第5話

私は言葉の真意を理解しきれず、ベリテに問いかけた。


「未来とは?人間で言う命運といったようなものが悪魔にもあるという事なの?」


ベリテは真顔になって、淡々と答えた。


「当たらずとも遠からず、かな。悪魔を倒せるのは天使だけどね、無差別攻撃のような事は禁忌になるから、条件が設けられているんだ」


「条件……?」


「悪魔を倒せるのは一部の天使だけなんだ。まず、人間と契約している事、それも神から異能を与えられて力を覚醒させている人間が契約者である事を条件とする」


「異能を覚醒させられなければベリテの力をベリタに向けられないの?」


「異能は国により言い方が違っていて、聖女の他には、仙術とも神の申し子とも呼ばれたりするけど……何にせよ天使や悪魔を超える神から授かった力を覚醒している契約者の元でしか、天使が悪魔を滅する事は許されないんだ」


「……だとしたら、私が本当に聖女として目覚めるのであれば……十七歳を迎えないといけないのね。その上で勝たないと……待って、ベリテ」


「どうかした?」


「悪魔を倒してしまえば、悪魔の契約者は契約から解かれて証拠も残らないのではなくて?」


自身の魂なり一部なりを差し出して契約を結ぶのであれば、悪魔が倒されれば共倒れというか、何らかの影響が契約者にも及ぶかもしれない。


でも、倒された悪魔は滅びるのなら──消滅するのであれば、契約者は単なる非力な人間として残される可能性の方が高い気がする。


でも、それではダリアを告発出来なくなるわ。


何より、この条件に縛られているのなら、どの道ベリタとは戦い続けなければならないのね。


それに、よしんばベリタを倒せても、肝心のダリアに逃げ道が残されていたとしたら、復讐の道のりは困難を極めるわ。


私はダリアを悪魔と通じた魔女として処刑台に送りたいのよ。


「……その悪魔を倒した天使の契約者であれば、悪魔と契約者が交わした印を可視化出来るんだよ。そこで僕の出番だ。ダリアが契約した悪魔を、ガネーシャが十七歳になれて聖女の力が覚醒した後に倒す。それから僕の力とガネーシャの力でダリアの体に残された印を可視化するんだ」


「今さらだけど……あなたは、悪魔を倒せるの?そんなにも強い天使なの?」


「伊達に時空を司る天使を名乗ってはいないよ。相手も厄介だけどね」


「相手の悪魔……ダリアは何を司る悪魔と契約を結ぶのかしら?名前はベリテとよく似ていると思ったけれど」


刹那、ベリテの澄んでいた面持ちが翳った気がしたけれど、ベリテはそれ以上の感情は読ませない顔で答えた。


「ベリタは人心を司る悪魔で、僕の双子の兄だ」


「兄……?双子の……?」


──私は、ベリテに実の兄を殺させようとしているの?天使の双子が悪魔というのも、腑に落ちないし謎だらけよ。


「ベリタは天使にあるまじき凶悪さゆえに堕天して悪魔になったんだ。その悪魔の中でも異端視されてる。大悪魔を怒らせる程度には」


「それは書物にも記されていたわね。なぜ大悪魔が怒ったのかしら……」


「行為自体はくだらないものだよ。大悪魔の養殖魚に食べさせる餌はネズミの魂と決まっているのに、悪魔の元に堕ちてくるような人間の魂をちぎって与えていたんだ」


……本当にくだらない理由……大悪魔の養殖魚は間違ったものを食べさせられて、可哀想だけれど。


「そうした人間の魂を食べた魚は、どうなってしまうの?」


「人間の知恵、特に真っ黒な心の知恵を得てしまう。そうなると凶暴化するのは分かるね?しかも悪知恵が働くから隠蔽しながら悪事を働くんだ。悪魔からすれば、飼い犬に手を噛まれるのと同じ……もっと手痛い事態になった」


「そ、そうなのね」


どうやら詳らかには語りたくないのか、それとも住む世界が違うから与り知らぬところなのか、これ以上は話してくれそうにない雰囲気になった。私は深追いを避けて相槌を打つに留めた。


すると、ベリテが射抜くような眼差しを私に向けて、諭してきたのよ。


「ガネーシャ。──いいかい、君は聖女としての純真さで、ダリア以上の悪女にならなきゃいけないよ。悪意を読み取り、逆手に取らなければ君は滅ぼされる。覚悟を決めるしかないんだ」


「……ベリテは既に覚悟を決めているの?」


これは、負ければ契約したベリテにも危険が及ぶ事だわ。なのにベリテは私にチャンスをもたらしてくれた。


そう思えば愚問だったかもしれない。でも、悪魔がベリテの兄とは思ってもみなかったもの。


「ベリタは人心を弄び、君を繰り返し死なせてきた。悪魔であっても、いや、天使から見る悪魔だからこそ倒す」


……ベリテの覚悟は確かなようだわ。私にもベリテに返せる決意が必要な事も分かった。


「ベリテ。……十七歳になるわよ。生き抜いて、勝って、ダリアを断罪するわ。自分をどう変えようとも揺るがず、必ずや成し遂げるわ」


悪魔の罪を赦せない天使の立場でも、兄に手をかけるベリテは辛いはずよ。そこまでさせるのなら、私は相応の結果を出してみせる。


「ガネーシャ、君と僕でなら出来る」


ベリテは聖なる誓いのように口にして、うっすらと微笑んだ。少し、胸は痛むけれど……それも私の心の問題でしかないわ。


乗り越えなければ、未来は勝ち取れないのよ。


ダリアを悪魔と契約した魔女として断罪する事は、すなわち前世で私が送られた処刑台にダリアを送る事。


つまり私自身も、間接的にだけれど妹を殺す事こそが復讐となるのだから。


ためらっては駄目。わずかな気の緩みも許されない戦いが始まるのだから。


「立派な聖女として生きて、稀代の悪女になるわ。国を揺るがす程のね。だから、ベリテ。私に約束してちょうだい。──最後は必ず笑って全てを終えると」


ベリテが私の髪をひと房手に取り、口づける。その姿は、あまりにも美しくて……私は言葉も、呼吸をする事すらも忘れそうになってしまう。


「それでこそ僕のガネーシャ。僕の全てを賭ける価値ある聖女、神の寵愛を受けた乙女」


紡がれた言葉は甘くて、めまいがしそうな程だった。


「──さて、ガネーシャ。話しているうちに時間も結構経ったみたいだ。晩餐に向かう時間が近いよ。行けるね?」


様々な感情と情報がごった返して心を襲い、おかげで食欲もあまりないものの、前世のような絶食は愚かな事。それは嫌という程思い知っているから、私はこくりと頷いた。


「お父様にも思う事はあるわ。でも、私は善良な令嬢として生きながら悪女を貫くのですもの。こんな事は瑣末事よ。それにダリア達が来れば、攻防戦の激しさは凄まじいでしょう?」


敢えて、いたずらめいた笑みを浮かべて見せる。今は準備する時期、力を蓄えないといけない。体も心も。


「言わずとも通じてたね。じゃあ、支度して行っておいで」


その一言に背中を押されて臨んだ晩餐は、複雑な心の内が砂を噛むような食事にさせたけれど、私は心優しい娘を演じきれたと思う。


お父様が、何度か顎髭を撫でていたのを見たから。


それを見る度、顎髭を鷲掴みにして抜いてやりたい気持ちがわいたのは、それは心の事だもの。表に出さないのだから、それくらいは自由でないと。


入浴中や、バスローブから寝間着に着替える私に遠慮したのか、私を晩餐に送り出してからベリテは姿を現さなかった。でも、契約のせいか不思議と繋がりを感じられていて不安はなかったわ。


そして始まりの日は終わり、新たな戦いの始まりの日に向けた準備が屋敷中で慌ただしく進められてゆく事になった。


家具や装飾が選ばれて配置を話し合い、新たな人員の配置と指導もある。


唯一の娘だった私も歳の近い娘が来るからと意見を求められ、前世のダリアが好んでいたものを思い出しながら慎重に慎重を重ねて応じたわ。


下手に意見すれば、ダリアが「押しつけられて」と悲しげに漏らす事になるもの。


それに、屋敷で古くから働く者達の中には家格の低い愛人の子を快く思わない者も当然ながら存在していた。


「ガネーシャお嬢様こそフォクステリア家唯一の正統な令嬢なのに……傾いた子爵家ごときの母親から生まれた人達に、この豪奢な調度の数々は何かしらね」


「本当にそうよね。まるで乗っ取られるみたいで不快だわ。この騒ぎは奥様より愛人を優先する振る舞いよ」


「──あなた達、仕事の手が止まっていてよ?」


「ガネーシャお嬢様……!申し訳ございません、何だか悔しくなってしまい……」


気持ちは分かるわ。だから諌めて、優しくなだめるのも私のすべき事の一つ。


「あなた達の私への思いやりは、忠義としてありがたく受け取るわ。でもね、私の異母兄妹もお父様の子達なの。知らされた時こそ私も驚いたけれど……考えてみると、彼らはお父様の血を引いていながら、社交界にも出られない身でいる事を強いられていたのよ」


口ごもるメイド達に、私は儚く見えるよう、そっと微笑んだ。


「お願いよ、彼らもお父様の子として日向に出る資格はあるし……母親を亡くしたばかりの人達でもあるのよ、仕えてくれる者達から慕われる事が出来なくては、あまりにも不憫だわ。私への気持ちを、彼らにも注いでちょうだい」


「ガネーシャお嬢様の優しさこそ本当の思いやりですわ!私達ときたら至らずに申し訳ございませんでした」


「いいのよ、分かってくれてありがとう。さ、仕事に戻って」


罰は与えず、ただ己の職務を全うする事を良しとしながら、彼らの思いの吐露も受けとめる。そこに愛人の子達を貶めたと言わせる隙は見せない。徹底したわ。


私を見直して、彼らを見定めて、その上で私に傾倒する者達は必要だし、その足がかりになる事でもあるから、働く者達はきちんと見なくてはいけない。


本来なるべく関わりたくはないけれど、無関心も悪手でいけない。古びた吊り橋を渡るような思いでダリア達が来る日までを過ごして──いよいよ、当日の朝を迎えた。


「ガネーシャ、笑顔は最強の鎧になるし、表情の使い方は武器にもなる。今の君なら分かるね」


「ええ、ベリテ。私は聖女としても悪女としても最高の女になるわよ。傍で見ていて」


「うん、いい顔だよ。──まず一勝しておいで」


私は華やかに笑って見せた。


「勝ってくるわ。まずは最高の装いをしなくてはね。令嬢の鎧はドレスだもの」

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