第4話

執務室に着くと、扉の前に控えていた執事が私に一礼した。


「お父様をお待たせしてしまったかしら?」


「いえ、お嬢様。旦那様もちょうど休憩をお取りになられる時間でございます」


「そう、良かったわ」


良いタイミングに来られたようね。扉を軽くノックすると、中からお父様が答えた。


「ガネーシャか?」


「はい、お父様」


「入りなさい」


「ありがとうございます、お父様」


執事が恭しく扉を開けたので、お辞儀をして入ると、お父様が何かの書類にサインをして執事著に手渡してから立ち上がりソファーに腰をおろす。


私も座るように促され、従うと執事によってティーセットが運ばれてきた。香り高い紅茶が淹れられる。これは公爵家でもお父様のみが口にしている最高級の茶葉で淹れた紅茶だった。


「まず、何から話せばいいか……ガネーシャ」


「はい、いかが致しましたか?お父様」


「実は、お前には異母兄妹がいるんだ」


「異母兄妹、でございますか?」


私は絶対に取り乱す様子は見せず、軽く驚いた仕草を返した。


「ああ。お前の兄はマストレット、今年で十七歳になる。妹はダリア、愛らしい少女でお前とは一歳違いだ」


愛らしい、とは笑わせるわ。その愛らしい少女が私を陥れるというのに。


「まあ……驚きましたわ。その方々のお母様をお訊きしてもよろしいのかしら?」


「構わない。ファルス子爵家の一人娘だったが……先般の流行病で落命してしまった」


お父様は沈痛な面持ちをしている。それを、心の中では冷ややかに、表の顔には痛ましげな表情を貼りつけて見つめた。


何しろ、私が三年前に他界されたお母様のお腹に宿る前から、お父様は愛人を作っていたのだもの。


お母様がどれほど苦悩したかを想像すれば、憎んでも良いくらいよ。


初めの私は、この辺りから感情的になっていたのよね。お父様のした事は、お母様への裏切りだと。


だけど繰り返さない。


「お母様を喪う悲しみと心細さ……私にも痛い程分かりますわ、お父様。そのお二人は今後いかがなされますの?」


お父様は膝の上で手を組み、じっと私を見据えた。不気味な程に。私が予想していたより遥かに落ち着いていると見えているのか、それとも。


「……お前ならば、まず嫌悪感を先立たせると思っていた」


……まあ、そうでしょう。実際に嫌悪感はいだいている。でも、顔や言動に出してしまえば私への印象が悪くなるだけなのよ。


「お二人に何の罪咎がございましょう?人が生まれる時、無垢で罪もなく、この世に出てまいりますのよ。お二人もそうでしょう?お父様にしても、お父様のご事情がおありだったのかと推察致しますの」


「うむ……そこまで理解が深いのなら、話は早いだろう。マストレットとダリアを公爵家の子として迎えようと思う。マストレットは教育すれば跡取りとして使えるし、ダリアは良い縁談に繋げられるからな」


ああ、憎々しい。暴れたい程に腹立たしい。何なのかしら、この傲岸さは。


心でだけなら好きに罵倒出来るわ。だから、心に留めておくの。表の私は生まれつきの公爵家令嬢であり、その為に負ってきた重責もある。


あんな者達によって奪われる訳にはいかない。


「私はお父様のご判断に従わせて頂きたく思いますわ。急に兄と妹が出来る事には、戸惑いもございますけれど……お二人が私を家族として見て下されば嬉しくも思います」


「やけに物分りが良いな。ありがたい事だが」


「駄々をこねる幼子の時は過ぎましたもの。受けさせて頂いてきた教育で、世の中の物事への理解も少しずつ出来るようになりましたのよ」


「そうか、それは頼もしい限りだ」


「ありがとうございます。お父様は、お二人を迎えて、公爵家の子として認知と受け入れが為されれば安心出来ますわよね?その為にも元居る私がまずお二人を受け入れる必要があると存じますの」


「お前はそれが可能なのか?」


「皆、お父様の子でございます。私はそう認識しております」


そこで、ようやくお父様が顎髭を撫でた。満足のいく結果になると出る癖よ。


これで初めの山は越えたと安堵出来た。でも問題は山積している。ダリアは私から全てを奪いにくるもの。


マストレットも、多感な時期を愛人の子として生きたから、鬱屈した性根を隠しているし。


それは私のせいではないから、マストレットに関しては、屋敷に来たら優しく迎えて接すれば肥大した自尊心にでも変わるでしょう。


問題なのは、やはりダリアね。彼女の手回しの周到さは見事なまでよ。思いやりも優しさも、ひっくり返して悪意と加虐に仕立て上げるのよ。


それも、ベリタとかいう悪魔の力を借りて仕出かす事になるのよね?ベリテからの話を噛み砕くと、そういう意味になる。


つまりは悪魔を召喚する前のダリアは扱いに気をつければ脅威にまでならない。


問題はダリアが何歳の時にベリタを召喚し契約するか……。


「──お父様。大切なお話をして下さり、ありがとうございました。お二人はいつ頃お迎えになられますの?」


「ああ。母親の葬式が済んで、一息ついたらすぐに迎えるつもりだ。執事長には部屋の準備などをメイド達に進めさせるよう命じてある。我が家の一員とするのに必要な書類も揃えたしな」


……そこまで済んでいるのなら、初めから私の意思など考慮する気もなかった訳ね。単なる伝達に過ぎない。


ならば長居は無用だわ。


「かしこまりました、お父様。私も、お二人には新しい生活に早く馴染んで頂けますよう、微力ながら努めますわ。──では、お忙しいお父様のお時間をあまり取らせては申し訳ございませんので……」


「そうか、ガネーシャ。お前も母親を喪った者同士だからな、お前だからこそ出来る手の差し伸べ方もあるだろう。そこは任せる」


……無駄な顎髭を全て引き抜いてやりたい。これ以上ここに居たら、苛立ちで失態を犯しそうだわ。早く離れないと。


「ええ、お任せ下さいませ。では、失礼致します。私に大事なお話を聞かせて下さり、感謝致します」


私は貴族然として、たおやかに優美にと言い聞かせながら退室して部屋まで戻った。


自室に戻っても、大声など出さないわよ。物にも当たらない。メイド達からの、スキャンダルを期待する眼差しと聞き耳があるのは、前世で痛い程分かっているもの。


この私が、メイド達にくだらない娯楽を与えるようでは、私自ら私の誇りを踏みにじってしまう。そうはさせない。


「──ガネーシャ、話は聞いていたけど上出来だったよ」


「……ベリテ?天使様って自由自在に動けるのね……でも、ありがとう。そう言ってもらえて、腹立ちも少しはやわらいだわ」


「あの父親相手に憤るなっていう方が難しいんだけどね。でも、我慢した分の収穫はあったはずだ。よく頑張ったね」


労いの言葉が沁みるのは、私が知らず疲れていたからなのか……。とにかく、ベリテの存在をありがたいと思った最初の時だった。


「──ベリテ。訊きたい事があるのだけど答えてもらえるかしら?」


気を取り直した私は、椅子もない空間に座っているベリテと向き合った。


「僕が答えられる事なら、何でもどうぞ」


「ありがとう。──悪魔というのは、倒せるものなの?ベリタを滅ぼす事は、果たして可能なのかしら?」


悪魔の存在が、どうしても邪魔なのよ。どう考えても。


それに対し、ベリテは少し思案顔になってから、説明を始めてくれた。


「悪魔──ベリタを倒すのは未来の話になる」


そう、口にしてから。

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