第7話
さて、記念すべき初対面は無事に済ませたわ。
前世では味方になってくれる人は皆無だったから、まず、しなければならない事は、貴族と平民に信奉者を増やす事よね。
──平民ならば慈善事業かしら……。
「それなら孤児院に多額の寄付を続ければ良いんじゃないかな」
ベリテの言葉に、私は頭を抱えた。
──私の自由になるお金が圧倒的に足りないわよ。
「何かを流行らせて稼げば良いんだよ」
ベリテは簡単そうに言うけれど……十六歳の間までに広めるのは大変よ?
商会と繋がりを持って、魅力的な商材を提供しないといけないわ。
私は前世で流行った物を必死に思い出そうとした。
確か、十六歳の初め頃に洗髪粉や石鹸に香りをつけた物が流行ったのよね。でも、香りだけでは付加価値とインパクトに欠けるわ。
体に使う物だから、もっとこう、体に良い何かを……。
必死に考えていたら、晩餐の時間になってしまったわ。遅刻は厳禁よ。少しの落ち度も命取りになるもの。
私は晩餐の席でも考えていた。
「ガネーシャお姉様、お化粧には何を使われているんですか?透き通るようなお肌が羨ましくて……」
不意に、ダリアが問いかけてきた。
「そうね、ア……」
アロエベラエキスを使った美容液、と言いかけて私ははっとした。
そうよ、アロエベラには美肌効果もあるし、聞くところによると火傷やあかぎれ、ひび割れにも効くと言うじゃない。
──ベリテ。これは使えるわよね?
「アロエベラエキスを洗髪粉や石鹸に配合するのか。なるほど、考えたね。大きな商会と繋がりを持てば販路も広くなるだろうし」
「……あの、ガネーシャお姉様?」
「あ……後で私の使っているお化粧品を揃えてダリアにプレゼントするわと言おうとしたの。繊細なお肌にも優しい物ばかりだから、ダリアは元々可愛いけれど、使えば更に輝くような可愛らしさになれるわ」
いけない、ダリアを放置するところだった。
というか、人の肌を気にするならば、うぶ毛のお手入れくらいしなさいよ。仮にも貴族の娘でしょうが。
「ガネーシャお姉様……ありがとうございます。よろしいのですか?」
「もちろんよ。可愛い妹が可愛さに磨きをかける事は喜ばしいわ」
まあ、ダリアも今のところ私には、子供としての可愛さしか取り柄がない無害な存在だしね。ベリテの言っていた事は留意しておくけれど。
「ガネーシャはよほど妹が可愛いと見えるな」
お父様も顎髭を撫でているわ。貴族の出とはいえ卑しい立場だったダリアを可愛がる事は予想外で嬉しいみたいね。
「ええ、お父様。ダリアは本当に可愛い妹ですわ」
「良い事だ。お前には後日、化粧品の商人を呼んでやろう。好きな物を選びなさい」
渡りに船だわ。私は控えめな態度を装ってお父様に頼んだ。
「お父様。商人の属する商会の方もお呼び頂けませんでしょうか?より美しく磨く為にお願いしたい事がございますの」
「商会の人間をか?大がかりだな。その代わり、ダリアにも使わせるんだぞ」
「もちろんですわ。大好きな妹を差し置くなんて致しませんことよ」
歯が浮きそうだわ。憎しみの対象に好意があるよう見せかけるのは、はらわたが煮えくり返る思いでもある。
でも、これで上手くいくなら安いものよ。
まず貴族に流行らせて収益を得て、装飾を省いた廉価版を平民にも流行らせるわ。
それで得たお金なら私でも使えるし、孤児院に寄付するにも継続的な慈善事業として行なえるもの。
でも、ここで思いつかせてくれたダリアにお礼なんて言わないわよ。後々、アイデアを盗まれたなどと言われたら面倒だし不都合なの。
そうして私は、商会と繋がりが持てる事になった。
後日、私と会ってくれたのは、国内最大規模の商会のケリーという人物だった。規模が大きいなら仕入れのルートも豊富だわ。
私は一通り化粧品を買い求めた後、本題に移って洗髪粉と石鹸の新商品と広め方について説明した。
「いかがかしら?」
「これはこれは、貴族の若いお嬢様と甘く見ていた事をお許し下さい。なぜ私どもが着眼出来なかったか惜しまれる程でございます」
「ならば、私と契約して下さるかしら?こちらの取り分は三割……いえ、二割でいいわ。その代わり、私の発案である事は内密にして頂きたいの」
初めに公爵家令嬢がお金儲けを始めただなんて噂は立てられたくない。極秘裏に資金を作って慈善事業に打って出たいのよ。
「惜しい事を。令嬢の名があれば、いくらでも売り出しようがありますのに」
「いいえ、そちらの名でも十分に売り出せますわ」
国内最大規模だもの、高位貴族とも取り引きしている事は知っているのよ。
「では、さる貴族の貴婦人が考えた商品として売り出す事は?」
「そうね……それなら構わないわ。大々的に売り出して下さいな」
「かしこまりました、商会の名にかけて成功させましょう」
「アロエの飲む美容液も考えてみて下さる?」
「飲む?それはまた驚かされてばかりです」
「味わいは貴族向けならフルーティーに。平民向けなら飲みやすければ構わないから、牛乳など手頃な材料と合わせて欲しいわ」
──どうやら話はまとまりそうね。
「ガネーシャ、実は商人に向いてるんじゃない?」
──それは褒められているのかしら……。
「褒めてるよ。何で前世で陥れられたのか疑問なくらいだ」
──生き直しのタイミングが悪かったのよ。
それにしても、この商会の人はずいぶん前のめりになって話すのね。こちらが少し引いてしまうわ。
「契約書の類は私どもの方で作成致しましょうか?」
「いえ、こちらで用意させて頂いたわ」
実は、お父様から執事を一人借りたのよ。貴族たる者、民の為に何かを施す事も考えるべきだと思い至った、と相談したのだけど、具体的な草案は話していないのに、よく貸して下さったものだわ。
ケリーは契約書を隅々まで読んで、感嘆した。
「ここまで完璧な契約書を作られては、こちらはサインする以外にする事がありませんね」
執事とは有能な存在なのね。今さらながら驚いたわ。
そうして契約は結ばれ、商品化を待つのみになった。早くして欲しいけれど、雑な仕事や落ち度があっては困るから急かさない。
「では、私は失礼致します。素晴らしい出会いに心より感謝申し上げます」
「こちらこそ、ありがとう。素晴らしい仕事を期待しているわ」
ぺこぺこと頭を下げて、揉み手をせんばかりにして帰ってゆくケリーをソファーから見送り、ほうと息をつく。
「ガネーシャお嬢様、新しいお茶を淹れさせて頂きます」
「メリナ、お願いするわ。お砂糖の多めなミルクティーにしてちょうだい」
「はい、かしこまりました。お疲れの際には甘い物が一番ですわ」
慣れない事に疲れたけれど、まだこれからなのよね。でも、前世には味わった事のない満足感がある。
──こうして生きてみるのは楽しいのね。
心の中で呟くと、読んだらしいベリテがにこやかに笑った。
それから私が言動に心を砕いて日々を送っていると、一ヶ月後にはケリーが試作品を持って訪れた。優れた職人を多く抱えているだけあって軽微な調整以外は文句なしの出来栄えだった。
そしてその洗髪粉と石鹸は、想像以上の反響を生むことになる。
私はそれを、ごく内輪の友人を招いたお茶会で知らされた。
何しろ、私も含めて、集まった全員が私の考えた商品を使っていたのだから。
「あら、皆様どうしてかしら、同じ香りがしますわ」
友人の一人が目ざとく気づくと、他の友人が香りの正体に気づく。
「私も使わせて頂いている洗髪粉と石鹸の香りがしますわ」
「あの、さる貴婦人が考案なされたと評判のお品ですわね。実は私も使っておりますの」
「私もですわ、使い始めてから髪もお肌もなめらかになって……」
「どなたが、こんなに素敵なお品を考えたのでしょうね。名乗りをあげたら社交界で注目の的になりますわね」
もう、ここまで来ると却って「私よ」とは言えない雰囲気だわ。私はおっとりと相槌を打ちながら聞き役に徹した。
慈善事業に乗り出せるくらいの金額が入れば、公にも出来るけれど……まだ少し早い。
けれど、もう少しと思っている間にも商品は売れ行きを伸ばし、社交界の流行になった。
この時点でかなりの収入になって、私は予定を早めて慈善事業に踏み切る事を決めた。
「お父様、私は貧しい孤児院に寄付をして、豊かな食事と学びの機会を子供達に与えたいのです。恵まれない子供も健やかに育ち、学びを得て真っ当な職に就ければ、即ち国益に繋がると考えますわ。個人的な資金も貯まりました」
執務室を訪れて話すと、お父様は目を見開いて私を見つめた。
「お前が何かをしたがっている事も、何を始めたかも聞いてはいたが……ここまで行動的だったとはな」
「民の為、とお話し致しましたでしょう?私は甘えて生きるだけではいけませんわ」
お父様は、無言で顎髭を撫でていたけれど、一言だけ返した。
「お前が自力で掴んだ立場だ。存分に活かしなさい」
その一言から、私の名前は良い意味で知れ渡る事になった。
前世での悪名が悪夢だったかのように。
それを新鮮な気持ちで、喜びも戸惑いも混ざりながら受けとめていた中で、私はある夜の晩餐にマストレットの発言によって恐怖をいだく事になる。
気をつけてはいたけれど、それでも事業について取り組んでいた中では、どこか霞んでいたのかもしれない。
ダリアが悪魔に手を伸ばす未来に関して。
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