第10話
それは、晩餐での出来事だった。
「ガネーシャお姉様だけ、肉料理が他の方と違っていらっしゃるのですね?ソースも違うような……」
目ざとく気づいたダリアが私に言ってきたのよ。
「ええ、私はスパイスの効いたソースが好きなのよ。だから私だけソースを別に用意してもらっているの」
スパイスの適度な刺激は、口内を爽やかな感覚にしてくれるから、心地よくて晩餐のお料理に限って楽しむ事にしている。
ダリアは何を思っているのやら、大仰に声を弾ませた。
「辛いものがお好きなのですね。お姉様の事を、また一つ知る事が出来ましたわ」
「ふふ、私もダリアの好きなものを、一つずつ知っていきたいわ」
相手の腹を探りながら、心にもない事を朗らかに話すのも、胸が悪くなりそうな気持ちだわ。せっかくのお料理も台無しになるから、やめて欲しいところね。
でも、その場はなごやかに収められたけれど、問題は数日後の晩餐に起きたの。
「……あら?」
いつもの肉料理に見えるけれど、一口頂いてみるとスパイスが全く効いていないのよ。
すると、ダリアが私の様子を見て声を上げた。
「まあ、ガネーシャお姉様の肉料理、ソースが違いますわ。お好みに合わないのではないですか?」
──この子は……何か企んだわね?
「そこのあなた、ガネーシャお姉様に普段のスパイスをお持ちなさい」
「は、はい。申し訳ございません、すぐにお持ち致します」
命じられたメイドは恐縮した様子というより、何やら萎縮した様子でスパイスボトルを運んできた。ダリアったら、メイドが明らかに怯えているじゃないの。
そうして渡されたスパイスボトルから、試しに少し振りかけてみて、香ってくるスパイスには思わず笑い出しそうになったわ。
「ガネーシャ、気づいてる?」
──ええ、ベリテ。あからさますぎて笑いを堪えるのが大変よ。ダリアには分かりやすく説明してあげなくては駄目ね。
私はもう少しだけ振りかけてから、スパイスボトルをテーブルに置いて、後は平然と肉料理を口にし始めた。
「ガネーシャお姉様、お好きなスパイスを我慢なされているのですか?」
煽るように言ってくれるわ。望むところよ。
「いいえ、我慢はしていなくてよ。私の肉料理だけ他の方と違う事はダリアも知っているでしょう?私は体重管理の為に、小さくカットしたヒレ肉にしてもらっているのよ。だから、小さなお肉に多くのスパイスをかける必要はないの」
前に気づいておきながら、考えが至らないのだもの。抜けてるわね。
「……そうなのですか……ガネーシャお姉様は禁欲的な体型維持に励まれていて、私は憧れてしまいますわ」
「ありがとう、ダリア。あと、このスパイスはクミンにコリアンダーやシナモンなどを組み合わせているようだけれど、私の普段のソースに使うスパイスと違うわ」
「……違う、とは?」
「ナツメグの配合量が多いわね、ずいぶんと。ナツメグの香りがきつくて気づいたわ。ナツメグは美味しいけれど、摂取しすぎると吐き気といった身体症状の他に、幻覚などの精神異常も起きうるの。致死量も他のスパイスより遥かに少ないから気をつけないとね」
「さすがはスパイスがお好きなガネーシャお姉様ですわ、香りだけで危険に気づかれるだなんて」
驚きに目を見張っている、という表情をかろうじて作っているのは、瞳が淀んでいるから分かるのよね。
「こんな危ないスパイスを用意した者は厳しく罰しなければなりませんわ、ガネーシャお姉様」
それを聞いたメイドが恐怖にすくみあがった。
口封じでもするつもり?末端の者を罰するのは無意味よ。トカゲの尻尾を切るのと変わらないわ。
「いいえ、私は美味しく頂ける分量のスパイスを、きちんと振りかけたわ。だから懲罰は不要よ。──さ、せっかくの団欒だもの、食事を楽しみましょう」
刹那、ダリアが歯を食いしばった。こうした所はまだ子供っぽいわね。私への悪意は、私にだけは隠し通さないといけないのに。
「そこのあなた、おかげで肉料理も普段と少し違って新鮮な味わいよ。美味しいわ、ありがとう」
私が怯えていたメイドに微笑みかけると、彼女は目を潤ませ、「私ごときに、もったいないお言葉でございます」と言って、深々と頭を下げた。
──この場はこれで良し。
このメイドにも、これからは私の言う事を聞くようにしてもらうわ。
「ダリアの悪事から逃げられるなら、喜んで従うだろうね」
──まあ、そういうものよね。人の心を着実に掴んでゆく事の大切さは、前世で散々学んだもの。
「──私はもう十分頂きましたので、皆様お先に失礼致しますわね」
ダリアは耐えがたいようね。まだ半分以上残して席を立った。
仕方ない子。意気込みも企みも全部が空振りに終わって、焦りと苛立ちに支配されているのよね?
いい気味だわ。部屋の物に八つ当たりしなければ良いけれど。
「ええ、ダリア。顔色も優れないようだし、お部屋でゆっくりしてちょうだいね。食事はダリアが美味しく頂ける分だけを、楽しく味わえれば良いと思うし」
「……お気遣い痛み入りますわ、ガネーシャお姉様」
体型維持や体重管理には触れないわよ?後で「ガネーシャお姉様が食べろ食べろと、太らせようとして……」とか「ガネーシャお姉様は私に体重管理も出来ない子として接してきて……」だなんて陰口の材料にされたら鬱陶しいもの。
そうしてダリアが退席した食堂で、私は食事を済ませた。
「マストレットお兄様、ダリアの体調が悪くないか心配ですわ。気心の知れたお兄様が、後でお見舞いに行って差し上げて下さいませ」
マストレットに、心優しい姉としての演技も忘れずにしておいて。
「ああ、分かった。ガネーシャは思いやりに満ちた姉だな。優しい妹を持てて僕は嬉しいよ」
頷いて見つめてくる眼差しが妙に粘着質で不快ね。儀礼的な頼み事を睦言と勘違いしてない?この男。
それにしてもダリアったら、スパイスが好きだと公言した程の私を騙せるとでも思ったのかしら?
まあ、大抵のスパイスには耐性があるから、普通の人なら体に良くない量を摂取しても、私には効かないのだけれど……。
詰めが甘すぎるわ、ダリア。これでメイド達の間では評判になるわよ?人の口に戸は立てられないの。
問題は、ダリアが悪魔を召喚する事に成功した時よね。その後はベリタが暗躍する訳だから。
ベリタも上手く動けないくらいに、私の足場を固めないといけないわ。
それこそ取り返しがつかない程の痛手を負わされるはめにならないように、出来る事は決まっている。
少しでもベリタの召喚を先延ばしにして、ベリタの働く機会を少なくする事。
十七歳になれば、私が覚醒してベリテも悪魔を倒せるようになるから……ベリタが動く期間は短い程良いわ。
それまでの時間は凌げる程度に人心を掌握しなきゃ。
──あら?そういえば、悪魔は契約者の願いなら何でも無条件に聞くのかしら?
「話すのが遅れたね。悪魔が力を発揮するには、契約者の血を媒介にする必要があるよ」
──媒介?己の力にするのではなく?
「そう。つまり、誑かしたい相手には、悪魔の力を込めた契約者の血を飲ませなきゃいけない」
──それは難しい事ではなくて?
「例えばティーポットに一滴でも良いから混ぜたり……それだけで済むからね」
──なるほどね。厄介だこと。
今はまだ、社交界にも出ていないから、お茶会は開けないし招かれもしない。でももう公爵家の娘ではあるのよ。
いずれは人脈も築くわよね。そうなった時にこそ、私も上手く立ち回らなきゃならない。
私は処刑台を避けたいだけじゃなくて、ダリアに復讐して、今度こそ彼女を処刑台に送りたいのだから。
──ベリテ。あなたは天使なのに復讐の手伝いだなんて、ごめんなさい。
「いいんだよ、ガネーシャが気に病む事はないんだ。むしろその為に君を生き直させてあげてるんだから」
ベリテは私に奇跡をくれた大切な存在よ。後悔させないように精一杯の事をすると、改めて心に誓った。
「それはそうと、ガネーシャ。あのメイドと話しておいた方が良いよ」
──スパイスボトルのメイドの事?
「そう。ダリアがどうメイドを脅したか知った方が良い。その上でメイドを懐柔すれば効率良く働いてくれるよ。より良いタイミングで、ダリアの働いた悪事を言い広めさせた方が良いしね」
──確かに手駒として使うなら、彼女には上手く働いてもらいたいところね。それに、あのメイド普段はあまり見かけない顔だったわ。そこも気になる。
私は食堂を後にする時、かしこまっていたメイドに一言囁きかけてから自分の部屋に戻った。
「この後、私の部屋に来て。事情を聞くわ」
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