスパイスボトルを手渡したメイドだと申しておりますけれど……」
メリナにしては珍しく怪訝そうに言葉を濁しているわ。やはりあのメイドが公爵家の晩餐の場にいたのは不自然な事だったのね。
「メリナ、ミーナについて何か知っている事は?」
「はい……ミーナは洗濯係の下女ですので、食堂に控えるには分不相応な身かと思われまして」
「そう……」
メイドの中には、まだまだダリア達を認めていない──蔑視している者も多い。
だからと言って下女に目をつけるとは、ダリアも愚かしい程に悪どいわね。従わせられる者なら誰でもいいという浅はかさは馬鹿げてるわ。
「いいわ、ミーナを部屋に入れて。メリナ、あなたも傍に控えていていいわ」
それから私はかいつまんで晩餐での出来事をメリナに話し、憤慨するメリナをなだめて「ミーナを外に待たせているのは危険だわ」と促した。
「ダリアの目にとまる前に招き入れてあげないと、ミーナが何をされるか分からないわ」
「よろしいのですか?……かしこまりました」
メリナは納得のいかない面持ちだけれど、いいのよ。生き証人は一人でも多い方が有利になるもの。
メリナに命じると、すっかり怯えきった様子のミーナが入ってきた。
「ミーナ。なぜあなたは、あの場に控えていられたのかしら?洗濯係の下女と聞いたわ。それが晩餐の場に居られるのはおかしくないかしら」
「はい、あの……申し訳ございません……それが、先日突然……」
「言いにくくとも話してもらわなければ。私は危うく害されるところだったのだから、困るわ」
「は、はい。大変申し訳ございませんでした。あの、先日ダリアお嬢様よりお声をかけて頂きまして、私めを条件付きでダリアお嬢様の傍付きにすると仰って頂いて……」
下女を傍付きに?この家の家格を何だと思っているのかしら。呆れてものも言えないわ。
「そうだったのね。……それで?なぜ私に危害を加えようとしたか、話はそこからでしょう」
「申し訳ございません、本当に申し訳ございません……!ダリアお嬢様から、あのボトルをお渡しする事を命じられました……結果次第では、正式に傍付きにして下さると……ですが」
そこでミーナは涙ぐんだ。そうよね、失敗に終わったのだもの。しかも罰しようとしたダリアから、害そうとした私に庇われて。
「……もし失敗したら、両手を鞭打ちに処してから、紹介状もなしにお屋敷から追放すると……」
両手だなんて目立つ所を鞭打ちですって?それに、屋敷から暇を出された使用人は、紹介状がなければ他の屋敷で雇ってもらえないわ。
「なんて酷な事を……」
「私が働かなければ、家族を養えないのです。両親は既に他界していて……弟と妹が……」
「──ならば、いいわ。ミーナ、あなたは私の傍付きとしてメリナの手伝いをなさい。メリナ、悪いけれどミーナに仕事を教えてあげて」
「私めを、傍付きとしてでございますか?!」
「ガネーシャお嬢様?!仮にもお嬢様に害をなした人間ですのよ!それを懐に入れるような事は危険すぎます!」
思わず声を上げたメリナの、私への忠誠心は分かっている。だからこそメリナにミーナの教育を任せるのよ。
私は真面目にメリナを説き聞かせた。
「このままミーナに何もせずにいれば、ダリアは第二第三の刺客を送り込んでくるわ。成功するまでね。その刺客は全て使い捨てであり、隠れ蓑にするでしょうね」
ダリアは自らの手を汚さないでしょうね。そうして他人に罪を犯させて、しくじれば切り捨てるのは晩餐の席でダリアがとった態度からも明白よ。
「あの、ガネーシャお嬢様……私めをお許し下さいとは申しません。ですが、償いの道があるのでしたら茨の道でも喜んで分け入ります」
「私はメイドに傷つく道を歩ませはしないわ。メリナ、頼めるかしら?」
メリナもミーナの殊勝な態度に、少しは気持ちも落ち着いたようだった。ミーナがダリアから命じられたとはいえ、私にしようとした事を思えば、気を許すには時間とミーナの働きが必要でしょうけれど。
でも、ミーナは私に心酔させれば、良い働きをしてくれそうな予感がするのよね。
「……かしこまりました、ガネーシャお嬢様。私はミーナを必ずやガネーシャお嬢様のお役に立てるメイドとして育成致します」
「それでこそメリナよ。頼もしいわ」
「その代わり、ガネーシャお嬢様の傍付きに相応しいように厳しく指導致しますからね。いいこと?ミーナ」
「はい。はい……どうかガネーシャお嬢様の傍付きとして働けるようご指導下さいませ」
「メリナにミーナ。晩餐でのダリアの行ないは、まだ内密にしていてくれる?ダリアはまだ子供よ。それに、愛人の子として蔑視されて苦労してきたと思うのよ。それに比べれば私はずいぶんと恵まれた環境で育ったわ。ダリアが妬むのも分かるのよ」
「かと言いましても、して良い事と悪い事がございます、ガネーシャお嬢様」
メリナは私の忠実なメイドね。私は気にもとめていないふうを装って言葉を返した。
「ダリアの行ないは許されるものではない事も分かっているの。だから、ダリアが考えを改めずに悪事を働き続けて、私の我慢が限界に達したら……その時は存分に言い広めて構わないわ」
「ガネーシャお嬢様、それは私めもでしょうか?」
「もちろんよ。あなたはダリアの被害者でもあるもの」
メリナがミーナに目をやり、眼差しでやり取りする。ミーナは私のみならず、メリナにも逆らう事はないでしょう。
「かしこまりました、ガネーシャお嬢様。その際には私めが犯した罪も話さなければならなくなりますが、それを恐れてはガネーシャお嬢様のご恩に報いる事など出来ません」
「私もガネーシャお嬢様のお考えに従いますわ」
「ありがとう、二人とも。ミーナ、あなたが私の傍付きになる事は明日お父様から許しを頂くわ。今夜は部屋に戻って休みなさい」
「はい、誠にありがとうございます。ガネーシャお嬢様」
「メリナ、寝る前に落ち着くハーブティーが欲しいわ。おおごとにはしなくとも、ダリアの悪意はショックだったのよ。リンデンとシトロンにカモミールを加えたものを用意してくれる?その後は、あなたも休んでいいわ」
「かしこまりました、すぐにお持ち致します」
「ガネーシャ、上手くまとめたね」
話がひと段落したところで、ベリテが声をかけてきた。
──伊達に生き直していないわ、ベリテ。前世ではダリアの悪意も悪巧みも知れたしね。
「確かにそうだね。ところで……少々問題が起きてるみたいだ」
──問題?何かダリアが企んだの?
思わず身構えると、意外な人物があげられた。
「マストレットが、父親に書庫の中の鍵が欲しいと言い出した」
──あの禁書が眠る書庫の……?
さっと血の気が引くのを感じる。マストレットとダリアは本物の兄妹だもの。もしダリアがマストレットにねだったら……。
「父親の方は、まだ新参者のマストレットに難色を示してる。でも、後継者候補として育てるつもりだからね。そう遠からず鍵を与えると思う」
──そんな……。書庫を案内した時もマストレットは興味津々な様子だったけれど……。
「──ガネーシャお嬢様、お茶をお持ち致しました。……お顔の色が優れませんわ、ダリア様の振る舞いに相当な衝撃を受けられたのでございましょう。お痛わしい事です、許せませんわ」
「メリナ……私は大丈夫よ……お茶を頂いたら、すぐに休むわ」
「それがようございます。危険なものも口になさったのですし……」
メリナに慰められながら、私はマストレットがダリアとどの程度仲の良い兄妹なのか、ダリアはついに禁書に手を伸ばさんとする時が来るのかと、気が気ではなかった。
実の母を殺められる程の闇精霊を召喚して契約出来る力があるなら、悪魔も召喚出来てしまう事になるし、ダリアが悪魔と契約する事は、繰り返された前世で定められてきた運命だ。
実際にベリテは、ダリアが悪魔と契約すると断言してもいた。避けられない事ならば、なるべく遅らせようと考えていたものの、運命はそれも許さないのだろうか?
「ガネーシャ、戦う覚悟を決めておいて。ダリアが悪魔を召喚してしまうと、すぐにでも使役する方法を飲み込んで、ダリアは動き出すだろう。僕もガネーシャの力になるからね」
──ありがとう……ベリテ。
今生の私には天使のベリテがついている。孤立無援ではない。
ベリテの励ましと、ハーブティーの柔らかな湯気に優しい味わいを感じながら、私は何とか心を落ち着けようと努めた。
取り乱してはダリアの思うつぼになる未来しかない。
ダリアはマストレットが鍵を手に入れたら、おそらく羨んでくるだろう。何しろ正妻の子である私も持っている鍵だ。
そもそも悪魔を召喚する書物は、特殊な言葉を使って記されているものの、その難解さも乗り越えてダリアは召喚に成功してしまう。
──これは、本当に気が抜けなくなってきたわね。
スパイスの件といい、ダリアはもう、私に明確な悪意と敵意を持っている。
それをどう扱うか、逆手に取るか、私は眠る為のハーブティーを口にしながら思案していた。
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