第8話

それは、晩餐の時にマストレットがお父様へ向かって口を開いたのが始まりだった。


「父上、フォクステリア公爵家の書庫には素晴らしい蔵書が豊富に揃っていると聞きました。稀有な書物もあるとか。書庫への出入りをお許し頂けませんでしょうか?」


「マストレット、お前はもう我が家の息子だ。好きな時に行ってみるといい」


「ありがとうございます、父上!」


喜色をあらわにしたマストレットを見て、ダリアも羨ましそうに言い出した。


「お父様、私も書庫の書物を読んでみたいですわ。稀有な書物とは、どのようなものでしょう。子爵家では、珍しいと言えるような書物はありませんでしたから、気になります」


──駄目。ダリアに禁書を見つけられてしまう危険性があるわ。


ダリアが見つけなくとも、マストレットを経由して手にされる可能性もある。どちらにせよ、危機的な状況よ。


「お前はまだ書庫の書物を読むには早いだろう。もっと家庭教師から学び、基礎知識をつけてからにしなさい」


読み書きは子爵家でも習っていたようだけれど、お父様からすれば十分ではないと判断したようね。


すると、ダリアは不服顔でお父様にねだった。


「お兄様だけ出入りが許されるのは悲しいですわ。私も様々な書物を読んで、公爵家の名に恥じないように、知見を広げたく思いますの。お願いします、お父様」


「父上、ダリアは学習意欲の高い子です。多少難しい書物でも、繰り返し読む事で理解を深められます」


「ふむ……」


この二人を野放しにしていては絶対にいけないわ。お父様も、ほだされそうになっているし、今は危険も承知で先手を打たないと。


「お父様、よろしければ、私が必ず同伴して学びの手助けをする事を条件に、許して差し上げて下さいませ」


ダリアの自由にはさせない。私自身が見張って阻止するより他に仕方ないわ。


「構わんが、お前にも勉強があるだろう」


「妹の為ですもの、自由に使える時間を当てますわ。私が色々と教えて差し上げる事が出来れば、ダリアも良い勉強と気分転換になるでしょう」


そこでお父様は顎髭に手をやった。


「いいだろう。ダリア、書庫に行く時は必ずガネーシャに付き添ってもらいなさい。書庫にはたやすく触れてはならない貴重なものもある。そこはガネーシャに従うように。いいな?」


「……はい、ありがとうございます。お父様。ガネーシャお姉様も、お手を煩わせる事になり申し訳ございませんわ」


全く感情のこもっていない謝辞だわね。自由気ままに見て回れない事が、そんなに不満なのかしら。


──それとも、既に悪魔召喚の書物に目をつけている?


まさか、書庫に入った事もないのに。使用人だって知らないはずの禁書よ。そう考えた時、ベリテが気難しい面持ちで話しかけてきた。


「ガネーシャ、ダリアには裏で手を引く存在があるみたいだ。注視した方がいい」


──悪魔と契約もしていないのに?


「悪魔だけが問題視すべき存在じゃないんだ。実際、こんな何の変哲もない少女に見えて、ただならぬオーラと匂いを漂わせてるしね」


──そうだわ、私が見る限りダリアそのものは賢くもない少女なのに、マストレットをだしにして鋭く切り込んできたわね。


「明日にでも、さっそくマストレットとダリアを書庫に案内してやりなさい、ガネーシャ。マストレットも出入りは許したが、初めは詳しい者の案内があった方がいいだろう」


「……はい、かしこまりましたわ。お兄様もダリアもよろしくて?」


「ああ、よろしく頼むよ、ガネーシャ」


──ベリテ。出来るだけダリアを探ってちょうだい。ダリアに企ませる黒幕を知っておきたいわ。


「分かった。ダリアの目論見が上手くいかなかった事で、晩餐の後に部屋へ戻ったら、何らかのやり取りがあると思うから、監視してるよ」


──ありがとう、頼むわね。


その相手が、もしベリテを上回る存在ではないのなら、勘づかれる心配もないでしょう。


甘く見てはならない相手と分かってはいるけれど、ダリアの初手からの幼稚なありようを見てきて察するに、少なくとも知性は高くないわ。


そうして私にとっては、ひりつくような緊張感のある晩餐を済ませて部屋に戻ると、離れていたベリテが入浴前に戻ってきた。


さっそく話を聞くと、ダリアは部屋で相手に癇癪を起こしたらしい。


「ポイズニー!いるんでしょう?!出てきなさいよ、この役立ずが!」


ダリアが一人になるなり叫び出すと、青い肌に黒い髪と瞳の──精霊が姿を現したとベリテは聞かせてくれた。


それは、下級の闇精霊が持つ特徴だった。


ポイズニーと呼ばれた闇精霊は悪びれる様子もなく、むしろ不機嫌さを隠そうともせずにダリアを見下ろして言い返したそうだった。


「何だよ、俺がお前の母親に闇の力を仕込んで死なせてやったおかげで、公爵家に入れたくせに。上手く立ち回れないお前が無能なんだよ、こっちのせいにするなよな」


──死なせた?実母を?公爵家に入る為に?


「あんたが、上手く闇を扱ってくれないから!私は書庫にも自由に出入りさせてもらえない事になってるんじゃない!あそこには例の書物もあるんでしょう?!」


「他力本願も大概にしろよな、お前が子供じみてるから許されなかったんだろ。書物に関しては、それくらい自力で手に入れろよ。俺はもう世界樹に帰る。後は勝手にしてろ」


「何なの?!私と契約しておきながら見捨てる気?!」


ダリアがヒステリックに喚くと、ポイズニーはおもむろに手を伸ばしてダリアの眉間を指で突いたそうだ。


すると、眉間に契約の刻印が現れ、次の瞬間には消えてしまったのをベリテは確かに見たと言う。


「何するの?!」


「契約解除しただけだろ。お子様の我がままに振り回されるのはごめんだよ。じゃあな」


「ちょっと待なさいよ!ポイズニー!ちょっと……!」


すっかり興醒めした呆れ顔で、ポイズニーはダリアを軽蔑しながら消えてしまった。すると、ダリアから感じていた黒いオーラと匂いも消えたらしい。


「何なのよ!あの女、ガネーシャが出しゃばったりするから!あんな温室育ちの女なんかに邪魔されて!ポイズニーめ、私を馬鹿にして!皆くたばればいいのよ!」


部屋に取り残されたダリアは、ソファーのクッションに八つ当たりしていたとか。


「──と、まあ、こんな感じでね」


「ダリアが闇精霊を召喚出来た事に、まず驚くけれど……我欲の為に母親を殺すだなんて、恐ろしい子ね」


「まあ、ね。ある喜劇作家は、身勝手な悪事こそ人間ならではだとも言ったそうだけど。でも、ダリアのした事は許されざるべき罪だよ。証拠さえ残っていたら裁判にかけられたのに」


「闇精霊との契約は切られたものね……」


「精霊は痕跡を残さないからね。──とにかく、今夜はゆっくり湯浴みして休みなよ。明日に備えないと」


「マストレットとダリアの両方に目を光らせていないといけないものね……分かったわ、伝えてくれてありがとう、ベリテ」


「どういたしまして」


私は、好き勝手に動く二人に注意を払う大変さを想像して、思わず溜め息をついた。


でも、ダリアがあてにしていた闇精霊はダリアを見限った事だし、次の行動に出るにはダリアが自力で考え動かなければならない。


そう簡単には事を運べないはず。


侮ってはならない。それは分かっていても、繰り返し生き直してきてベリテの力添えを得た私には、今のダリアはまだぬるすぎる。


──さながら悪女の蕾、新芽と言ったところかしら……?既に私を逆恨みしているところは、本当に注意していないと危険ね。


「ガネーシャお嬢様、ご入浴のお支度が整いました」


「──ええ。今行くわ」


そういえば私が考えた洗髪粉と石鹸、ダリアにも贈ったけれど、その香りがしてきた試しがないわね。使っていないのかしら。お肌の状態を見るに、前に贈った化粧品も使っていないわね。


それに、選ぶドレスも品がないわ。とにかくフリルを多用するし、無駄に大きくて悪目立ちするリボンをあしらう。


それぞれの品質こそ良くても、バランスが取れていないし、色合わせも考えられていないから、ちぐはぐなのよ。


サーカス衣装でも、あれ程にまでは無駄に飾り立てないわね。お父様もよくまあ、あのように悪趣味なドレスを買い与えていた事。


ダリアを盲目的に可愛がっているのか、それとも偽善の心で見て見ぬふりをしているのかしら?


そんな事をふと思い出しながら、ジャスミンを浮かべた湯船に浸かって、ひと時の休息を味わった。


明日は気を遣う。英気を養わないと。


今生でも全面対決は避けられそうにないのだから。

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