第6話
「ガネーシャお嬢様、お目覚めでしょうか?」
メリナの控えめな声が聞こえてきて、私は「起きているわ」と返事を返した。
前世では一度もダリア達を出迎えた事はない。
けれど、今回は違うわ。歓待するかのように出迎えて、ダリア達の出鼻をくじくのよ。
「洗顔とお茶のご用意が出来ております」
「ありがとう」
「本日のドレスはいかが致しましょうか?」
今日の為に、選んでおいたドレスは二着。最先端の流行を捉えた若草色のドレスと、淡い黄色で袖とスカート部分に白いレースをふんだんに使ったドレス。
ダリアに悪印象を与えてはいけないわ。初めが肝心よ。穏やかで可憐な令嬢のイメージを与えるものを選んだのだけど、迷うわね。
ベッドで紅茶を頂きながらメリナが出してくれた二着を見比べていると、不意にベリテの声が聞こえた。
「偵察に子爵家を見てきたけど、ダリアは黄緑色のドレスを選んだみたいだ」
黄緑色……若草色と被るわね。似たような色味で豪奢なドレスを着ていたら、それだけでダリアは劣等感から憎しみをいだくかもしれないわ。
「ガネーシャ、返事は声に出さなくても心の中で語りかければ僕に伝わるよ」
──そうなの?
試しに問い返すと、ベリテは頷いた。
「そう、それでいい。声に出していたら怪しまれるからね」
確かに、私が天使を召喚した事は、まだ誰にも知られる訳にはいかないわ。特にダリア達には。何がダリアに悪魔を召喚させる起爆剤になるか分からないもの。
──ベリテ。淡い黄色のドレスならダリアに己と見比べさせる心配もないと思うのだけど。
「その方がいいだろうね。何にせよダリアは悪趣味……いや、流行りに疎いドレスしか持っていないようだから、反感は避けられないだろうけど。それでも真っ向からコンプレックスを刺激するのは良くないだろうし」
──そうよね。……それにしても悪趣味って……お父様も最低限のドレスは買い与えているのよね?我が子がそんなドレスを着ていたら止めに入りそうなものだけど。
「我が子だから甘やかしてしまうんじゃないかな。愛人の子にさせてる負い目もあるから、あまり文句も言えないだろうし」
──そういう考え方もあるのね。という事は、我がままに育てられて社交にも疎いのかしら。日陰の身ならお茶会にも呼ばれないでしょうし。まあ、それは置いておいて、ドレスは決めたわ。
「メリナ、今日は淡い黄色のドレスを着るわ。淡い色は太って見えやすいから、コルセットをきつく締めてちょうだい」
「はい、かしこまりました。お出迎えの後は昼餐を控えておりますので、あまりきつく締めますとお召し上がりになれないのではと心配ですが……」
「大丈夫よ」
コルセットには幼い頃から慣れているもの、どうという事もないわ。
そして私は身支度を整え、ひりひりするような緊張感の漂う朝餐をお父様と済ませた。
「お父様、兄妹の方々とは仲良くして頂けるかしら。せっかく家族になるのですもの」
「お前が心を開いて優しく歩み寄れば、大丈夫だろう」
……何かしら、嫌味に聞こえるわ。私は今生で嫌がる素振りを見せてはこなかったわよ?
「ええ、お父様。私は一人娘でしたもの、兄妹が出来る事は楽しみですわ。お相手のお二人が心を開いて下されば嬉しいのですけど……」
まあ、愛人の子として肩身の狭い思いをしてきたのだから難しいでしょうね。
──ベリテ。相手が卑屈になっている可能性もあるわよね?
「それは大いにあるね。むしろ育ちからして卑屈になるなという方が無理だろうし」
私は内心で溜め息をついた。それを覆すには、骨が折れそうね。思い切り歓迎してやろうかしら?
どこまでも無邪気に計算高く、やって来るのを喜んでやるのよ。
「お父様、私はお化粧を直すのでお先に失礼致しますわ。万が一にもお相手に粗相をしてはいけませんもの」
「ああ、そうしなさい」
本当はお化粧も崩れてなどいないけれど、気合いを入れる為に一息つきたいわ。
私は自室に戻って、メリナにミントを効かせたハーブティーを淹れてもらった。鏡を見ても、丁寧に結い上げた髪型と薄化粧は清楚な印象だわ。
高貴で近寄りがたい令嬢。それが親しみをこめて出迎え喜ぶ。ダリアはどんな反応をするかしらね。
どちらにしても大勝負だわ。
「ガネーシャお嬢様、もうじき子爵家の方々がお見えになる時間ですわ」
「そう、ダリア様は愛らしい方だとお父様が仰っていたけれど、可愛い妹が出来るなら楽しみだわ。──出迎えに行くわね」
「ご武運を」
メリナ……長い付き合いなだけあるわ。私の立場を分かっているわね。
ゆっくりと廊下を歩み、屋敷の扉を開いてもらう。使用人はいるけれど、お父様は見えない。ダリア達が後から執務室へ挨拶に行くようね。
この辺りは所詮、愛人の子ね。
そんな事を考えていたら、執事が私に「そろそろご到着なされます」と教えてくれた。
愛想よく、朗らかに、嫌味なく……繰り返し自分に言い聞かせながら待っていると、数人の人が見えてきた。あの中にいる、特に若い二人がマストレットとダリアね。
私は固い面持ちで歩いてくるダリアに、迷いなく小走りで駆け寄った。レースがひらひらと風を受けてはためく様は我ながら妖精のようだと自覚している。
「あなたがダリアさんね?何て可愛らしい方なのかしら!公爵家には私しか子供がいなくて寂しかったのよ。こんなに可愛い妹が出来て嬉しいわ」
ダリアは流行遅れもいいところの、いっそみすぼらしいドレスを着ているけれど、そこには触れないわ。
「えっ?あの、私は……その……」
私の喜びようを目の当たりにして、ダリアは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。意表を突くのは成功したようね。
こうしてダリアと向き合って観察すると、目鼻立ちは整っているけれど華やかさはない。 顔はうぶ毛だっていてお手入れも行き届かず、まだ垢抜けない子供、という印象がある。
それだけではなく、貴族として育ったか疑わしくなる程、肌にも髪にも艶がないのよ。そこまで貧しく暮らしていたのかしら?
これが将来、社交界で周囲を味方につけて、私を破滅させるだなんて。
私は内心でこそ鼻白んだものの、露にも見せずに視線を隣に移した。
「そちらはマストレットお兄様?初めまして、お二人ともお疲れでしょう。この日の為に公爵家ではそれぞれのお部屋を準備しておりましたのよ。お父様にご挨拶された後は、ごゆっくりお休みになられて下さいませ」
そこでマストレットが口を開いたわ。ぼそぼそとして聞き取りにくい声は、辺りを警戒して窺うような眼と相まって卑しさを感じさせる。
「ありがとうございます、ガネーシャお嬢様。お言葉に甘えさせて頂きます」
「……よろしくお願い申し上げますわ、ガネーシャ様」
ダリアは裏表がないか警戒しているわね。裏なんて見せる訳ないじゃない。
「まあ、今日からは私達家族になるのですもの、気軽にお姉様と呼んでちょうだい。マストレットお兄様も、お嬢様だなんて他人行儀な呼び方はなさらないで下さいませね?」
二人は顔を見合わせて、驚いたような気まずいような微妙な面持ちになっている。まさか愛人の子達に公爵家の令嬢が親しげに話しかけるとは思っていなかったようね。
「これから、少しずつでも仲良くなれたら嬉しいわ。私は一人で……お父様もお忙しいし、家には親しく出来る人がいなかったの」
そう悲しげに言って、口もとに手をあてる。たっぷりと使ったレースの袖から覗く肌は白く薄くて、薄化粧を存分に引き立てる。
マストレットが息を呑むのが見て取れた。仮にも妹に向ける目ではないわ。気色悪いけれど、ここは我慢よ。
「本当に清楚で愛らしいわ、ダリア。これからよろしくお願いするわね」
「は、はい……あの、ガネーシャお姉様。とてもお優しい方のようで安心致しました」
「マストレットお兄様も、お兄様が出来るなんて頼もしいですわ」
「え?ああ、二人になった妹達を守れるように努めますので……」
「お父様の執務室には執事が案内してくれますわ。お二方の到着を心待ちにしておいでよ」
……この時点では、まだダリアは悪魔を召喚していないはずよね?
「ガネーシャ、ベリタの気配がない。そこはまだ安心していいよ」
ベリテの声に、ほっと息をつく。
それにしても、いつ召喚するのかしら?初対面からして変わってしまったから、ダリアが私に憎しみを感じるようになるかも分からない。
そもそも、ダリアはなぜ私を処刑台に送るほど憎むようになるのよ。
「それは、単純な話だよ。正妻の子というだけで、愛人の子は簡単に妬むし恨めしく思うし憎むものだ」
──生まれだけで?腑に落ちないわ。結果、こうして公爵家にも迎え入れてもらえたというのに。
「その気持ちも分かるよ。あと、決定打として、ガネーシャは王太子との婚約が決まるからだろうね。王太子って見た目だけは良いだろう?単純で騙されやすい温室育ちだけど」
私が王太子と婚約する事。前世では毎回破棄されてダリアに乗り換えられているけれど。
──何やら苦い思いを感じるわ。でも、それにしても王太子に言いたい放題ね、ベリテ。
「王太子だろうが平民だろうが天使には関係ないからね、人間の身分なんて」
言い返す言葉がないわ。天使からすれば人間は皆平等なのかしら……。
ベリテとつかの間やり取りしていると、執事が私に声をかけた。
「では、ガネーシャお嬢様、お二方を執務室へお連れしてまいります」
「ええ、お願いね」
この執事はかなりの古参で、人柄も温厚だから二人を偏見も差別もしないはず。
「あなたになら安心して任せられるわ。馬車に揺られて疲れているでしょうから、ゆっくり歩いて差し上げてね」
「はい、かしこまりました。──マストレット様、ダリア様、どうぞこちらへ」
「はい。──行こう、ダリア」
「ええ、お兄様。……でも不安だわ。お父様は子爵家にいた頃のように親しくして下さるかしら……」
「安心しろ。僕達を案ずるから引き取って下さったんだから」
ずいぶん尊大な物言いに出たわね。妹であるダリアを支える為ならば、目の前にいる正妻の子が何を思うかも慮らないのかしら。
「そう……そうよね……」
というか、お父様が親しく接する?私はドレスや宝石は存分に与えられてきているけれど、親しみをこめて接して頂いた記憶はあまりないわね。
私のお母様より愛人が良かったというの?腹立たしい。それを思い知らせるように見せつけてくる、この二人のやり取りは間違いなく挑発よね。誰が乗ってやるものですか。
「引きとめてしまって申し訳なかったわ、お二方とも。お父様とお会いになられてきて」
いい加減、猫を被っているのも疲れたわ。さっさと行って欲しい。
とはいえ、これからは一緒に暮らすのよね。ダリアは私を陥れようとしてくる日が来るし。
「ガネーシャ。でも、初対面は上出来だったんじゃないかな」
──そうかしら?なら良いけれど。
「それに、君の父親──実の父親が迎え入れてくれた日に着古したドレスで来ているからね。ダリアは貧乏子爵家の出とはいえ、父親はちゃんと欲しがるドレスも買い与えていたのに、そこからは選ばなかった」
──やはり買い与えているのね。私のお母様より愛した愛人が生んだ子供な訳だから、それは可愛いと感じているでしょうに……なぜこの日に限ってみすぼらしいドレスを選んだのかしら?
「母親を喪った哀れな子を装うつもりだったんだろうね。実際、親を亡くして間もないのに派手な装いは不謹慎でもあると考えたんだろう」
──派手ではなくとも、上質なドレスくらいあるはずと思うのは、ダリアがどの程度悪趣味なのか分からないからかしら……もしかしてダリアって、そんなに賢くないの?私を処刑台に送るくらいだから、ずる賢い印象があったけれど。
「そこは、ベリタが賢いからね……」
──つまり私は、あの程度の子にやられてきていたのね……召喚した悪魔の力を借りていたにしても屈辱だわ。
「ガネーシャお嬢様、お体が冷えますのでお部屋にお戻り下さいませ」
メリナが気遣わしげに声をかけてくる。私は苛立ちを隠して、鷹揚に頷いた。
「そうね。熱いお茶を頂きたいわ。ローズヒップをメインに、甘い香りの果物をブレンドしたハーブティーを淹れてもらえるかしら」
「かしこまりました。さ、参りましょう」
初手の挨拶は済んだ事だし、晩餐までは時間がある。しっかり心を落ち着けないと。
とりあえず今のところはダリアも残念な思考で動く子だと分かったし、取るに足りないはずよ。
今後について、ダリアを観察しながら上手く立ち回るわ。
「だけど気をつけて、ガネーシャ。ダリアからは悪魔の気配こそしないけれど、妙な黒いオーラと匂いがする」
──黒いオーラと匂い?ダリアそのものの気性から立ちこめているものかしら?
「違うと思う。でも、悪魔以外の悪しきものと繋がっているかもしれない」
──それは見過ごせないわね。
「彼女は手段を選ばず我が身の為にだけ動く人間なんだと思う。推測だけど、公爵家に入る為に一働きしてるんじゃないかな」
──でも、それは実母を亡くしたから引き取られたのでしょう?
ふつふつと嫌な感覚がする。勝手な想像にすぎないけれど、油断禁物だと思わせる。
いつかは私に牙を剥くもの。
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